【フィガロジャポン35周年企画】 ロンドン、ミラノ、フィレンツェ! おしゃれ人間が食べて旅しておしゃれする、1998年のフィガロジャポン。
Culture 2025.07.10
パリ生まれ東京育ちのスタイル誌『フィガロジャポン』は、2025年3月で創刊35周年。パリやパリに生きる人々の哲学から旅、ファッション、食、映画、そしてアートまでフィガロジャポンが発信してきた35年の歴史を編集長の森田聖美が当時の思い出に浸りながら、思い入れたっぷりに振り返ります。1998年に発売したすべての号をプレイバック!
1998年2月5日号(98年1月20日発売)127
ロマンティックなメイクアップって?
白とピンクでロマンティックのド真ん中を狙った巻頭特集。このメイクアップテーマは、メイクのハウツーに関しても、アイテム選びに関しても直球で、手前味噌ですが読み応えがある仕上がりだった。どんな色を使いたいか、それでどんな自分を演出するか? トレンドカラーは何か、というのが一発で理解できるシンプルな構成。また、映画の読み物では、北野武、淀川長治×アッバス・キアロスタミ、マノエル・デ・オリヴェイラなどにインタビュー。鬼籍に入った方々もいるが、世界三大映画祭の常連たちで贅沢。
1998年2月20日号(98年2月5日発売)128
リヴィエラ海岸、よりもコートダジュール。
イタリア&フランスの地中海沿いにフォーカスしたために、コートダジュールではなくリヴィエラ海岸という言葉で勝負した号。カラフルな壁の家々が並びつつ海抜け、という風景はこのあたりに来ると拝める絵だ。地中海の町は本当に食べ物もおいしく、陽の光がきれいで絵になる。巻頭特集に合わせて日本で買えるプチプリワイン企画もあり、当時ソムリエとしてセレクトしていたのはほとんどが来日していた西洋人であることに驚く。スーパーモデルのクリステルの東京密着日記や後のフィガロジャポンが大得意科目とする香水の企画もあったり。ジェンダーレスフレグランスへの橋渡しのような時期だったようだ。
1998年3月5日号(98年2月20日発売)129
クチュールな服への憧れを強調。
サブタイトルは「美しい服の時代がやってきた」。最近のフィガロジャポンも「美しい」というキーワードを頻繁に使用。やはり、アティチュードとしても、プロダクトとしても、時代を超えてもっとも大切なことのように感じる。表紙はコム デ ギャルソン。ヘアのアーティフィシャルなニュアンスも素晴らしく、川久保玲氏のインタビューも掲載。「常に見たことがないものを作ろうと思っている」という言葉が革命的な人物のものらしく、納得。オールファッションというほどモード撮影の豊富な1冊だ。
1998年3月20日号(98年3月5日発売)130
どうやってファッションを料理するか。
どの媒体もそうだと思うのだが、ファッションストーリーだけが連投されると読者も飽きてくる。切り口もそうだがレイアウトの見せ方も。シーズンに何号かあるモード特大号ではあらゆる工夫をしつくすくらいしていて、この号ではトレンド辞典AtoZが箸休め的にも読んで面白味を味わわせようという企みとしても上出来だった。ファッション用語だけでなく、ダミアン・ハーストやコートニー・ラブといった、カルチャーや女性像でシーズンキーワードになったモノ・コトまで紹介している。表紙のグッチのモデルがつけているリップカラーがすごくきいている。中面のグッチのストーリーではその効果がもっと発揮されている......撮影は設楽茂男氏。クールでスタイリッシュな作風なのだが、ご本人はとても明るいオーラで、どことなくポテチのプリングルズのイラストに似ているのだ。あとは、「誰よりも美しい背中づくり。」という美容テーマ。「見せるからには透明感のある美しい背中。」いいね!
