栗野宏文とシトウレイ、ファッションの未来を語る。

Fashion 2020.11.25

ユナイテッドアローズでクリエイティブディレクションを担当している上級顧問の栗野宏文さん、madameFIGARO.jpでも連載をはじめボーテスターとしても活躍するシトウレイさん。そんなふたりが、ちょうど同時期にファッションに関する本を刊行。

それを記念して、本について、これからのファッションシーンについて、話を聞いた。
まずはおふたりの本の紹介からスタート。

―――栗野さんの本について

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『モード後の世界』
●栗野宏文著 扶桑社刊 ¥1,650

「『フィガロジャポン』で20年くらい前から、15年間くらい連載をさせてもらっていた『モードとアートの交差点』は、愛読してくださっていた人も多くて、本にならないんですか?と言う声も多く頂いていました。連載が終了した後にパーティで出会ったある編集者の方があの連載がお好きだったそうで、本にしませんか?とお誘いを受けまして。2019年に出版社が決まり、2020年の夏に出版に向けて、準備が進んでいるところで新型コロナウイルスの流行が始まったんです。
本の前書きにも書きましたが、1〜5章はいつ読んでもいい普遍的な内容、時代に関係なく、5年後でも10年後でも通用する内容だと思います。それはそれで、2020年に出すことの意義があると思いましたが、この本の編集中に新型コロナウイルスの感染症が広がりどんどん世の中の状況が変わってきて、僕のところにもいろいろな人から『世の中、どうなるでしょう?』といった質問がやたら来まして。僕は、ファッション業界の先輩のような立場として、洋服屋はやっていけるんだろうか? 雑誌は、今後も買ってもらえるだろうか? ファッションショーってこれからも行われるのか? といった質問に答える責任を感じました。
そして、ドリス・ヴァン・ノッテンからは、もういままでみたいなペースはやめて、ショーは年に2回で良しとして、プレコレもなしにして、人の移動と材料の使用も極力減らし、地球の資源と人の時間を大事にしようよと。そもそも人の移動も二酸化炭素を排出するから。で、ドリスが自分たちもメッセージを出すから、栗野も参加してくれないか、との話があったのが5月くらいだったんです。じゃあ、個人で栗野としてメッセージを出すよりは、ユナイテッドアローズ社の方針として持続可能なことにできる限り取り組んでいくことを決めたんです。で、僕の本が出るのが8月か9月の予定だったので、そうするとタイムレスな内容だけよりも、いまでしか、コロナ禍で全世界が大騒ぎしている現在にしか書けないことをちゃんと書いて、読む人にリアリティを持ってもらった方がよりいいんじゃないかと。で、『フィガロジャポン』の連載時には書いてないことを前書きと後書きに加えました。いま、起きていることを前書きと後書きに記し、タイムレスなことをその間に挟みました。その結果、本の内容は、よりタイムレスな感じが増したなと思っています」

―――シトウさんの本について

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『Style on the Street: From Tokyo and Beyond』
●シトウレイ著 Rizzoli刊 オープン価格

「この本を作ったきっかけは、イントロダクションにも書きましたが、私自身がファッションの道を進むことですごく楽になったことがあったから。それは、ファッションって他者との比較ではなくて、自分自身を掘り深めることだと気付いたことです。それからファッションってすごく楽しいものだと思うようになりました。その経緯をこの本で表現したくて、さらにみんなに伝えたらより人生がハッピーになるんじゃないかなと。それを目的にして本を作りました。このスタイルブックでは、2008〜19年までのスナップを集めて編集してあります。
 いまはコロナの流行でマスク着用が定着していますよね。私自身、初めはマスクが嫌だった。いまもあまり好きじゃないけど、でもしなくてはいけないのでしていますが、写真を撮らせてもらう時も初めの頃は、マスクを外してもらっていたんです。けど途中くらいから“マスクありもありかも!”と思うようになりました。っていうのが、多分、マスクを着けたスナップはいましか撮れないだろうなってことに気付いたから。いましか撮れないのに、わざわざマスクを外してもらうのはもったいないと思いまして。いまではマスクに対しての皆のマインドが変化してきたんじゃないかな。もう諦めちゃって、いつかはなおるからその場しのぎのマスクですっていうのではなくて、どうせ付き合っていかなくてはいけないから、マスクを楽しもうというムードになっているような気がします」

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そんなおふたりに、現在のこと、これからのこと、そして日本のファッションシーンの未来について、大いに語り合ってもらいました。

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フィガロ:コロナ禍のいま、おふたりのライフスタイルやマインドに何か変化はありましたか?

