ISSEY MIYAKE イッセイ ミヤケ、水に導かれて。
Culture 2025.06.20
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衣食住のフィールドにとどまらず、生命あるものすべての根源である「水」に焦点を当てた展覧会『水を味わう 水を纏う"Savor water, Embracing water"』。イッセイ ミヤケのものづくりの哲学を食を通して伝えるスペシャルなエキシビションを、キーパーソンの言葉とともに誌上レポート。
ISSEY MIYAKE GINZA|CUBEの展示風景。会場を仕切っているすだれのような幕が、「ほぐし絣」。タテ糸に荒くヨコ糸を織り込んだ仮織り状態の生地に職人が手作業で捺染プリントを施した、未完成の絹織物を使用している。
人間の身体組成の約60%を占め、生まれる前は母親の子宮内を満たす羊水として、臨終を迎えた後には末期の水として、人生の最初から最後まで欠かせない存在である「水」。
「包み/包まれる」ことで育まれる人間の暮らしの中心にある「水」をさまざまな角度から捉えたエキシビションが、銀座と京都に構えるイッセイ ミヤケのふたつのギャラリーで開催中だ。『水を味わう 水を纏う "Savor water, Embracing water"』と題されたこの催しは、だしや野菜の香り、音、だしのもととなる昆布を想起させる「ほぐし絣」のインスタレーションといった、多方面から異なる感覚に訴えかけつつ、あえてそこには存在させない「食=味覚」に導くというユニークな構成。
東京・銀座にあるISSEY MIYAKE GINZA|CUBEのウィンドーディスプレイには、同会場でのメインビジュアルである蕗の写真が大きく掲げられている。◉エキシビションの会期は、銀座では6月27日(金)まで、京都では6月25日(水)まで。また、東京ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTにて、遠山夏未がディレクションする食をテーマにした企画展を2026年3月から開催予定。
展示のメインとなるのは、料理家・横山夫紀子と写真家・秋元茂の共著書『百味菜々』に収録された数々の写真で、下拵えされた野菜のクローズアップショットに加え、ルーシー・リーや北大路魯山人、会場にも置かれている玉置保夫のうつわに盛り付けられたビジュアルも並ぶ。
左:ISSEY MIYAKE KYOTO|KURAでの展示風景。 右:ISSEY MIYAKE GINZA|CUBE での展示風景。
そのどれもが「水」の持つ文字どおりのみずみずしさと、「水」によって引き出された野菜の生命力がダイナミックに表現され、静物写真でありながらも刹那を捉えたようなライブ感で見るものを圧倒する。
かつて東京・青山にあった伝説の料理店、百味存にて生み出された横山夫紀子の料理を秋元茂が撮り下ろした共著書、『百味菜々』。初版は1990年にリブロポートから発行され、1999年にコエランスから再版が発行された。
横山夫紀子と同時代の仲間であり、彼女が営んでいた伝説の料理店「百味存」の顧客でもあった三宅一生は『百味菜々』に文章を寄せ、横山との繋がりを「おいしい」関係であると語っている。
五感を刺激する今回の多彩な展示は「水」に秘められた無限の可能性を示唆し、さらにはものづくりがあらゆる領域を超え喜びをもたらす行為であることをも気付かせてくれる。
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銀座での展示のメインビジュアルとなった、下拵えされた蕗。
遠山夏未
イッセイ ミヤケのものづくりは暮らしへの眼差しを大切にしています。
その眼差しは、暮らしのもとである衣食住の食を通して、よりフィジカルに知ることができると考えました。
そして、イッセイ ミヤケの精神性から欠くことのできないすべての生命の源であり、食の根源でもある『水』に着目しました。
身体の水のひとつである羊水は、昆布だしと同じ塩分と旨味を含んでいます。
人が初めて摂取する究極の食と言える羊水に近い昆布だし。昆布だしをはじめとするだしは日本料理に欠かせない大事な要素です。
それらのだしを独自に追求し、水そのものを作っているとも言える横山夫紀子さんの著書『百味菜々』は身体感覚を呼び覚まし、身体全体で水を感じます。また、拵えを大事にされている横山さんの姿勢は、一枚の布への探究やプロセスを大事にするイッセイ ミヤケと共通するものがあると思います。
丁寧に拵えたものはどこを切り取っても美しい。未完成のほぐし絣からはその一端を見ることができるのではないでしょうか。
京都での展示のメインビジュアルとなった、下拵えされた茗荷。
柳原照弘
今回の展示における水の概念はすべて横山さんの本である『百味菜々』の中に存在している。
生命にとって必要不可欠な存在である水にフォーカスしたこの本は実際に水がないにもかかわらず、言葉や写真によって水を纏う感覚をもたらす。
この展示でも実際に水を使ったり飲んだりすることはできないが、視覚や聴覚、嗅覚を研ぎ澄ますことで味覚に辿り着くインスタレーションを行うことで、水の流れや湿度、しっとりとした感覚を想起させている。
水を使わずに五感を研ぎ澄ますことで水の存在を意識させるインスタレーションである。
下拵えされた干瓢。
秋元 茂
料理写真はおいしいということを求められますが、それの極北のような視点で、横山さんの作る料理という造形物を、できる限り精密に即物的に捉え、『写真』としての存在感を持つ料理の写真を撮りたいと思っていました。
写真を撮ることなどまったく興味がなかった横山さんでしたが、撮影が進むにつれ料理は大きく変わってゆき、どの料理も精密な技術『拵え』で、目を見張るように変化を遂げてゆくのを、間近で見るのは刺激的な時間でした。
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玉置保夫のうつわに盛られた紅玉りんごの水菓子。
横山夫紀子
野菜の甘さや苦さを素直に生かし、独特の風味を余韻に残したい。
野菜の勢いを、味わいとして際立たせたい。
だしはあくまでも味の引き立て役であり、野菜の生命力が主張するものと張り合ってはいけない、微妙な力関係にあります。
しかし、だしをしっかりとらないと味にふくらみがなく、水っぽい料理になってしまいます。
百味存では、あえて昆布を煮立ててしっかりとしただしをとり、味、色みに深みがある野菜料理に仕上げています。
「百味存のこだわり」ー『百味菜々』より抜粋
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ルーシー・リーのうつわに盛られたアスパラガスと大根おろしの和え物。
三宅一生
私は常づね、「ファッションをそのままアートとは言いがたいが、アートにはファッションも含まれている」と考えています。
このファッションを、"料理"の二文字に置き換えてみれば横山さんのしごとの意味とアートとの関わりが理解されるはずです。
いろいろな才能の持ち主がつどい、既製のアートの型が破られていく。
そこに創造と文化の基本型があり、新しい美しさの発見が生まれてきます。
着る、たべる、生きる。料理もデザインも衣服も、人間の営みを介してこそ生命の輝きにみちています。
「基本型の美しさ」ー『百味菜々』より抜粋
photography: © ISSEY MIYAKE INC.(1/4), Shigeru Akimoto(2/4〜4/4) cuisine: Fukiko Yokoyama editing: Mami Aiko