ドメーヌ・タカヒコに聞いた、余市の自然派ワインが世界から注目される理由とは?
Gourmet 2024.06.15
いま北海道、それも余市の自然派ワインが熱い......。都内のワインショップでは余市のワインの抽選販売の告知が出るや人が殺到。飲食店では品薄であるにも関わらず、空のボトルを誇らしく店頭に飾り、それを取り扱える幸福を道行く人にアピールしている。
この勢いを牽引するのが「ドメーヌ・タカヒコ」のフラッグシップたる「ナナツモリ ピノ・ノワール」だ。なかなか出合えないこのワインの2020年ヴィンテージを、編集カナイは自然派ワインを取り扱うワインスタンド・TEOの周年記念パーティで提供されたスペシャルボトルとして初めて味わうことが出来た。香りには喜ばしいイチゴのような華やかさと、どこかに大地の息吹を感じる土のニュアンスがある。口に含んだ瞬間、梅やチェリーのような香りとともに優しい酸味が口を少し引き締め、シイタケのような滋味深さと、身体の奥まで沁み入るカツオ節のような味わい、長く目を瞑っていたくなる紅茶のような余韻......。この深く、広がりがある味わいが生まれる現場をどうしても体感したくなり、余市へと向かうことを決めた。
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「北」「雨」そして「風」が造る美しい個性。
「私がワインを飲み始めた時期は、いわゆるパーカー・ポイント全盛時代。世界中のワイン生産者が、評論家ロバート・パーカーが高得点をつけた"完熟したワイン"を目指していました。個人的に、若い頃はジンファンデルやマディランなどフルボディのワインも大好きでしたが、普段食べつけないハイカロリーな食事やチーズと合わせて飲むような重いワインは、日本人にとって『背伸び』なんじゃないか、とも思っていました」
そう語るのは、ドメーヌ・タカヒコを手がける曽我貴彦さん。長野県の小布施ワイナリーの次男として生まれ、大学で醸造学を学んだ後、微生物学者として研究室に勤務。しかしワインへの情熱から転職し、栃木県にあるココ・ファーム・ワイナリーのブドウ栽培責任者として10年間働くことに。同時に世界と日本各地のワイン生産地を巡り、ブドウ栽培やワインの研鑽を重ねた。その最中、"ナチュールワインの神様"とも称されるピエール・オヴェルノワのワインに衝撃を受けたのだという。
「パーカーが広めた重たいワインブームの反動か、2000年代にナチュールワインが注目され始めました。その中でも、フランス・ジュラでプールサールという品種から造られたオヴェルノワのワインには、出汁のような味わいと、深く長い余韻があった。同時期にロワール、オーストリア、イタリア北部でもおもしろい自然派の生産者が現れています。自分が好きだと思った生産者は、いずれも"北"、つまり冷涼産地の造り手だと思ったのです」
そうして日本各地の冷涼地を探し求めた結果、余市の登町という産地にたどり着いた。
「余市はリンゴをはじめとした果樹の街だったんです。40年前から、ワイン用ブドウのヴィニフェラ系の栽培も日本のトップクラスだった。でもその頃に日本ワインは需要もなく、バルクワイン(瓶詰めされずに流通する大量消費用のワイン)の生産地としか見なされていなかったんです」
しかし余市で生産されていたピノ・ノワールのワインを飲み、曽我さんはその個性に可能性を見いだす。
「日本は世界のワイン生産地に比べ圧倒的に雨が多く、ただでさえ繊細なピノ・ノワールはカビや病気に罹りやすくなるため、農薬を使わない自然派栽培には不向きと言われてきました。しかし、ブルゴーニュだって実はブドウの成育期の降水量は350mlで、雨は意外と多く大量生産には向かない地域なのです。余市の登町はその期間、降水量が450mlですが、丘の上に位置し山風が日本海に向けて流れていくため、風通しも良くカビが繁殖しにくくなります。また雨水を吸うとブドウの味わいは薄くなる、と言われますが、その分、繊細さを表現するのにはうってつけの個性を持っていたのです」
気候変動により気温が上昇することも見込まれた。ピノ・ノワールの隠れた名産地として知られるフランス・アルザスの気候に近付いていることを見越し、曽我さんは余市で唯一無二のピノ・ノワールを造ると心に決め、家族を連れて移住を果たす。2010年、余市で2軒目のワイナリーとしてドメーヌ・タカヒコが誕生した。
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豊かな表土と森の微生物が導く「おいしいワイン」。
曽我さんはブドウ畑についても、余市でしか得られない個性を見いだしている。
「ヨーロッパの生産者たちは、『テロワール』について語る時に"土壌"を重視しがちです。たとえばブルゴーニュやシャンパーニュの土壌を構成するのは、太古の昔に海底だった地層が隆起した石灰質で、硬質なミネラル感を感じさせる特質があります。しかし私は、むしろ日本の火山性土壌の上に歳月を経て蓄えられてきた"表土"にこそ注目したい。石灰質の土壌の上には、新たな生態系とそのサイクルによって生まれる表土が根付きにくいのですが、火山性土壌の上には植物が芽生え、森が育ち、そこから豊かな『土』が生まれるのです」