栗野:これからファッションは? マスクはどうなるの? って話、よく聞かれるんですけど、多分、日本人がいちばん、この状況に慣れてきていますよ。もともと花粉症の流行でみんながマスクをする時と新型コロナウイルスが流行った時期が一緒だったしね。それで日本ではマスクは受け入れやすい状態だった。僕自身はいたって元気に現在まで生きてきて、シトウさんと一緒で、これまでマスクをしたことがなかった。でも、今回は人にウイルスを移すわけにはいかないのでマスクを身に着けるようなりました。でも、いわゆる医療用のメディカルなマスクはマインド的にウイルスに負けている気がして受け入れられず、だったらおしゃれなマスクを作っちゃえと。で、「テクスト」っていう地球に負荷をかけない、サステナビリティをテーマにしたブランドにオーダーしました。もともと、彼らの展示会でテクストのオリジナルの白いマスクをもらったんです。鼻の部分も高くて息がしやすくて、着け心地がいい。それで20〜30個、作ってもらうことに。その後販売にも繋がりました。オーガニックコットンの生地で無地とチェックを作りました。その日の服の色や柄とコーディネートできるようにね。今後、ドットやペイズリーも作りたい。今年、3月くらいに売り出していま、累計で1000個くらい売れています。

シトウ:どうせマスクするなら、こだわりたいですもんね。

栗野:今日はパンツやコートと合わせて、このマスクを選びました。

シトウ:もうマスクはファッションアイテムになりつつあるのかなぁと思いますね。嫌だ、嫌だと言っていても始まらない。どうせするなら、こだわりたいなと思います。

栗野:自粛ムードが広がって、接客を伴う飲食店も閉まった。その代わりに、ネットを使って営業したり、いまでは店も再開しているけど、フェイスシールドを着けて接客したりね。人間、逞しいなと思いますよ。コロナウイルスは世界中で猛威を振るっていますが、僕の体感値だと日本がいちばん、いい意味でも悪い意味でもコロナウイルスに慣れたと思う。だから一歩二歩、先に行けるんじゃないかな。だから、ギャルソンのショーもフィジカルで開催したし。
 ワクチンや特効薬はもちろん必要だけど、〇〇ができるまで我慢しなくてはいけない、または我慢しようね、というメンタリティって人に蓋をすることになるじゃないですか。恐らくシトウさんとか、僕みたいなタイプはいつでもポジティブなんですよ。シトウさんの本にも書かれていたけど、いつでもオープンでいたいんです。自分が楽しくなれるってことがおしゃれの大前提だから。じゃあ、マスクするのなら、おしゃれなマスクをしたい。いまは〇〇だから、って言い訳は自分には課さない。この状況の中でできることをやって、なんだったら一歩でも二歩でも先に進んじゃえっていうのがいまの気分ですよね。

シトウ:この間、25歳くらいの女の子と話をしていた時に、マスクにつけたビーズの長いストラップがすごく可愛くて、私もパカッと視界が開けたというか。「自分で作ったんです、暇だから」って。そして、その長いストラップを2重にするとネックレスになるんです。それが私にとっての突破口になりました。どうせマスクするなら、楽しんじゃおうって、アクセサリーにしちゃおうっていうアイデアと、そこに割と早い段階でシフトしている女の子たちが印象的で。そこから私のマインドが変わりました。

栗野:新聞記事で読んだのだけど、イタリアでも手作りマスクが流行り始め、アフリカでは民族柄のマスクが人気があるようで、だからいまの状況に対して楽しむ、または工夫ができるかできないかですごく大きく変わると思う。

シトウ:捉え方で、変わってきますよね。

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マスクを着けない権利、西洋と日本の文化の違い?

栗野:これは僕の本にも書いたけど、もっと広い視野で見ると西洋型の個人主義は結構、行き詰まっているわけですよ。たとえば、フランスやドイツでは「マスクを着用しない権利を認めろ」という内容の大きなデモがあったわけです。マスクを押し付けるなって気持ちはわかる。でも、自分はかからない、またはかかっても平気だとしても人に対してってこともあるわけでしょ。それを考えたら、やっぱりマスクは着用しますよね。西洋の場合は、自分の権利を徹頭徹尾、主張する!ですよ。最後の最後まで。それが守られることが大事。もちろん、その状況と日本みたいに忖度と同調圧力の国のどっちがいいかという話になると、意見は分かれると思うけど、でも忖度と同調圧力だけじゃなく、もうちょっと人を敬うとか、人とうまくやっていこうとするとか、もっとポジティブな面もあるじゃないですか。

シトウ:思いやりを持って、円滑にですね。

栗野:だから、これは本には書かなかったけど、パンデミックの世界に何が必要かって話で、フランスの政治学者のジャック・アタリという学者が利他主義って言ってるんです。他者に対して尊重するってことね。
その反対語は利己主義、エゴイズムです。それで一部のファッションの概念って、ちょっと前まで下手すると利己主義だったんじゃないかなと。自分はいちばんおいしいものを食べて、いちばんいい服を着て、世界で何万頭に1匹しかいないワニの革を使ったバッグを持って、誰よりも贅沢したい。それで自分はいい気持ちになるみたいな。別にそれで誰かに迷惑は掛けてないけど、割と孤独な行為っていうかね。誰かのことを思うというよりは、私が、俺が幸せになりたいと。自分はちょっと違うんだよね、ってことにお金を使いたい。多分、それはマスクをしない権利もあるでしょ?という考えと一緒だと思う。だから、彼らの問題はなかなか解決しないと思った。

シトウ:今日、テレビで観たんですが、フランスではマスクは“自由の抑圧のシンボル”だって。その結果、夜の外出が禁止になったりしていて。

栗野:日本は仏教徒と神道が交ざった国で、情けは人の為ならずという表現がありますよね。要するに誰かに親切にするってことは、最終的に自分に返ってくるんだよって。この考え方が一種の利他主義なんですよ。別に親切や善人だから人に良くしているのではなくて、最終的には自分も気持ちよかったり、何なら自分も得するんだよ。だから人には親切にしときなさいってこと。たとえば、金は天下の回りもの、とも言うけど、いまなら、応援消費みたいな考え方もある。困っている店で積極的にお金を使いましょうよと。そのうち、お金が自分のところにも回ってくるから。

シトウ:右の頬を叩かれたら、左の頬を出せ、みたいな博愛精神の利他主義ではなく、自分のための利他主義ですよね。最終的に自分に戻ってくるものがあるから、できることだと思う。

栗野:そうそう。おそらく、利他主義って言葉は西洋にもあるくらいだから、コンセプトとしてはあるけど、割と日本の場合は根付いているなと思いましたよ。ただそれが行きすぎてしまうと自粛の強要とかマスク警察みたいな同調圧力になる。でも恐らくはいい部分が作用しているから、いろいろなことが落ち着きつつあるし、経済も回りつつある。実際、いま、洋服もまた売れ出しているんですよ。

シトウ:確かに、先週1週間、東コレで写真を撮っていたんですが、こんな状況でお服を買う子はやっぱり買うんですよね。独創的な服を着ている18〜19歳くらいの男の子がいて、日本でまったく売っていないNYのデザイナーの服をインターネットで買ったそうで。とても高価だけど、どうしても欲しくて買ったそうです。そんな子もまだまだいるし、おしゃれしている若い子も多い。みんな金銭的には無理をしているけれど、頑張って買うという子も健在だなと。特に男の子はすごく買い物しますよね。

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ファッションはカルチャーであり、スタイル。

栗野:そのモチベーションに意味を感じている。だから、欲求不満の解消ではないんですよ。僕の本の中でも、何度も言っているのが「ファッションはカルチャー」ということ。それこそ、シトウさんたちのお陰ですよ。日本ではファッションはカルチャーだから。その服の向こう側に、こんなものを作っている人、売っている人がいる、そしてこんな思想で仕事をしているとかが重要なんです。あるいはスケボーだと、スケボー仲間がいるとかね。うちのスタッフもそうだし、高い服も頑張って買って、自分も精神的にハッピーみたいな。何か買って、それを自慢して終わりじゃない。そこから続いていく物語があるわけです。そこが日本では大切にされているんだと思う。しかも昔と違うのは、たっぷり着たし、もういいかなと思ったら、メルカリみたいなサイトで売ればいいんですよ。

