世界中で愛される、失敗から生まれた12の料理。

Gourmet 2018.08.15

世界中で愛されている料理の中には、間違いやうっかり、アクシデントから生まれたものも多い。人気料理の誕生秘話を紹介しよう。

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もとからリンゴベースだったタルト・タタン。いまでは洋ナシやアプリコット、モモなど、別のフルーツによるバージョンもある。photo:iStock

タルト・タタンやチョコチップ・クッキーが好きな人は多いだろうが、これらはともするとこの世に存在していなかったかもしれない。『Géniales erreurs de la gastronomie française(フランスの美食文化を彩る、素晴らしき失敗)』の著者クリストフ・マランジュが、人気料理誕生のいきさつを語る。

ガトー・マンケ

「ガトー・マンケ(出来損ないのケーキ)は、料理の世界で最も有名な失敗のひとつです」とマランジュは語る。「ケーキ型の名称にまでなっていますから」。1842年、パリのブーランジェリー&パティスリー「メゾン・フェリックス」の店員が、おいしいと評判のふわふわのビスキュイ・ド・サヴォワを作っていた時のことだ。「ある日、メレンゲに油分が混入し、使いものにならなくなってしまった。そこでオーナーは、生地にさらに油脂を加えて円いケーキ型で焼いてみることに。食感はやや重たくなったものの、話題になること間違いなしの出来映えだったのです」

タルト・タタン

かの有名なさかさまタルト、タルト・タタンはうっかりミスから生まれたという。時は1898年、タタン姉妹はフランス中部ソローニュ地方のラモット=ブヴロンにある、姉妹の家名を冠したホテルの厨房で料理を作っているところだ。その日は狩猟解禁日の日曜日とあって、ランチは大盛況。いまかいまかと次の皿を待つ狩猟家たちを前に、ステファニー・タタンは大慌て。リンゴのタルトにパイ生地を敷くのを忘れてしまった。しばらくしてそのことに気づいた彼女は、オーブンの熱ですでにカラメル状に焼けたリンゴの上に、そのままパイ生地をのせた。狩猟家たちをうならせたその味が、やがてフランス中を虜にしたというわけ。ただ、料理サイト「L'Académie du Goût」 で紹介されているように、この菓子の誕生秘話には、別バージョンもいくつか存在する。

コーンフレーク

コーンフレークはアメリカのミシガン州で、ケロッグ兄弟によって1894年に作られた。医者である兄ジョン・ハーヴェイ・ケロッグは、セブンスデー・アドベンチスト教会の信者として、穀類と果物を中心とする菜食主義を推奨していた。ある時、兄弟でレシピの開発をしている最中に、ふたりとも調理場を離れなければならなくなり、煮えた小麦の粥をそのままにしてしまった。数時間後に兄弟が戻ると、冷めたお粥はすっかりぱさぱさに。少ない予算でレシピの研究をしていたふたりは、この生地をどうにかして救う方法はないものかと模索。生地を延ばして炙ってみたところ、かりかりの小麦の薄片を作ることに成功した。その後、原料はトウモロコシに替わり、コーンフレークが誕生したというわけだ。

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クレープ・シュゼット

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クレープ・シュゼットはアルコールでフランベし、オレンジの香りを加えたクレープ。photo:iStock

オーギュスト・エコフィエがパリに広めたクレープ・シュゼットだが、発祥の地はモナコだ。マランジュによると、このレシピの誕生に一役買ったのは、料理人見習いだったアンリ・シャルパンティエ。彼はある日、モンテカルロのカフェ・ド・パリでイギリス皇太子に給仕をしていた。その日のデザートはコニャックを一筋たらしたクレープ。ところがちょっと手が滑って、クレープの上でアルコールに火がついてしまった。見習いの青年にとっては一大事だが、皇太子の方はこれに大喜びし、すっかり気に入ってしまったのだとか。名称の由来だが、これにもやはり諸説ある。マランジュの説明によると、「アンリ・シャルパンティエがイギリス皇太子と同席していた女性の名前にちなんで命名したと言われているが、フランス人女優シュザンヌ・ライシェンベルクに捧げたという説もある」という。

チョコチップ・クッキー

1930年、ある若いカップルがアメリカのボストン近郊で宿屋を開業することにした。宣伝のために何か新しい試みをしなければ、というわけで、ルース・グレイヴス・ウェイクフィールドは、チョコチップを使った菓子の新作レシピを作ることに。ところが、熱で溶けると思っていたチョコチップが予想に反して溶けてくれなかった。失敗作と思われたこのレシピが結局大当たり。いまもなお世界中の食いしん坊に愛される菓子となった。