豊かな土から生まれるワインは、過酷な土地から宝石のようなブドウを造り出す、という思想のあるヨーロッパとは違った文化を表現できるという。
「ヨーロッパや世界にとって有機栽培は『健康』を意味しますが、日本人にとって有機栽培とは『おいしさ』を表現する手段だと思っています。豊かなアミノ酸たっぷりの表土で育ったブドウは、日本が世界に誇るやわらかい『旨味』を表現するのに最適な素材なのです。降り注ぐ雨は軟水で、旨味の成分を引き出すのにこれほど優れた水もない。ワインに"出汁感"や"旨味"という飛び抜けた個性を纏わせることができるのが、余市というテロワールの特性なのです」
曽我さんが表現する森という世界観は、言葉上だけではない。畑の表面には下草が生い茂り、周囲には事実、鬱蒼とした森が広がっている。
ワイン発酵のための酵母も、畑からもたらされる自然酵母を使用している。しかし酵母や菌は、畑から生まれる物ではないのだという。
「彼らはどこから来るのか? 実は酵母は森にいるんです。森の樹液は、微生物たちが育つ自然の培養槽です。そこで育った酵母や微生物、菌が自然に畑にやってきて、植物や昆虫を介してブドウに付着します。熟したブドウを洗うこともなく、私たちはプレスしてそのままタンクにぶち込みます(笑)。『畑から菌を持ち込む』、畑の環境がワインのすべてを決めているのです」
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人が真似できない有機栽培はやらない、「農家が造れるワイン」を。
そうして畑で完熟したブドウを発酵させワインを造るわけだが、曽我さんの思想は非常に明快だ。
「たとえばボルドースタイルの大手メーカーのワインはとてもシステマチックに出来ていて、基準となる味わいがあり、世界各地でそのスタイルを表現する生産者が評価を受けています。ところが、ブルゴーニュやロワールの生産者たちのワインは、それぞれに個性的で真似ができない魅力がある」
「なぜかといえば、彼らにはマニュアルがなく、『ここがブルゴーニュだから』『ここがロワールだから』という環境と、それを表現しようとする農家による味わいがあると信じているから。彼らはワインメーカーというより、むしろ"農家のおっちゃん"なのです(笑)。なので私もここでしか作れない、"農家が造る野沢菜"や"農家が造る味噌"のようなワインを目指すことにしました」
曽我さんのワイナリー(醸造施設)は、天井高のある納屋を改造した至極シンプルな構造。入り口から入ってすぐ脇に青い筒状のポリタンクが見える。これが、醸造開始当初から使っていたという発酵タンクだ。「軽くて運びやすく、洗いやすい。そして何より安いです」と、曽我さんは笑いながら説明を続ける。
「田舎のおばあちゃんが造っているおいしい漬物だって、大概ポリバケツやタッパーで造ってたりするでしょう? "伝統的な木桶で造らないとおいしくならない"、なんてことはまったくない(笑)。ステンレスタンクは1台60万円からですが、プラスチックの発酵タンクなら5万円あれば1基購入できる。プラタンクを3つ持っていれば、ワイナリーを始めることができるんですよ。大規模に始める必要はなく、普通に暮らしている農家が無理なくやれることを証明したいんです」
前述の通り、ワインの発酵は自然酵母によって行う。この際、一般的なワイン生産者は酸化防止や雑菌の繁殖を抑えるために亜硫酸を添加することが多いのだが、ドメーヌ・タカヒコのワインでは2015年からこれも行わない亜硫酸無添加(=サンスフル)にしていった。
「タンクの中は私たちの畑、あるいは人間の大腸のように、あらゆる微生物が共生する環境です。そこに農薬や抗生物質のように亜硫酸を添加してしまうと、きれいなワインができるかもしれませんが、その分個性を無くしてしまうように思った。健全に熟し、酸を蓄えることが出来たブドウであれば、腐ったりすることなくしっかりと発酵を続けてくれます。ドメーヌ・タカヒコのワインは亜硫酸による安定がないので、長期の熟成は見込めません。しかし、世界中には長期熟成に向いたワインはいくらでもある。繊細な味わいを楽しむ私たちのボトルは、長くても10年以内に飲んでほしい。その儚い時間の感覚も、繊細な日本のワインに似合うと思ったんです」
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目指すのは持続可能な、日本らしいワイン。
曽我さんはブドウの粒を房から外すことなく、そのままプレスしてタンクに入れる「全房発酵」と呼ばれる伝統的な手法をとる。その理由も明快だ。
「ブドウを房から外していたらめんどくさいでしょう(笑)。しっかりと果梗まで熟していれば、青臭いにおいが出ることはなく、むしろワインにタンニンと複雑性を与えてくれます。畑でしっかりとブドウの様子を観察しながら世話をしているので、収穫後の選果もそんなに重要視していません。そして北海道は雪が積もるので、収穫をしたらすぐに剪定を行わなければブドウの樹が折れてしまう。剪定が終わった後、雪が降って畑作業ができない時にゆっくりとブドウを絞ってワイン造りを始めたらいいんです。私はほかの人が真似できない造り方はしたくない。できるだけシンプルに、周りの農家が誰でもワインを造れるような方法で無理なくワイン造りをしたいんです」