1998年4月5日号(98年3月20日発売)131
そうか、この頃から!な企画のパレード。
90年代初めのほうのスポーツテイストのファッションはどこかまだクラシック感が抜けていなかった。でも、この頃になると、現在のスポーツテイストやリアルクローズに通じるアイテムやデザインが増えてきて、それがしっかり定着しているのが2020年代なんだな、と振り返って考えた号。スニーカーテーマもあって(筆者担当だった)、スポーツシューズという呼び方をしているのもなんだか昔だ。ほかにも、ある種のクワイエットラグジュアリーも香っている。そして美容は睡眠特集。ベッドマットや枕の選び方、アロマテラピーの活用法など、この時代から働く女性が睡眠の重要性に気付いて工夫をしていくのがルーティンに。
1998年4月20日号(98年4月5日発売)132
本当にクリエイター好き。
クリエイターというジャンルで人々をくくり、その人たちの暮らし方を紹介することがずーっと好きなフィガロジャポン。3都市のお家ルポはどれも愛らしくロマンティックで、ただしNYだけはこの直後に全盛となるインダストリアルなムードを醸している。実例を真似すべく、東京のインテリアショップの紹介もプラス。そして、筆者の永遠のテーマでもあるのはホワイトニングの美容テーマ。理論に学びが多いスキンケアだが、美白も新成分競争が盛んな時期であった。
1998年5月5日号(98年4月20日発売)133
アントニオ・バンデラスと盛り上がった!
表紙は筆者が取材したスペインはチンチョンの風景。アントニオ・バンデラスの大ファンなのだが、取材時にこの号を持っていったら、「このすぐ近くの劇場で舞台に上がったんだ!」と言われ、盛り上がった。うれしい思い出です。マドリードと田舎町の撮影は大変だった。光がきつい。光と影のコントラストがとても強いのだ。だから当時フィルムで撮影していたが、真っ黒な部分が出てしまう。そして食事のスタートが遅い。部屋に戻るのがいつも深夜で疲労した思い出......。でもスペインの人々は清らかだった。お掃除を大切にしていて、室内はぴかぴか。朝の外気の中、散歩すれば道はきれいに清掃されている。筆者は掃除好きなので、とても愛と共感を持った。今号で秀逸な撮影、それはタイアップのビオテルム。横波修氏がカリブのセントバーツで撮影している。色彩にあふれたヴァカンスコスメのページ。いま見ても、新鮮。
1998年5月20日号(98年5月5日発売)134
夏までにキレイになるための教科書。
女性はみんな思うものだ、肌を露出する夏までにキレイになろう!と。そしてできないのだ。なんてったって表紙はスーパーモデルのオナー・フレイザー。前にも書いたかもしれないが、当時はスーパークラスのモデルが来日していて、誰をキャスティングするか、他媒体にも負けたくないぞ!という競争心が女性誌編集部では常だった。メイクアップとスキンケア、ボディ、そして香りという4部作。パリコレ速報とフランス人女優と、キレイの教科書的に作ってはいた。
1998年6月5日号(98年5月20日発売)135
海外のファッションエディターのワードローブ。
海外メディアの編集者たちのワードローブ拝見!という特異なテーマも。カリーヌ・ロワトフェルドもいて、グッチのバッグやサンローランのジャケットは「らしい」マストアイテムでした。また、ジェーン・バーキン同様、シールをばしばし「ケリー」に貼っていた。若手モデルとしてオードリー・マルニーやエリン・オコナーにフィーチャーしたり、おしゃれスナップのページはわくわくがいっぱい。「スピリチュアルな女性シンガーたち」という音楽の記事を担当し、当時の編集長に「スピリチュアルという言葉がちょっと......」と渋い顔をされたが、編集長代理にサポートされて決行。いまでも持ち続けているアルバムもたくさんあり、深く心に残っている企画となった。サラ・マクラクランが土いじりが好き、と聞いて真似しようとした過去を思い出した。
1998年6月20日号(98年6月5日発売)136
おしゃれの小休止、夏支度のテーマ。
アールドゥヴィーヴルを大切にするフィガロジャポンは、ファッションアディクト、美容アディクトになってはいけない。生活を取り巻く360度でスタイルがあり、おしゃれであるべき。であるべき、と気張ってもいけない(←かえって疲労しそうだが)。今号は夏支度として、ファッション・美容・車・ワイン・雑貨まで網羅したヴァカンス気分全開の号。インタビューページは、故・吉武美知子氏によるロマン・ポランスキー。私生活まで語ってもらっている。また、ディオール時代のジョン・ガリアーノの滞在記も。京都まで追っかけていったみたいだ。