シトウ:みんな、服を回していますよね。20万で買って、15万で売ったら、5万円で買ったことになるから、割とそれを続けているみたいな。そのサイクルがいいとするかどうかは個人の見解だと思いますが、ただそれをして、服を買い続けて、服を楽しみ続けている子がいるってのは、日本にとってはすごく光だなと思います。

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デジタル時代のファッションショーについて。

栗野:そうだね。それが日本のファッションカルチャー及び、消費って言葉は好きじゃないんだけど、ファッション消費を支えていると思う。多分、シトウさんはデジタルでNY、ロンドン、ミラノ、パリ、東京のコレクションをチェックしていると思うけど、それぞれの都市のメインのテーマがやっぱり結果的に、それぞれの都市のファッションカルチャーを如実に表しているよね。ロンドンは、インディペンデントっていうか、デジタルもリアルもすごく多種多様。僕はこれ、私はこれ!メッセージもあったりする。NYコレクションは逃避。いまのコロナ禍はいやだから、何とかそこから逃避する夢が見たい、みたいなね。で、ミラノは割と早く元に戻んないかな、みたいな。パリは自然への憧れ。東京を見ていると、ロンドンっぽい自分は自分でいい、っていうのと自然に憧れる部分もあるし。でも東京ってすごくリアルですね。いい意味でリアル。リアルだけど、つまんなくない。それが東京のファッションを支えている子たちの落としどころのうまさだなと思う。

シトウ:やっぱり東京のショーは、ショーの服をそのまま着て帰れる服が多いかなと思いました。ギリギリね、ギリギリ着て帰れるかも。でも、自分の彼氏だったら嫌かなみたいな(笑)。そんな落としどころが多かった気がします。街で歩いて、ギリギリOK、友達の友達くらいだったら。写真は撮りたくなる。自分の本をあらためて見ると、すごくジャンルレスでいろいろ撮ってるなと。ただ11年間分くらい撮ったから、昔の写真は私自身も古く感じるのかなと思っていたんですよ。そうしたら、案外、そんなことはなくて。なぜだろうと思ったら、多分、私はファッションではなくて、スタイルを撮っているからかなと、それは自分の中での発見でした。

栗野:シトウさんは、自分では気付いてらっしゃらないかもしれないけど、あなたの本の中で触れているスコット・シューマンと根っこは近いよね。スタイルを撮っている。

シトウ:おしゃれな写真を撮っているわけじゃないので。

栗野:やっぱり、僕の本の中にも書いたんだけど、コレクションのスナップも途中からブランド合戦みたいになっちゃって。ショー会場がブランドものを着て、見せに行く場になっちゃって。なんならブランド側もその人に服を貸しちゃったりして、レッドカーペット状態になっている。それって本筋と違うじゃんってね。

シトウ:だから、スコットはその辺は撮らないですもんね。街に行ったりとか。

栗野:本当に人がおしゃれをすることの原点は、自分が自分でありたいとか、自己表現したいとか、自分が考えているメッセージを服という形で出したいとか。あらためてシトウさんの本に掲載されている、そういうスタイルのある人たちを見ていると、やっぱりこれじゃない?って思いますよね。

シトウ:スナップも2つの流れがありますよね。変わらず、スタイルのある人。そして、ビジネスとして服を着て写真を撮られる人。それはブランドから提供された服を着て、現れて、写真を撮られるという一連のビジネスです。いまはそのマーケットが成り立っている。

栗野:ただやっぱり新型コロナウイルスで、これからインフルエンサービジネスは衰退する可能性はあると思う。シトウさんが追っているスタイルのある人は、自前でやっているからね。

シトウ:インフルエンサーはちょっと難しいかもしれない。ショーにも行けないし、行ったところで服も借りられないし。ショーに関しては、次は来年1月のメンズコレクションですよね。パリコレが終わったばかりの2021年春夏シーズンの状況を鑑みると、以前のようにリアルでランウェイショーを開催するのはまだ難しいですよね。

栗野:難しいね。しかも新型コロナウイルスが落ち着いたところで、リアルとデジタルのショーはかかるお金が全然、違うから、これからもずっとデジタルでいいというデザイナーもいると思いますよ。

シトウ:デジタルの方が合っているブランドもありますしね。イメージだけ見せて、それで売れるブランドはデジタルでもいいのかなと思う。この間、エルメスのメンズだったかのショーをデジタルで拝見した時、めちゃくちゃ完成度が高くて。

栗野:それメンズじゃない?

