「ストレンジャー・シングス」に隠しエピソードがあるってホント? 人々をこれほどまでに熱狂させる理由。
Celebrity 2026.01.07

シーズン最終話の放送終了以降、「ストレンジャー・シングス」は次々と憶測を呼び起こしてきた。その中には、1月7日に追加エピソードが公開されるのではないか、という噂まで含まれている。この熱狂は、私たちの時代をどのように映し出しているのか。その意味を読み解く。

Netflixで配信中の最終章「ストレンジャー・シングス」シーズン5に登場するエル。photography: Netflix
この余韻から、私たちは立ち直れるのだろうか。10年にわたって愛されてきた「ストレンジャー・シングス」は、シーズン5をもってついに幕を閉じた。全8話からなる最終シーズンは12月を通して配信され、物語は緻密で緊張感あふれる時間軸の中で展開していく。なかでも最終話は約2時間という長さで、ほぼ一本の映画に相当するスケールだった。Netflixでの配信開始と同時に、映画館で上映されるという特別な形も取られている。配信されたのは12月31日から1月1日にかけての深夜で、時間は視聴する地域によって異なったが、フランスでは午前2時。年越しのシャンパンの余韻が最高潮に達する、象徴的なタイミングだった。
期待がこれほどまでに高まったのは、最終話に先立つ7話の時点ですでに、一般的なドラマシリーズの枠を大きく超える長さだったからでもある。各話はいずれも約1時間半。シリーズに費やされる時間は引き延ばされ、視聴者は次第に日常感覚から切り離されたような没入状態へと引き込まれていった。いまどき、これほど長いエピソードを配信で観る人がどれほどいるのかという戸惑いと、物語がますます複雑化していくことへの高揚感。その相反する感覚のあいだを行き来する体験だった。物語は、物理学の理論や1980年代のロールプレイングゲームの奥深い設定(シリーズを象徴するモチーフ)を取り込みながら展開し、同時に無数の伏線や細部を散りばめていった。その結果、物語が明示しなかった部分や、十分に描かれなかった要素をめぐって、ネット上では結末や解釈についての考察が止むことはなかった。その熱は公式の完結後も冷めることなく、1月1日以降、SNSには極めて緻密で、時に思わず笑ってしまうほどユニークなファン理論が溢れ、ファン層の広がりをあらためて印象づけている。
「コンフォーミティ・ゲート」
突飛で、制御不能なウイルスのように拡散しているこの説には、「コンフォーミティ・ゲート」という名が付けられている。最終話に散りばめられた細部をつなぎ合わせたこの説は、Netflixが1月7日に『隠されたエピソード』を公開し、それこそが「ストレンジャー・シングス」の真の結末になるはずだと主張する。1月1日に配信された最終話は、登場人物にとっても視聴者にとっても幻想的な結末を演出する「仮のエンディング」にすぎない、というのだ。この理論には、Netflixに当該エピソードの公開を求める署名運動まで伴っている。署名は開始から24時間で15万件を集め、本稿執筆時点では30万件を超えていた。
こうした現象は、いまの時代をどのように映し出しているのだろうか。15年前、「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」が迎えた最終回は、視聴者に解釈の余地を大きく残したがゆえに激しい議論を巻き起こした。突如訪れる暗転は、結末の意味を観る側に委ね、物語の「共作者」となることを促した。その熱狂は、ひとつの世界観や登場人物に対する強い没入と依存を如実に物語っていた。同様の現象は、「ゲーム・オブ・スローンズ」の最終回がファンの猛反発を招いた際にも見られたし、「デクスター 警察官は殺人鬼」に至っては、批判のあまり結末そのものが作り直される事態にまで発展した。こうした前例は、いまや明確な一本の線を描いている。つまりシリーズの「終わり」とは、ファンが自分なりの物語を重ね、語りの主導権を手放さずにいられる余白を残すものでなければならない、ということだ。その意味で、「ストレンジャー・シングス」は、Facebook以降に定着した「誰もが何にでもコメントする」文化から一歩進み、視聴者自身が物語をコントロールしようとする「語りの文化」への移行を象徴している。ひとつの世界に深く没入する体験があまりにも強烈であるがゆえに、「終わり」という概念そのものが、ファンにとって受け入れがたい、あるいは期待と相容れないものになっているのだ。さらに言えば、作者、あるいは制作チームによって閉じられた結末が提示される時代は、終焉に向かっているのかもしれない。AIの登場によって、欲求不満を抱えた、あるいは単に創造的な無数のファンが、自分たちの愛する物語の続きを勝手に紡ぐことを、誰が止められるだろうか。結局のところ、いま私たちがシリーズ作品、ひいてはあらゆる物語に最も強く求めているのは、魅力的な登場人物を擁した「ひとつの世界」そのものなのではないか。その先をどうするかは、もはや見る者一人ひとりに委ねられているのかもしれない。
世代を超えて
だが、そもそもそれこそが、私たちをここまで熱狂させ、ある種の「狂気」に近い状態へと追い込んでいるのではないだろうか。「ストレンジャー・シングス」は、完全な依存にも似たかたちで人々の生活に入り込み、10年の歳月をかけて、文化的風景に欠かせない存在となった。その背景には、世代を超えた幅広い支持を獲得したことがある。40代、50代の視聴者はそこに自分たちの子ども時代の記憶やカルチャーの引用を見いだし、若い世代は、年齢を重ねること、無垢さを失うこと、感覚的・認知的な体験を通じて次の段階へと移行していく世界観を読み取った。そうした意味で、このシリーズは、世代間をつなぐ数少ない共通項のひとつとなったのである。さらに言えば、「ストレンジャー・シングス」は、ダフト・パンク以降、15歳から60歳に至るまで、年齢も生き方も異なる人々のあいだに橋を架けた、初めての文化的存在だとさえ理論化できるかもしれない。ダフト・パンクは、年齢層や国境を超えてシェアされた、最後の大規模な文化体験だったとも言える存在であり、彼らもまた解散という「終わり」を迎えながら、象徴的なモチーフを生き延びさせている。事実、デュオ解散後のほうが、かつてないほど多くの「ダフト・パンク」名義のアイテムが世に出回っているのだ。
では、世代はもはや相容れず、並行して生きていると言われるこの時代に、「ストレンジャー・シングス」は"不可能を可能にした"シリーズだったのだろうか。時間感覚を引き延ばし、私たちの認識や記憶に巧みに浸透し、時代を映し出しながらも無数の参照点を呼び起こすことで、本作は確かに私たちを熱狂の渦へと巻き込んできた。とりわけ最終シーズンは、都市の封鎖、世界の軍事化、複数の脅威が折り重なる状況、深刻なパラノイア、そして危機に直面した際に小さな集団で立ち向かわざるを得ない現実などを描き、強い同時代性を帯びている。それは、このシリーズがコロナ禍の5年前に始まり、その5年後に完結したという事実を、あらためて思い起こさせる。最終シーズンで示唆される「空間をつなぐ橋」というモチーフは、「ストレンジャー・シングス」そのものが、私たちの"以前の生活"と"その後"、すなわち現在を結ぶ橋であることを示す、これ以上ないメタファーなのではないだろうか。
From madameFIGARO.fr
text: Joseph Ghosn (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi






