ぼくはなぜ、犬と生きる人生を選んだのか|作家 辻 仁成

Lifestyle 2023.07.04

10年ほど前に、ぼくはシングルファザーになった。当時小学5年生だった息子を引き受けることになった。離婚の直後、息子の口癖は、「パパ、犬を飼ってもいい?」であった。

「ダメだよ。ふたりになって、それどころじゃないのわかるだろ?」

ぼくは息子にそう言った。実はぼくも息子と同じ年の頃、両親に「犬を飼っちゃダメ?」と何度もお願いをしていた。「ダメよ、うちは転勤族だから、犬がかわいそう」というのが、お決まりの返事であった。

「でもさ、パパ、ママがいなくなってパパ寂しいでしょ? 犬の面倒はぼくがみるから、パパを元気にさせたいんだよ」

ぼくは息子の頭をさすって、いつかね、と言うのが精いっぱいであった。

大変だった離婚直後をなんとか乗り切り、中学生、高校生と、それなりの反抗期や思春期を抱えながら息子は順調に成長を遂げ、昨年、無事に志望大学に合格したのだった。ぼくは知らせを聞いた瞬間、ガッツポーズをし、気を取り乱して、どうだ、やったぞ~、と叫んで道行く人々を驚かせたものであった。そして、息子は入学と同時に、大学の近くにアパルトマンを借り、ひとり暮らしを始めることに。フランスでは親元を離れてこそ一人前なのであった。息子も巣立っていった。すると、ぼくは独りぼっちになってしまったのである。「いつか、ぼくが家族を連れてパパを迎えに行くよ」とは、幼い頃からの息子の決まり台詞であったが、個人主義が徹底したフランスで大家族というのはあまりない。そこで、ぼくはこのことを先読みし、2年ほど前にノルマンディに小さなアパルトマンを購入することになった。そして、そこでいま、ぼくは犬と暮らしている。

「パパ寂しいでしょ?」と幼い頃のあの子が言った言葉が、まさに、三四郎との出会いをつくった。

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Sanshiro 2021年生まれ、ミニチュアダックスフント。趣味はボール遊び。

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昔は、パリ市内のセーヌ川河畔の通りに何軒ものペットショップがあったが、動物愛護団体などの運動もあり、世の風潮的に、ペットショップで犬猫を買うのが難しくなってきていた。そして、法的にもフランスは2024年から犬猫のペットショップでの売り買いが禁止となる(勢いで飼うのはいいが、動物を育てるのが大変で捨ててしまう人が多く、この結果となった)。

そういうこともあり、犬とどこで出会うかというのが最初の問題だった。人伝てに、優秀なブリーダーがいることを聞きつける。ノルマンディのはずれの山奥にぼくが勝手に名付けた「犬の館」があった。ブリーダーは厳しい人で、誰にでも売らない、と最初に言った。犬と生きる覚悟のある人にだけ、ぼくはこの子たちを譲るんだ、と最初に釘を刺されたので、ぼくは拙いフランス語で、一生懸命、犬愛について語った。むしろ、その内容よりも、ぼくの情熱が認められ、三四郎を授かることになった。実は、売れ残った最後の一匹であることが後でわかった。鼻の上に大型犬に噛まれた痕があり、そのせいで彼は引き取り手がいなかったのである。

かくして、ぼくと三四郎の人生がスタートした。

この原稿は、いま、ノルマンディのぼくのアパルトマンで書いている。三四郎は暖房器具の前の彼専用のベッドで寝ている。彼が吠えるのを滅多に聞かない。そう躾けたのではなく、犬も人間と一緒で、個性がある。我が家にやって来たばかりの頃は、犬臭もあったし、噛み癖も酷かったし、何よりもピッピ(おしっこ)もポッポ(うんち)もおしっこシートではしてくれなくて、息子の部屋のドアの前でやってはぼくらを困らせた。でも、我が家にやって来て、1年と3カ月が経ったいま、彼は家の中ではしなくなった。動物臭も消え、吠えることもしないし、噛み癖もなくなった(唯一、リードだけは噛み千切ろうとする。ま、気持ちはわかる)。

ぼくにとっては、もう家族以外の何物でもない。

先月も、ぼくは三四郎を連れて、隣国スペインまで往復2000キロの車での旅をした。先々週もブルターニュ地方を旅した。ぼくの横には常に三四郎がいるようになった。離婚直後は、息子と世界中を旅したものだ。欧州のほとんどの国をふたりで回った。アイスランド、モロッコ、ロシア、アメリカ……。いまは、息子に代わって、三四郎がぼくの旅のパートナーとなった。いいや、人生のパートナーである。