1998年7月5日号(98年6月20日発売)137
ミラノとフィレンツェでも全MAPの偉業。
ミラノとフィレンツェ、2都市を全MAPかつ街から訪れる田舎町まで取材して1冊にまとめるのは、もう偉業の域と言っても過言ではない。出張者も東京で待つ若手の編集者もマッパーと呼ばれて現地と時差を含めて長いやりとりを毎日する。この細かな作業......これは「技」というよりも「執念」の仕事であり、忍耐なくしてはできない作業なのです! けれどもページをめくれば、石造りの中世の美しい街並み、生ハムにワインに、美しい手仕事の革製品やアクセサリーなど、永久保存版になりうるのだ、と自身を鼓舞して編集部全員がんばっていました。コモ湖などは昨今はラグジュアリーブランドがショーを開いたり、ファッション方面からも新しい風が吹いている。
1998年7月20日号(98年7月5日発売)138
ロンドンが変わった!という印象を受けた。
旅人としてその国や街を眺めると、古き良きイメージと新しいスポット、両方に興味が沸くのは当然のこと。当時のフィガロジャポンはパリの次にロンドンを愛していたのではないか、と、比較しながら眺めると感じてはいたが、今号はロンドンが確実に進化&変化した!と感じさせる号だった。紹介するアドレスのインテリアはインダストリアルなムードになっているし、古い建物をリノベーションして新コンセプトに、という空間がやたら多かった。レイアウトの組み方にも進化が見られる、と感じた。フィガロジャポンは、「編集者は黒子に徹するべき」という故・蝦名編集長のもと雑誌づくりをしてきたので、担当エディターの名前がないが、個人的にもすごくこのロンドン号の担当副編集長が誰であったか気になった。カルチャー記事では、カンヌ映画祭レポートをずっと手掛けてくれている立田敦子氏が、インド映画の現場に訪れていた。俳優マニーシャ・コイララのインタビューまで! 羨ましい。
1998年8月5日号(98年7月20日発売)139
カリブ、記憶に残る取材旅。
当時、日系の航空会社がカリブまで就航していたこともあって、カリブは現在よりも身近だった。プレスツアーでジャマイカを訪れたこともあった。今号のカリブ特集では、筆者が半分を取材。とにかく交通手段が大変で、島から島への移動で一回は飛行機をチャーターしていた(もちろんそのほうが安価だった。空港まで行き、取材チーム4人が移動する金額よりも)。太陽がぎらぎら輝く飛行場の片隅で待っている時、その機のパイロットが時間に遅れて、かつTシャツGパンで降りてきて、コレは文化の違いなんだ、怒っても仕方ない......のだ!と強く感じたことをいまでも覚えている。いい人生の勉強になった。そしてダークラムが大好きになり、白い砂浜、海のブルーの色がこんなに深いとは!と自然の織り成す風景の違いにも感銘を受けた出張だった。筆者はもともとスキューバダイバーのため、海や船が大好き。飛行機以外にも小舟に揺られて取材先の島に着き、降り立った浜辺でアイスクリームを食べたのも甘い記憶。そしてデンゼル・ワシントンが宿泊したアンギラのホテルでの滞在も夢のようだった(もちろん取材はちゃんとしました)。
1998年8月20日号(98年8月5日発売)140
本当にかうべきファッションアイテムは「いいブランドの逸品」
なぜブランド品がいいのか、わからない、という人もいるかもしれない。モード誌を作っていて思うのは、「いいものには『いい』と言われる理由が確かにある」ということだ。それがよくわかるのは、ブランドが大切にしているDNAや歴史、背景、物語、ものづくりを知ると、長い時間のなかで培われてきた、そこで作られた品がベスト、と感じられる技があると信じられる。「秋のトレンドアイテム120」とトレンドを推しても、このブランドのコレを選びたいという目線で紹介。デザイナーインタビューでは当時のアントワープ派を牽引したアン・ドゥムルメステールのアトリエへ。彼女自身が美しい。そして2025年現在新デザイナーが引き継いで、再注目されているのがアンドム。美容特集はヨーロッパのきれいになるヴァカンス地。なんと贅沢な......出張撮影だったのか気になる!