シトウ:最初から最後まで一発撮りで作った映像です。

栗野:エレベーターから始まるやつね。あれはメンズ。あれは素晴らしかった。

>>エルメス含むオンライン発表で見るべきムービー。

シトウ:それです。その映像のクオリティがすごく高くて。しかもすごい短時間で制作しているわけじゃないですか。それを考えると以前よりエルメスのことが余計に好きになったんですよ。これはすごい!と思いました。その時に私が感じた『好き』って気持ちが、大事だから、それをデジタルで喚起できたのなら、実際のショーをやる必要ないのかな?と思いました。

栗野:リアルなランウェイショーで新作を発表するのが最善の策ではないってことに、みんな気付いたんですよね。そういう意味では、地政学すなわち、各都市が持っていた力関係も変わった。だって別にパリに行かなくていいんだもん。
最新作は、東京にいて画像で観ればいいんだから。それでもパリの街が好きなら行けばいいし、行けばリアルなショーも幾つか観られるわけだし。僕も、パリのあの店にごはん食べに行きたいなとか、百貨店のボンマルシェに行きたいな、ショーも観て、展示会で服に触れたらいいなと思ったりはしますよ。でも、絶対マストで、すべてがフィジカルじゃないといけないとはもう思わない。

シトウ:そもそもいままで、量が多すぎた気もする。たくさんのショーやプレゼンを回って、一体、今日は何を観たんだっけってなるより、半分フィジカル、半分デジタルくらいの方が人間的だなって思います。自分も楽しいし、そこまで疲れないし、記憶の中でちゃんと完結できるから。コレクション取材を楽しめる余裕があるって大事ですよね。

栗野:これまでのコレクション取材では、スケジュールが過密すぎて。観るものは素敵なのに、そんなに疲れてどうすんの?みたいな。それじゃあショーを楽しめないでしょうと。

シトウ:その過密スケジュールに追われながらのコレクション取材の大変さすら楽しめたらいいんですけど、閾値を超えてきたら、もはや修行でしかない。だったら、デジタルとフィジカルが半々くらいの方がいいかな。今年10月の東京コレクションは、デジタルも多かったのでスケジュール的にも緩くて、すごく楽しかった。ストリートスナップもちゃんと撮れたし、あれはあれでアリって感じでしたね。

栗野:今後、リアルなショーも戻ってくるけど、以前みたいに過密スケジュールのコレクションは戻ってこないね。何しろ、デザイナー側からしてもかかる予算が全然、違うから。日本のデザイナーが海外のコレクションに参加する場合、会場費、モデル代、自分たちの渡航費に滞在費など諸々の莫大な経費がかかるけど、デジタルだと各都市のコレクション協会への登録費と映像制作費だけで済む。

シトウ:それは、若手ブランドにとっては希望の光ですよね。いまこそ、海外のコレクションに参加するチャンスだと思う。

栗野:そう、若手にとってはいい時代ですよ。2021年春夏シーズンも「ワタル トミナガ」がNYコレクションの枠で見せたり、東京のコレクションの枠でほかの国のデザイナーが新作を発表しているのは、そういうこともあると思う。コレクションを箱に見立てた場合、どの都市のボックスに自分が注目しているか。そのボックスの中身を観たい人がいるわけだから。デザイナーも自分といちばん、相性が良さそうなボックスにエントリーすればいい。東京コレクションも変わってくると思いますよ。

シトウ:バイヤーさんの買い付けはどうなってるんですか?

栗野:海外でのバイイングはほとんどデジタルです。実際の服には触れないけど、「ドリス・ヴァン・ノッテン」とか「ラフ・シモンズ」は生地の見本を送ってきました。東京ブランドの「カラー」も海外だけで68軒、生地見本を送ったとか。コート、シャツ、パンツなどなど、色展開も幾つもある中で、それぞれの生地を小さく切り出して見本を作る作業は、予想よりも遥かに大変だったみたいですよ。アシスタントさんが何日もかかって仕上げたそうです。でもその大変な作業をやったから、世界からオーダーが入るわけですよ。極論、それらの作業をきっちりこなせば、ショールームなどを持たなくてもビジネスができるわけです。ファッション業界のこの状況って、不動産業と旅行業界にも痛手なんですよね。オフィスやショールームがいらない、そして移動しないから、渡航費もかからないから。

