ブリジット・バルドーが巻き起こした、エリゼ宮「夜のスキャンダル」とは? フランスを揺るがせた仏大統領との一夜。
Celebrity 2025.10.28

1967年にエリゼ宮の晩餐会に招かれた女優は、通常のドレスコードを全く無視した服装で仏大統領の前に現れた。2014年に放送されたドキュメンタリー『ブリジット・バルドー、BBの真実』で語られている逸話だ。

エリゼ宮にやってきたブリジット・バルドー。(パリ、1967年12月5日)photography: Keystone-France / Gamma-Keystone via Getty Images
この"スキャンダル"がきっかけで、彼女はフランス全土の市役所に飾られている"マリアンヌ像"のモデルとなった。それは1967年11月のことだった。ドゴール仏大統領はブリジット・バルドーを、エリゼ宮で毎年催される"芸術と文化の夕べ"の晩餐会へ招待した。ロジェ・ヴァディム監督の『素直な悪女』(1956年)で主役のジュリエットを演じ、一躍スターとなった女優に遂に会えることを大統領は心待ちにしていた。招待状を受け取ったブリジッド・バルドーも、憧れの政治家とようやく会えると大喜びだった。彼女の友人のひとり、クリスチャン・ブランクールがドキュメンタリー『ブリジット・バルドー、BBの真実』で語っているように、「彼女は昔から心底ドゴール将軍を支持し、尊敬してきた」からだ。
しかしながらファーストレディのイヴォンヌ・ドゴールは女優を招待することに反対だった。2度の離婚歴があり、「裸同然で歩き回る」ような、芳しくない評判を持つ女なんて、とんでもない。「あなた、まさか本気じゃないでしょうね」とパーティーの前日、夫に言い放ったそうだが、ドゴール大統領は約束を違えない男だった。一度決めたことは守る。BBの名前は招待客リストにしっかりと載っていた。
華々しい登場
1967年12月5日、パリ中の映画人、アーティスト、文壇の面々がエリゼ宮にやってきた。入口で陣取る記者たちの前を大物たちが次々と通っていった。レイモン・ドヴォー、ルイ・ド・フュネス、ブルヴィル、フェルナンデル、ジャン=ポール・ベルモンド、アニー・ジラルド等々。突然、ブリジット・バルドーが登場し、いつものように人々の視線を釘付けにした。わざとむぞうさに整えたブロンドヘア、シグニチャーのスモーキーアイ、ぽってりした唇。夫の億万長者ギュンター・サックスと腕を組み、やってきた彼女はエリゼ宮の記録に長く残るであろう衣装をまとっていた。
エリゼ宮の推奨ドレスコードはリトルブラックドレスにきちんとまとめたシニヨンヘア。だが"世界最高の美女"はその晩、マスキュリンなミリタリールックで現れた。ブランデンブルク騎兵隊の制服から着想した服はミリタリーブレイドがプリントされた黒い将校風ジャケットに、揃いのストレートパンツ。数日前、彼女は主演西部劇映画『シャラコ』の衣装合わせのためにロンドンへ赴き、その際も同じ服を着ていた。もしかしたら西部劇を宣伝するために着てきたのかもしれない。
「驚きましたね。堂々とあんなことができるのは彼女しかいません」と友人のジャン・ブカンは2014年のドキュメンタリーで語っている。あまりに多くのフラッシュを浴びたので、晩餐会の会場にこっそり入るなんてことはとても無理なことだった。イヴォンヌ・ドゴールが会場で彼女を見かけて卒倒しかけたという逸話も出回っている。

1967年、エリゼ宮に行く数日前にロンドンを訪れたブリジット・バルドー。同じ服を着用している。photography: Mirrorpix / Getty Images
一方、ドゴール大統領には大ウケだった。世間を騒がす伝説の女優にようやく会えたとウキウキの大統領は彼女を見かけるなり、「おや! 軍人だ」と叫ぶと自ら挨拶に向かった。そして対面すると「ああ、あなたでしたか。遠くからは軍人に見えましたよ」と続けた。
晩餐会を終えたブリジッド・バルドーは記者団に囲まれ、大統領とどんな会話をしたか尋ねられた。「とても感じが良くて、私の映画を見たことがあるとおっしゃいました」と彼女は穏やかに答えた。数日後、ドゴール大統領の要請により、エリゼ宮はブリジッド・バルドーをフランス共和国の象徴であるマリアンヌ像の新しい顔として選んだ。こうして彼女は、マリアンヌのモデルとなった最初の映画スターとなり、伝説的な存在としての評判をさらに確固たるものにした。
From madameFIGARO.fr
text: Augustin Bougro (madame.lefigaro.fr)