クイニー・アマン

話は1860年にさかのぼる。舞台はブルターニュ地方フィニステール県ドゥアルヌネ村。「この地域ではフランスのほかの地域に比べて、ブーランジェリーとパティスリーとの区分けがあまり明確ではありません」とマランジュは説明する。そういう土地柄だけに、クロゾン夫妻の経営するブーランジェリーで働くパン職人イヴ=ルネ・スコルディアは、パン生地を作るのに失敗した時、ミスをカバーするために、バターと砂糖を加えるというアイデアをごく自然に思いついた。パン生地はこうして菓子の生地に変身、クイニー・アマンが誕生した。

アイス・キャンディ

子どもが大好きなアイス・キャンディ。いや、子どもだけではない。多彩な味を楽しめる棒つきのアイス・キャンディは、大人にも子どもにも人気だ。この氷菓子、そもそもひとりの子どもの思いつきから生まれたものなのだ。ある冬の晩、どうしてもレモネードが飲みたくなった11歳のアメリカ人少年フランク・エパーソンは、粉末ソーダを水に溶かして小さな棒でかき混ぜてソーダ水を作ることにした。出来上がったソーダ水を冷やそうと窓辺に置いたのだが、少年はそのうち眠気に襲われてしまう。そのまま翌朝になり、少年は世界初のpopsicle(アイス・キャンディ)を味わうことになったというわけ。十年後、少年は自分が発明したアイス・キャンディの特許を申請することになる。それにしても、彼の出身地サンフランシスコがその夜、寒波に見舞われてラッキーだった!

ポテトチップス

レストランではお客様は王様だ。今回のお客様は、フライドポテトが分厚すぎるとご不満。ジャガイモをもっと薄くという再三の要求を受けて、ニューヨークのレストラン、ムーン・レイク・ロッジの料理長ジョージ・クラムは、客が納得するまで薄くしようと、ついにギャガイモを棒状にカットするのではなく、スライスすることに。次に薄切りしたジャガイモを揚げて、塩を振る。友達同士のパーティーやバーベキューのお供として、人気のポテトチップスはこうして誕生した。

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ポム・スフレ

これもジャガイモを使ったレシピ。マランジュによれば、ポム・スフレ誕生のいきさつは、「おそらく最も耳を疑うような話」なのだそう。1837年8月24日、ジャン=フランソワ・コリネは、パリのサン=ラザール駅とラ・ガレンヌ=コロンブ駅を結ぶパリ初の郊外鉄道の開通式を祝うビュッフェで料理長を担当した。その日は数々のご馳走とともに、ジャガイモの薄切りも出されることになっていた。列車の到着が遅れたため、厨房はすべての料理を温め直さなければならなくなった。すると熱が加わったことで、ジャガイモの薄切りがぷっくりと膨れ上がったのだ。 以来、時代を超越した人気料理として、星付きレストランのメニューに定着している。作るのはなかなか大変な一品だ。

ソース・ベアルネーズ

料理人ジャン=フランソワ・コリネが幸運なアクシデントに見舞われたのは、ポム・スフレを生み出した時だけではない、とマランジュは言う。ソース・ベアルネーズが生まれたのも彼のおかげなのだ。当時、料理人はパリにあるホテル・レストラン「パヴィヨン・アンリ4世」の厨房で働いていた。ある日、エシャロットを煮詰めるのに失敗し、ただちに解決策を見つけなければならない状況に追い込まれた彼は、バターと卵黄を加えることを思い立った。「客にこの新しい素晴らしいソースは何かと聞かれた時、コリネの目に留まったのは、アンリ4世の大理石の胸像でした」。王の出身地はベアルヌだった。

ソース・ブールブラン

ナントの辺りでは失敗したバターとも呼ばれるソース・ブールブランは、もしかするとこの世に存在していなかったかもしれない一品。1887年、グレーヌ侯爵の料理人を務めていたクレマンス・ルフーヴルはある時、ソース・オランデーズを作るのに大事な材料である卵黄を入れ忘れてしまった。この失敗をカバーすべく、彼女はバターとエシャロットを加えてみることに。この時のソースが、いまでは魚に添えるソースとしてナント地方では定番の味となっている。

ロックフォール・チーズ

愛は時にとんでもないことをしでかす。これがマランジュが紹介する最後のエピソードだ。あるところに惚れっぽい羊飼いがいた。ある日、彼は羊をほったらかして、若い娘を口説きに行ってしまう。羊飼いは娘のことで頭がいっぱいだから、おやつのパンと羊のカード(チーズの原型である凝乳)も洞穴に置きっぱなし。羊飼いが戻って来ると、カードに青みがかった斑点ができていたが、味は損なわれていなかった。これがロックフォールの誕生というわけ。ただしこれについては「はたして伝説なのか真実なのか、実際のところ確かめようのない話」と、マランジュも語っている。でも、お話というのは謎があるから面白い、そう思いませんか?

クリストフ・マランジュ著『Géniales erreurs de la gastronomie française(フランスの美食文化を彩る、素晴らしき失敗)』アルテミス出版、19.90ユーロ

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texte : Mélissa Cruz (madame.lefigaro.fr)

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