シトウ:まだいまは模索中だと思いますが、その辺りも含めて、東京のファッションシーンやブランドの進む方向性も変わってきますよね。

栗野:新型コロナウイルスへの対処法も含めて、日本ってやっぱりやりながら考えられる国だと思うんです。日本の生活者っていま、お買い物が本当に上手になっているから、消費しながら学習しているんで、同じ過ちを繰り返さない。だから、セールでも売れないものがあったり、高くても売れるものがあったりする状況まで来ている。それは恐らく、消費の成熟だと思うのね。そしてそれを提供しているのは東京のデザイナーたちじゃないですか。だから、東京のデザイナーもどんどん進化していくと思うし、あー、うまい進化したなぁと。僕はまだ観てないんだけど、「ハイク」とかね。すでに観た人が「すごくいい進化の仕方をしてる」と話していたし、あとは「ザ・リラクス」とか「チノ」とか。やっぱり、東京ベースのデザイナーにとってはいま、チャンスだよね。

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日本ファッションの今後って?

フィガロ:今後、日本のブランドはどのような方向に向かっていくんでしょうか?

栗野:新しい生活様式って言葉はあまり好きじゃないけど、このコロナ禍では、それを受け入れざるを得ないじゃないですか。
そしていまもう、その新しい生活様式に入ってるんですよ。

シトウ:そうですね。新しい生活様式に対応しようかなって、マインド的に受け入れ始めている。良くも悪くも日本人って流されやすいところがあるから、それが良かったのかなぁって。適応能力が高いし。だから今回の新型コロナウイルスの流行でも暴動やデモは起きないんだろうと。それって日本人の特性なのかも知れない。

栗野:国民性として流されやすいことが問題になることもありますが、とりあえず、皆が平和に暮らせるということにおいてはいまの日本人の基本的なマインドの在り方は悪くないと思う。

フィガロ:日本ブランドたちの強みは何なのでしょうか?

栗野:強みは、日本はものが作れること。中国製の場合、中国がロックダウンしてしまったら服が作れないわけですよ。
ユナイテッドアローズは、中国製もあるけど、日本製も多いから、新作のデリバリーも通常どおり入ってきている。そのデリバリーの正確さも魅力で、日本のブランドが売れている部分もあるんです。今後も、日本には生地屋さんがある、縫製工場がある、雑誌もある、フォトグラファー、スタイリスト、エディターとすべてが揃っているから、業界が回るんですよ。
いま、アメリカやイギリスでものを作ろうとすると何かの要素が欠けてくる。全部が揃わないんですよ。だから、生産機能を持っている国、日本や韓国、中国にイタリアの一部やポルトガルは生き残れますよね。

シトウ:意味消費がすごく強くなっていますよね。

栗野:そう思う。意味消費、応援消費。対比消費とかね。日本人独特のマインドにその考えがあっているんだと思う。

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日本のコスプレ文化と西洋のセクシー文化。

シトウ:自分のためでもあるけど、誰かのためにもなるよ、みたいなね。特に若い子はそのマインドが強いと思います。私が若い時は自分のためしか考えてなかったけど(笑)。もちろん、ファッションやスタイルにおいての主張はするけど、ジャイアンタイプが減っているというか。でもコスプレもそうですが、主張はあるんですよ。コスプレイヤーって日本がいちばん、優れてるんです。自分で作ったりして。コスプレのクオリティがすごく高いのは、日本にはマーケットがしっかりあるから、ちょっとだけコスプレしてみたいなと思ってもすぐにトライできる。フランスでコスプレするのはハードルが高いと思うんですけど、日本だとちゃっちゃとやれて自分のファッションへの欲求を満たすことができるから、普段は普通でいいってなるんでしょうね。

栗野:僕の本にも書いたんだけど、海外から見ると、コスプレは日本のカルチャーのひとつに見えているでしょうね。言ってしまえば、いわゆるファッションピープルっていうのは、「ストリート」や「フルーツ」みたいな雑誌を少し下に見ていたところがあると思うんですよ。僕の本にも書いたんだけど、海外の人は、あれが日本のファッションのおもしろさだと思うわけ。シトウさんの写真は、その両方をカバーしているからよりおもしろいと思う。「フルーツ」で紹介されるような子も撮るし、パリコレの会場にいるような人もカバーすると。目がフラット、自由だし。