そんな曽我さんの思いは、確実に余市に根付き、花を咲かせている。曽我さんのワイン造りに惹かれ、研修生たちがドメーヌ・タカヒコの畑に集った。ドメーヌ・モン、ランセッカ、山田堂、ロウブロウ......。卒業生たちは余市に畑を持ち、それぞれが好きな品種でドメーヌ・タカヒコとはまた違った個性を表現している。現在は世界最年少マスターソムリエの高松亨さんも研修生に加わり、余市町地域おこし協力隊として現地に在住。高松さんもシャルドネに可能性を見いだし、自身のワインを追求し始めた。過疎化が進む登町にワインを志す人たちがどんどん集まり、曽我さんが移住した当初は8名だった地元の登小学校の在校生数が、現在は16名まで増加した。
近隣の農家の思想も変わりつつある。果樹栽培を手がけている農家は、余ったブドウをお土産用のブドウジュースとして出荷していることがほとんどだった。しかしジュースでは賞味期限が短いし、販売価格を上げることもできない。売れ残ってしまったものは廃棄処分にするしかないのが現状だ。ところがそれを醸造すれば保存できる期間は飛躍的に伸び、"農家手造りの余市産"と言う付加価値があるワインに早変わりする。ブドウの圧搾作業を請け負ってくれる醸造施設もあるので、発酵タンクとそれを置ける設備さえ用意すれば、ワイン造りで新たな商品開発をできる可能性もあるのだ。
「私の畑の隣で長年サクランボやリンゴを育てていた中井観光農園さんも、次世代を引き継ぐ中井瑞葵さんがドメーヌ・タカヒコに研修に来てくれ、2023年から地元農家出身としては初のワイナリー『ドメーヌ・ミズキ ナカイ』を設立しました。私は決して洗練されたトップクラスのワインを造ろうとは思わない。後に続く人たちが『余市のワインっていいな』と思ってワイン造りを継続し、その次世代の中から"余市のアンリ・ジャイエ"が産まれてくれればいいんです(笑)」(註:アンリ・ジャイエ......1980年台から2000年代初頭にかけ、ブルゴーニュでワイン造りに革命をもたらした"伝説の醸造家"。)
未来を見据えながら、その年、その年の畑とブドウに真摯に向き合うドメーヌ・タカヒコのワインには、まさに絶対無二にして、どこか日本人の郷愁さえ誘うような味わいがある。
「ブランド・ノワールは、2013年に貴腐(=ボトリシス・シネレアと呼ばれるカビ)が付いてしまったピノ・ノワールの粒を選り分けておいて、試しに醸造してみたらなかなかおもしろいものができたんです。それ以来、貴腐ブドウは"収穫はしておいて、雨が降って作業できない日にプレス(圧搾)しよう"くらいの気分で造っています(笑)」
グラスに注がれたのは、琥珀色に輝く液体。香りを嗅げばナッツやハーブが漂い、口に含むと紅茶、マーマレードなどの膨らみのある印象が、長い余韻とともに伸びていく......。最後に残る、繊細な出汁の感覚がまた格別だ。そしてフラッグシップとなるピノ・ノワールは、着物の色に使いたいような、淡い紫色がグラスに広がる。イチゴのような華やかさの後にスミレやシダ、そして腐葉土のような柔らかい土の香りが立ち上り、口に含めば、じわりじわりと広がるキノコ、カツオ節、紅茶、香木、梅の香りが、絶妙な出汁感とともに長く長く、口から胃にかけて身体に沁みわたっていく。魚介にも合わせたいし、漬物にもはまるような味わい。優しく繊細さを備え持つ和食にこそ合わせたい、まろやかな世界観だ。
曽我さんは、余市ワインの魅力をこうも語ってくれた。
「先日、世界中の自然派ワインの生産者が集まる『RAW WINE TOKYO』というイベントにも参加しましたが、やはり世界の生産者もワインに"やわらかさ"を求めていることが実感できました。でも、世界の自然派ワインにはまだまだ"複雑さ"が足りない。旨味という複雑な味わいを持つ余市のワインは、これからまだまだおいしさの可能性に満ちあふれていると確信しています」
ドメーヌ・タカヒコ
https://takahiko.co.jp
北海道余市郡余市町登町1395
※畑、ワイナリーの一般見学はおこなっていません。一般の方は畑のそばに「ドメーヌタカヒコ ナナツモリ展望台」が用意されており、そこから畑の眺望を見学することが可能です。
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photography: Mirei Sakaki text: Yosuke Kanai(madame FIGARO japon)
フィガロJPカルチャー/グルメ担当、フィガロワインクラブ担当編集者。大学時代、元週刊プレイボーイ編集長で現在はエッセイスト&バーマンの島地勝彦氏の「書生」としてカバン持ちを経験、文化とグルメの洗礼を浴びる。ホテルの配膳のバイト→和牛を扱う飲食店に就職した後、いろいろあって編集部バイトから編集者に。2023年、J.S.A.認定ワインエキスパートを取得。
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