ダリやコクトーを迎えたシャネルの「ラ パウザ」、芸術家たちの拠点として再生。
Culture 2025.06.28
長年にわたる改修を経て、6月に初公開されたシャネルのヴィラ「ラ パウザ」。1928年、南仏ロクブリュヌ=カップ=マルタンにあるこのヴィラを買い取ったガブリエル・シャネルは、自身の理想とするヴィラを掲げ、細部にわたって設計を手がけた。当時は「狂騒の20年代」と呼ばれ、後世に名を残す数多くの芸術家が誕生し、文化が飛躍的に発展した時代。このヴィラには、サルバドール・ダリやジャン・コクトー、パブロ・ピカソ、コレット、ピエール・リヴェルディ、ストラヴィン・スキー、ルキノ・ヴィスコンティなど、シャネルの友人である著名な芸術家たちが集まり、クリエイティブなコミュニティとなっていた。
6月に初公開された「ラ パウザ」。格子状に手入れされた芝生の中庭が印象的。© CHANEL
この時代、絶頂期を迎えていたシャネルの影響力はアートにも派生し、ジャン・コクトーの戯曲『アンティゴネ』の衣装を手がけるなど、しばしばコラボレーションも行っていた。しかし、彼女は生涯を通じて自らをアーティストと捉えることはなく、親しい友人である芸術家たちを献身的に支援し続けた。ピエール・ルヴェルディの雑誌のスポンサーとなり、ディアギレフによる『春の祭典』の再演を援助するなど、さまざまな芸術家たちの経済的な心配を解き放ち、安心して制作に没頭できる環境を与えていた。
テラスでダリやガラと談笑するシャネル。Photo Audrey James Field. Private collection © Christie's Images 2025
そんなシャネルが、芸術家である友人たちを温かく迎え入れていたのが「ラ パウザ」だ。この地で、シャネルが友人たちと良い時間を過ごしていた様子を伝える写真が数多く残されている。テラスのソファに腰掛けて談笑し、木登りをしてふざけ合う姿、敷地内のコートでテニスをする姿、暖炉前で寛いでゲームに興じる姿......。どの写真も朗らかで、のびのびとリラックスした雰囲気に包まれている。
1938年、友人たちと木登りをしてはしゃぐシャネル。Photo Roger Schall © Schall Collection
書斎で本を読んだり、ゲームに興じたり、穏やかな時間を過ごしていた。Photo Fernand Detaille. Patrimoine de CHANEL, Paris. Courtesy of CHANEL. © Fundació Gala- Salvador Dalí
敷地内のコートでテニスをしたり、海に出かけたり、スポーツを楽しんで活動的だったシャネル。© Mary Evans Picture Library
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型式張った儀礼や作法が重んじられていた時代だったが、シャネルは食事も肩の力を抜いたカジュアルなムードを重視。ダイニングルームには鮮やかな果物や野菜が並び、庭から摘んできたばかりの花が飾られている。サイドボードの上にはブッフェ形式で料理が並べられ、ゲストは好きな場所に座って食事と会話を楽しんでいた。シャネルは「ラ パウザ」でのシンプルな暮らしを通して、友人たちに自由で豊かなひとときを提供し、彼女自身のアールドゥヴィーヴルを体現していた。
シャネルが大切にしたカジュアルなダイニングの雰囲気を再現。© CHANEL
数多くの芸術家たちが訪れたが、なかでも、サルバドール・ダリほど、この場所が提供する創造の自由を享受した芸術家はいなかったという。ダリが大切にしていた写真の裏にシャネルを「最良の友」と書き残すほど、シャネルとダリの間には深い友情が育まれていた。創造性に人生の意義を見いだす点でも共通の価値観を持ち、まさに心の友といえる存在。シャネルが化粧を施してスタイリングした蝋の胸像に初のハイジュエリーコレクションを展示した翌年、ダリが女性の磁器製胸像をシュルレアリスムのオブジェに作り変えた『回顧的女性胸像』を発表するなど、クリエイションにおいても時に呼応し合っていた。
1938年、ヴィラに長期滞在中のダリとガラ。Photo Fernand Detaille Patrimoine de CHANEL, Paris Courtesy of CHANEL © Fundació Gala-Savador Dalí