シトウ:私の目がフラットなのは、東京のストリートが私のルーツだからだと思います。もし私がパリで育っていたら、日本人のあのガチャガチャした感じの子を撮る時に割と見下して撮影していたんじゃないかな?って。でも私は東京のストリートからスタートしたし、あの子たちが好きで撮影を始めたし、それが広がってパリコレの会場でも撮るようになった。私にとってルーツが東京だったのはすごくラッキーなことだったなと思います。海外といえば、栗野さんの本にあった、セクシーについての話もおもしろかったです。海外の人とはセクシーに対する感覚が全然、違いますもんね。

栗野:海外の人たちは、セクシーじゃないといけないから、大変だよね。しんどいと思う。日本はセクシーじゃなくていいからね。男性も女性も、セクシーであることを踏まえて、服を選ばないといけないんですよ。そのマインドは日本人にはない。和服にはあるんだけど、それは和服を着るっていうスイッチが入らない限り、いらないから。

シトウ:セクシーじゃないゾーンがあるってだけですごく楽じゃないですか。「コム デ ギャルソン」もそうだし、以前なら森ガールみたいなのも。日本には、セクシーじゃないチョイスがいくつもある。それでも、それらのセクシーではない女の子たちが可愛いとされているんですよ、日本では。
海外の女性のセクシーは見せること。いっぽう、日本人女性のセクシーは見られること。見られることを前提に仕込んでおく。意図的ではなく、自然な感じで見られているのがいいと。レイヤーがひとつかかってるんですよ。「フミカ ウチダ」の服とかそんな感じですよね。

栗野:和服って、基本チラリズム。だからそのあたりのマインドって、和服の精神だよね。偶然、着物の裾が弾けるとか、首の部分から深いところまで見えちゃうとか、それですね。

シトウ:それ絶対、偶然じゃないでしょ?みたいなね。

栗野:そうそう。いやならちらりと見える着物の着方をしなきゃいいじゃんみたいなね。

シトウ:相手に発見させる喜びを与える偶然性のセクシーが日本らしい。

栗野:恐らく、日本におけるファッションのコミュニケイティブな部分って、そこにもあると思う。海外は、見る・見られるのカルチャーだから、それはこの本にも書いたけど、なぜ、パリのカフェの席が外を向いているかというと見る・見られるが大前提だから。日本の場合、見られなくてもやっているし、なんなら見られる時に、見られたとしたらこうだよねっていうのも先取りしているんですよ。見せているんじゃなくて。

シトウ:俺、かっこいい格好をしているつもりないのに、勝手に見られちゃってる、みたいなね。

フィガロ:最後に、おふたりはいまのファッションの潮流をどう読み解かれますか?

栗野:ありとあらゆるものがOKになる。マイスタイルがいちばんいいと思う。ものの買い方としては、そのものが世の中に迷惑かけてないかなとか、それらのことにすごくコミットしていくと思いますよ。特に若い子達はそんなことを勉強していますから。ものの買い方としては、サステナビリティを意識した方向に向かっていくと思う。それがスタイルにどう反映されていくかはわからないですけど。多分、もっとシトウさんの本に紹介されている人たちみたいに、私は私。人は人、って流れになっていくと思いますよ。

シトウ:そうですね。トレンドはもう機能しない状況になっているから、これ流行ってるから、みたいなのはもうワークしないと思う。個人の時代になっていくんじゃないかと思います。その個人の選ぶ基準にサステイナブルや配慮の要素がデフォルトで入っていく時代になると、作り手側も考えないといけないですよね。

栗野:もうそうしていかないと、地球が残らないからね。

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栗野宏文
「フィガロジャポン」本誌でも長年にわたり、『モードとアートの交差点』という連載を執筆、読者の人気を博していたユナイテッドアローズでクリエイティブディレクションを担当している。今年、初めての著書となる『モード後の世界』を上梓し、話題を集めている。

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シトウレイ
東京のストリートでフォトグラファーとしてのキャリアをスタートさせたシトウレイさん。そんな彼女が独特の視点で捉えた“スタイルのある人”の写真を集めたスタイルブックがこのほど、発売された。

 

interview et texte:TOMOKO KAWAKAMI

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