ぼくは、ご存じのように表現者で変わり者だから人間の女性とはいまひとつ相性がよくない。しかし、動物と子どもには本当に愛されるのだ。離婚後、我が家は、近所の子どもの避難所になった。いまは、三四郎を見に、成長した、その子たちがやってくる。ぼくは大人には嫌われるようだけれど、犬猫、子どもには愛される。ま、それはいいとして……。

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それでは、ぼくと三四郎の一日をご紹介したい。

朝、9時にぼくと三四郎は英仏海峡を見に出かける。ぼくの暮らす田舎の砂浜は、夜の19時から朝の10時まで、犬のリードを外してもよい。もちろん、浜辺によってはダメなところもある。9時に家を出て、10時まで三四郎は小一時間、砂浜を全速力で走り回る(正直、その時間を過ぎても誰からも文句を言われることはない。フランスとはそういう国である)。

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散歩の後、ぼくらは必ずサンドリンヌが経営する通称「犬カフェ」に立ち寄る。当然、浜辺でよく見知っているわんちゃんとその飼い主たちがずらっと並んでいる。犬同士が揉めることもない。それが当たり前だからである。ちゃんとしたギャルソンがいる大型のカフェだと、わんちゃんのために、水を出してくれるところもある。この国は、犬と生きる人が多いので、そういうサービスが当たり前なのである。

さすがにミシュラン、3ツ星レストランなどは、犬が入れない店もあるけれど、ぼくの友人のチャールズがやっている1ツ星レストランは、犬連れ大歓迎だ。ノルマンディにも星付きレストランはたくさんあるが、ぼくの記憶の限りだと、犬連れで入店を拒否されたのは、ジェレミーの店だけ。友人のジェレミーの店も、以前は犬連れOKであった。ところが、たぶん、犬連れのお客さんとジェレミーが揉めたのであろう。ある時から、犬は入れなくなった。そういう店もある。それは、犬の問題というよりも、飼い主のせいじゃないかな、とぼくは想像している。ジェレミーは本当にいい奴なのだ。こういうところもフランス。

日中、ぼくは仕事をする。いまは、パリの歴史的ミュージックホール「オランピア劇場」でのライブを控えているので歌の練習ばかりやっている。三四郎はぼくの歌が大好きで、ぼくが歌いだすと、足元にやって来て、寝そべって聴いている。残念なことに、犬は劇場に入ることができない。そこで、ぼくはライブのリハーサルが始まる頃から、犬の調教師ジュリアのところに三四郎を預けることになる。動物ホテルもあるようだが、ぼくは三四郎が大好きなジュリアに預ける。ジュリアと出会ったのは、三四郎が我が家にやって来た直後のことだ。噛み癖や、おしっこ癖を治すために彼女のサークルに入れたのだけど、あまりにスパルタで、びっくりした。でも、そのおかげで三四郎は人間との共存が可能となった。ついでにジュリアはポンション(犬の合宿)もやっているので、ぼくが仕事で日本に帰る時などは長期間彼女に預けることになる。彼女は腕のある調教師なので、常に、数匹のわんちゃんが彼女の家で寝泊りをしている。いつも王様のような生活をしている三四郎にとって、合宿……かなり厳格な生活習慣となる。学生の海外ホームステイに似ているかもしれない。ジュリアのところから戻ってくると、見違えるように成長している。でも、超痩せて帰ってくるので、過酷なんだろうな、とは思う。ま、でも、それも彼の人生なのだ。

今回も2週間、預けないとならない。三四郎にとっては試練かもしれないが、こればっかりは、お互い生きていかないとならないので、仕方がない。

夜、ぼくは名のあるレストランに三四郎と行く。窓際の席で、ぼくが食事をしている間、三四郎は足元のお出かけバッグの中で寝て待つ。ぼくが唯一、人間らしい自分の時間を満喫できる瞬間でもある。レストランから戻ると、ソファの上でぼくはリールなんかを覗きながら、三四郎はぼくの足の間で寝ている。ぼくにすべてを預けているこの可愛い生き物との日常が、本当に素晴らしすぎる。三四郎がいる限り、ぼくは寂しくはない。ぼくのような孤独な人間にとって犬は、間違いなく、最高のパートナーなのである。

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Hitonari Tsuji
パリ在住。作家、ミュージシャン、映画監督、演出家。1989年『ピアニシモ』(集英社刊)ですばる文学賞、97年『海峡の光』(新潮社刊)で芥川賞受賞。「Design Stories」を主宰し、三四郎との暮らしなど、滞仏日記を綴る。


*「フィガロジャポン」2023年7月号より抜粋

editing: Momoko Suzuki

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