『メットガラ』ファッションは芸術たり得るか?

Fashion 2017.05.02

From Newsweek Japan

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<ニューヨーク・メトロポリタン美術館のファッションイベント「メットガラ」の舞台裏を描く『メットガラ ドレスをまとった美術館』のアンドリュー・ロッシ監督に聞く>

毎年5月の第1月曜日に、ニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)で開催される「メットガラ」。美術館の服飾部門のための資金集めパーティーで(席料は1人あたり2万5000ドル!)、世界的なデザイナーやモデル、人気俳優など大勢のセレブが集うことで注目を集める。ガラの直後に服飾部門の企画展が始まるのが恒例で、15年は「鏡の中の中国(China: Through the Looking Glass)」展が開催された。

この華やかなガラと「鏡の中の中国」展の舞台裏に迫ったドキュメンタリー映画『メットガラ ドレスをまとった美術館』が4月15日に日本公開された。カメラが追うのは、ガラを主催する米ヴォーグ誌編集長アナ・ウィンターと、展覧会を担当する服飾部門キュレーターのアンドリュー・ボルトンだ。

監督のアンドリュー・ロッシはさまざまなドキュメンタリー作品を手掛けてきた人物。数々の問題を乗り越えながら2人が準備を進めていく姿をとらえ、「ファッションは芸術たり得るか?」という問いへの答えを探っていく。ロッシに話を聞いた。

◇ ◇ ◇

――『メットガラ ドレスをまとった美術館』の製作のきっかけは。

14年にアナ・ウィンターの事務所から連絡があった。僕が作ったニューヨーク・タイムズ紙についてのドキュメンタリー映画『ページ・ワン』をアナが気に入ってくれたようだ。

彼女は何年も前から、メトロポリタン美術館衣装研究所についての映画を作りたいと思っていたという。アナに密着したドキュメンタリー『ファッションが教えてくれること』(09年)は当初、この衣装研究所を描く予定だった。でも美術館の中で撮影することなどが難しく、R・J・カトラー監督は違う方向に転換した。

僕自身はこの話をもらったとき、世界的な宝物であり、素晴らしい文化的機関であるMETの裏側をのぞけることがうれしかった。同時に、「アートとは何か」「ファッションはアートの1つなのか」といった問題をきちんと掘り下げるものを作りたいと思った。

僕はこうした大きな文化機関や、大きなアイデアの裏側に入り込み、それを解き明かしていく作業が好き。服飾部門はMETの中でも既成概念を壊すような存在であることも面白かった。文化機関といえば、アナ自身もそう。『ファッションが教えてくれること』や『プラダを着た悪魔』では、典型的な押しの強い女性エグゼクティブ/編集者として描かれているが、そうした神話を自分なりに説明してみたいとも思った。

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米ヴォーグ誌編集長アナ・ウィンター(左)とMET服飾部門キュレーターのアンドリュー・ボルトン ©2016 MB Productions, LLC

――アナはニューヨークでいちばん好きな場所はMETと言っている。

アナはMETの理事で、服飾部門には自分の名前を冠したギャラリー(アナ・ウィンター・コスチューム・センター)もあるから、庇護者としての強い思いがあるはず。

ファッションを芸術ととらえ、ファッションが表現できることを追求していきたい、そんな自分と同じ思いを持つ人々が集まれる場所にしたいのだろう。そうしたコミュニティのためにも、自分の役割が大切だと考えている。特に今は、「METで衣装を着たマネキンを見ること」と競合する娯楽がたくさんある時代。だからこそ、自分の役割を真剣に受け止めている。

>>ウォン・カーウァイの見事なアドバイス

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――映画に登場するデザイナーの中には、ファッションが美術館に展示されることに懐疑的な人もいる。

カール・ラガーフェルド(フェンディ、シャネルでデザイナーを務めた)はファッションを(実用性をふまえた)「応用美術」と呼んでいる。彼が考える「デザイナー」とは、裕福で美的センスを持った女性たちの求めに応じて、そのアイデアを服にしていくこと。それはデザイナー個人の問題ではなく、シャネルに受け継がれてきたレガシーの一部でもあるが。

ラガーフェルドという人物がもともと、ファッションがアートと見られることに懐疑的であることは有名な事実。彼は、デザイナーが「自分の作品作りは......」と上から目線になることを憂えている。服飾とは美術的なものであると同時に商業的なものであり、密閉されたような美術館のような空間ではなくわれわれの生活の中に存在するものだと考えている。

ボルトンは、そういう捉え方もあると承知しつつ、芸術品としてのファッションの可能性を排除していない。どんな風に作られて、どんな文化的意味があり、どんな言語を持っているのか。第一印象を越えて、その意味を分析し探っていく価値があるかどうかを考えていたと思う。

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僕としては、その両方の意見の対立関係は大歓迎。むしろ異なる意見を見せて、みんなが考えるきっかけにしてほしかった。「ファッションは芸術たり得るか?」に対する僕の答えは、最後にボルトンが歩いている場面にある。

さまざまな服を着たマネキンがまるで生き物のように感じられた。お店でハンガーにかかっている服とは違い、生き物のように見えたんだ。ほかのギャラリーに展示されている美術品や彫刻と同じようなレベルまで、それらの作品は昇華されていた。これが僕の答えだ。

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15年の企画展「鏡の中の中国」 ©2016 MB Productions, LLC

――1人の人間が物の見方を変えることもある、そんな可能性を見せてくれた映画だと思う。あなた自身が発見したものは?

作り手として、映画作りの中で学んださまざまな教訓を真に自覚するのは難しいことでもある。もちろんアートとしてのファッション、伝達手段としてのアートというものへの理解は深まったし、METに身を置くことで美学というものの伝統への認識を深めることもできたが。

僕がすごくわくわくしたのは、(映画監督の)ウォン・カーウァイを撮影できたこと。彼は「鏡の中の中国」展のクリエイティブコンサルタントを務めていたが、例えば中国文化を表現するときに気遣うべき点について、すごく穏やかに、でもしっかりとボルトンを導いていた。そこにすごく感銘を受けた。

映画ではカットしているが、照明デザインやインスタレーションへの貢献でも素晴らしいものがあった。柔らかいけど的確な、物事への関わり方は見ていてとても興味深かった。

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ニューズウィーク日本版より転載

大橋 希(Newsweek記者)

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