1998年9月5日号(98年8月20日発売)141
パリのおしゃれを日本人のおしゃれ好き目線で。
日本人が好きなパリジェンヌというと、ボーダーにベレー帽となってしまいがち。でもパリシックスタイルに敬意を払うおしゃれ好きにとっては、パリのモダン化を意識した表現の仕方がある、という目線でパリのおしゃれを捉えた号。そんなパリの服、パリらしい服の着方が掲載されている。ユニークなのはイリエのページ。モノクロでモデルも細身ではなく表現力豊かな舞台女優のような趣。1冊の中にヨーロッパのトレンドとアメリカの情報がたくさん詰まった号。新進デザイナーたちが、ジェローム・ドレフュスからヴィヴィアン・タムまで登場。旅ガイドはストックホルム。故・松山ユキが仕上げたガイドは、やっぱりファッションエディターが作るガイドページはひと味違う、とレイアウトもハイセンス。
1998年9月20日号(98年9月5日発売)142
矛盾ではない? 贅沢な日常着。
フィガロジャポンは「日常着」というワードが好きだ。普段着ではなく、日常着。選ぶべきはいいカシミアや膝丈の上質素材のスカート、フラットのシンプルなシューズ。大人が着るべき服を真っ向勝負で紹介することは90年代からの定番特集だった。ただし、今号のワンモードストーリーはけっこうスペイシー。コム デ ギャルソンもミュウミュウも、撮影の仕方やライティングからして近未来的に挑戦している。ハイネック&ノースリーブのニットが流行った時代でもあって、綴じ込み企画の「東京ブランド」ではそういうデザインも多出。森で撮影するのも当時トレンドだったなあ、としみじみ思い起こす。
1998年10月5日号(98年9月20日発売)143
トスカーナ好きにも年季が入って。
イタリア特集では圧倒的に当時、フィレンツェを中心とするトスカーナ地方の企画が多かった。もしかすると、現在アート&デザインの識者として著名な木田隆子氏の影響かもしれない。今号はレシピ付きでアグリツーリズモや地方のおいしいリストランテを取材。これを書いているいま(夜中)、お腹がすいて仕方がないビジュアルだ。「モダンなフェルト服」のファッション撮影では、イエローのアイシャドウをしたモデルが、黄色い蝶を口元に加えたセンセーショナルなビジュアルがあって、これがそうとう心に残っていた。メイクのページは「赤」をテーマに。赤が主役になることは本当に難しい時代だったのだが、現在、メイクアップでは赤を基調にしたカラーが大流行なのだから、時代は変わるのだ。「パリのクリエイター新世代」特集では、ライジングデュオとしてクンゼル+デガを取り上げていた。フィガロジャポンは大変お世話になり、スピルバーグ監督作『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のタイトルロールを担当するほどの出世に。
1998年10月20日号(98年10月5日発売)144
アウター特集が読み込まれていた。
重衣料が売れる時はファッションの景気がいい気がする。当時はアウター特集が秋冬の定番だった。今号の綴じ込みもそう。2号前の紹介で"「日常着」という言葉が好きなフィガロジャポンは普段着という言葉はあんまり使わない"と書いたのに、この号は普段着。なかなか記憶がいい加減と思うが、いやいや普段着という言葉は本当にあまり使っていないです。ビジュアルに動物を演出で起用するのも当時編集部のトレンドだった。口元をまあるく髭で囲ったような泥棒風味の顔立ちで、どろちゃんと呼ばれていたリスザルが印象的でもある。美容は肌別・悩み別対策が求められていた。スキンケア最前線は読みどころが多い内容。こういう号では、美容ブランドでは新作をじっくり語り、商品を深堀りしたものだ。
1998年11月5日号(98年10月20日発売)145
ふたりというキーワード、編集者はおもしろかったのでは......?
インテリア特集はいつも評判がよかったが、今号は編集者たち自身も非常に楽しみながら作っていたと思う。パリ、ロンドン、ニューヨークの実例の中には、マリー・クリストフというワイヤーアート作家がいて彼女は後々もたくさんフィガロジャポンに登場した。NYからはジル・スチュアートが。末娘ソフィの子ども時代の写真は可愛く、ヴィンテージのうつわでいっぱいになった棚は素敵だった。インテリアの作り込みページも作った。長期連載していただいている岡尾美代子氏にスタイリングを、撮影を中川十内氏にお願いし、絶対に犬を使いたい、おしゃれカップルが好きなのはブルテリアだ!と言い張ったのは筆者だった......。岡尾氏がオレンジにクローブを刺したのだけれど、その時の香りがいまでも記憶に残っている。モード撮影ではブルース・ウェーバーが撮影していて、驚いた。ジュリエット・ルイスと原宿を回った特集も!