1938年、ダリは、内戦のためにスペインのアトリエに戻ることができなくなり、創作活動を行う場所を探していた。そして、妻のガラとともに「ラ パウザ」を訪れ、実りある4ヶ月間を過ごしたのだという。ダリはヴィラのあちこちに自身の「即興アトリエ」を設け、精力的に製作し、11点の絵画を完成させた。この中には、『果てしなき謎』、『崇高な瞬間』、『虚像の透明な幻影』、『インペリアル バイオレット』、 そして内戦で分断されたスペインへの悲痛な嘆きを表現した『スペイン』など、彼の代表作とも言える作品が含まれる。また同時に、ダリは自身の回想録『わが秘められた生涯』の執筆にも勤しんでいた。このヴィラでの⻑期滞在は、彼の芸術家人生における重要な時間となった。
即興アトリエと称して、ヴィラのあらゆる場所で創作していたダリ。Photo Wolfgang Vennemann. © Fundació Gala-Salvador Dalí © Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí/ADAGP, Paris 2025
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まさに「ラ パウザ」は、芸術家たちが創作に没頭できる安らぎの場であった。ここで交わされる会話や自然の中で過ごす豊かな時間は、彼らにインスピレーションをもたらし、新たな創作の源となった。これは、いまで言う「アーティスト・イン・レジデンス」の先駆けのようなものであったと言えるだろう。そんなシャネルの精神を受け継ぎ続けるメゾンは、いま、このヴィラをあらためてカルチャーを育む場所として発信していこうとしている。
シャネルのアート・カルチャー&ヘリテージ代表のヤナ・ピールがこのプロジェクトを主導し、アーティストたちのレジデンスプログラムを展開していく。「ジャン・コクトーは、ここが建てられた1928年に最初のアーティスト・イン・レジデンスとして滞在し、『シャネルは、私たち芸術家の隠された輝きを支えてくれた存在だ』と語っています。ダリが物理的に暮らしながら数々の代表作を創作していたように、アーティストが創作の自由を得られる環境を提供することが、このヴィラの究極の形だと思います」と、ヤナは語る。
さまざまな人たちが交流し、その化学反応によって新たな創作が生まれていた。Photo Fernand Detaille. Patrimoine de CHANEL, Paris. Courtesy of CHANEL © Fundació Gala-Salvador Dalí
シャネルのおもてなしの精神を受け継ぎ、人々の交流の場として再始動していく。© CHANEL
ダリをはじめ、ピエール・リヴェルディ、ルキノ・ヴィスコンティらが才能を開花させたように、再びこのヴィラでアーティストを支援していく予定だ。今秋にはレジデンスプログラムを開始し、4名のノンフィクションライターが滞在することが決まっている。これまで「自立した女性」をテーマに執筆している作家たちであり、公募制ではなく、過去の作品をもとに選考されたという。
「多国籍なコミュニティを目指しているため、国際的な視点も重要でした。この作家のレジデンスプログラムはまだ実験的な取り組みで、今後どう発展していくかはわかりませんが、作家やアーティストが自由に創作できる環境を整えることが目標です」(ヤナ)
今後も、シャネルにまつわるクリエイティブなゲストたちの交流の場として、さまざまなプログラムを展開していく予定だ。
「このヴィラへの招待にドレスコードなどはなく、シャネルが大切にした唯一の条件はユニークな人であることでした。飾られている絵ではなく、集まってくる芸術的な感性を持つ人たちがここの主役です。ヴィラを囲む250本のオリーブの木のように、ユニークな人々が自然に集まる場にしたいと考えています。シャネルが大切にしていたおもてなしの精神をもとに、彼女が実現した人々との交流や化学反応をいまの時代に再現していくことが私たちの挑戦です」(ヤナ)
約100年前にシャネルが築いた精神を受け継ぎながら、芸術家たちを支援し、新たな繋がりを紡いでいく。「ラ パウザ」は、そんな過去と現代が響き合う場として、シャネルの歴史に新たな一幕を開いていくだろう。

『La Pausa: The Ideal Mediterranean Villa of Gabrielle Chanel』
350ページに及ぶ大型本で、「ラ パウザ」にまつわる500枚の初公開写真と未発表のアーカイブ資料を掲載。フランス語版と英語版で展開。150ユーロ(2025年9月刊行予定)
© Flammarion
text: Momoko Suzuki