1998年11月20日号(98年11月5日発売)146
NY&LA、美の追求方法にも差がある。
ニューヨーク企画のほうではスーパーモデルが何人も登場、アディクションの初代クリエイターAYAKO氏がナオミ・キャンベルと並んで写っていたり、ミシェル・ヒックスにも美容法を伝授していた。個人的なお気に入りコスメを紹介してくれたのはラッキー。対する西海岸はオーガニックビューティの旅。スパやサロンだけでなく、身体にいいレストランまでも紹介。
1998年12月5日号(98年11月20日発売)147
ダイアン・クルーガーもワードローブ紹介。
当時ニューヨーク在住だった俳優のダイアン・クルーガーが私的ワードローブを紹介してくれていた。カバーは、フィガロジャポンでは2度目となるスーパーモデルのオナー・フレイザー。コレクション日記でも協力してくれ、プライベートを自身のSNSではなく誌上で紹介してくれていたのだな、時代は変ったなあ、と感じる。じっくり当時のビジュアルを見ると、モデルへの演出が徹底されていたように思う。現在よりもストーリー性が高い。ダサくならずにやりきるのは相当厳しかったのではないか? 特に「今夜は彼とカジュアルドレスで乾杯!」などというドレステーマでは。「指輪、時計、香水が私を変える 永遠のアクセサリー物語。」企画は筆者のバイブルとなった。隣でビジュアルスタッフとああでもないこうでもない、とやりあっていた塚本香氏の姿も含めてバイブル。そういえば今号は......ポール・オースターと村上龍氏の対談ページも。両者のファンだった筆者は本当に緊張した。オースター氏が「コーラが飲みたい」と言ったのが印象的だった。風邪をひいていたようで、アメリカ人は風邪をひくとコーラを飲むと聞いていたので、「マジか!」と思ったのを覚えている。
1998年12月20日号(98年12月5日発売)148
ラデュレも登場! おいしいパリ。
年末が近づくとグルメ特集が増えてくる印象がある。何回か、これまでもこれからもパリのお惣菜店をレシピ付きで紹介したり、人気レストランの味を再現するための紹介方法がとられてきた。本当にフレンチなんか作るのかしら?と、当時もよく思った。「スープ自慢の小さな店ではもてなしのセンスまで盗みたい。」こんなキャッチのセンスを盗みたい。ラデュレからは果実のタルトのレシピが掲載されていた。もちろんタルトタタンあり! 東京のデリ特集も役に立つ。ケータリングブームの先駆けでもあった。スタイリストの青木千加子氏が、いまでは鉄板の水色とレッドのコーディネートを披露しているファッション撮影も。ミュウミュウのフレグランス発売から鉄板となった、高度な色の組み合わせだ。
1999年1月5日&20日号(98年12/20発売)149
ピンク&ブルー、おしゃれのマニュアル。
12月時点で次の春のおしゃれトレンドを紹介する。常に他媒体に先んじて! ムキになってページを作っていた。表紙のピンクとブルーの世界観は女の子たちの永遠の憧れで、そのあたりを強く意識し、この表紙に選ばれた撮影は映画『ピアノ・レッスン』から着想している。ちょっとだけ中世風の演出が流行った時期でもあり、モデルのヘアスタイルによくそれがあらわれている。「人気ブランド春のお買い物BOOK」というページを担当し、コレクション写真を掲載しながら予定価格・参考価格を入れて、物欲を刺激して「買うこと」を絶対的に訴求した。どの百貨店やセレクトショップで買えるかも表にまとめたという......意地になって作っていた特集だ。フリーランスエディターの菊地愛氏が手掛けたフェンディのモードストーリーがとてもユーモラスでユニークだった。スーパーマーケットでの撮影。また、カルチャー特集ではマイケル・ウィンターボトム監督にフォーカス。『バタフライ・キス』という映画にどれだけ影響を受けたか。クランベリーズの曲がいまでも頭の中に響く。