川村明子のスリランカ紀行 #04 スリランカのバワの理想郷で過ごす、至福の時間。
Travel 2018.05.02
前半はゲストハウスを渡り歩き、後半はジェフリー・バワ建築の宿3軒に滞在したスリランカの旅。
バワが設計のリゾートでは唯一内陸部に造られたホテル「ヘリタンス・カンダラマ」から、50年以上をかけて造り続けた理想郷「ルヌガンガ」、そして彼が亡くなるまで40年間暮らした家「ナンバー11」を巡った。
DAY 8
まだ外は暗くとも、地平のかなたでは日がすでに昇ってきていることを身体で感じながら目を覚ました。ヘリタンス・カンダラマは、この旅で滞在したどの宿よりも近代的な設備の整ったホテルだ。同時に、大地を感じる場所でもあった。明るくならないうちに、と部屋を出た。
館内を少し彷徨ってから、プールへ向かった。先客が3人。前の日と同じように、シーギリヤ・ロックを正面に据えて座る。密生した樹木のあちらこちらから、1日の始まりを告げる、姿の見えない生き物たちのよく通る声が聞こえてくる。風が吹くと水面にさざ波がたち、木立が途端にざわめく。それらを邪魔する余計な音はない。悠々と雲は流れ、視界の右端から空がほんの少しずつ橙を混ぜたようなピンク色を帯びてきた。
なんだか、包まれている気がした。空と地がともに呼吸をしているかのごとく、一拍ずつ微かに、空気ごと色が変わっていく。目に見える変化は僅かで、真っ向から朝日が昇ってくるようなドラマティックな風景ではない。なのに、いつしか涙が溢れ、止まらなかった。そこは外で、自然が開けているのに、ひとつの巨大な空間のように錯覚した。そして自分が、目前に広がる万物の一部であるかのような感覚に陥った。もしこれがCMでも使われるような劇的な夜明けだったら、おそらく感動的なその情景は、あくまでも相対する光景で、自分との間に距離を感じただろう。宇宙って限りないものだと思っていたけれど、空間なのかぁ、なんて思った。その空間と一体化した黎明のひと時。ひとりだったことも幸いしたのだと思う。言葉はおろか誰かの体温も、それがたとえ大切なひとだとしても、なかったからこそあの包まれているような感覚に自分を放つことができたのだろうから。
部屋に戻って「なんかわからないけど、ずっと泣いてた」と言うと、「ね〜、私も」と別のどこかで過ごしていた旅の友も笑顔で同調した。心の奥にまだひたひたと静かに波打つ興奮を感じながら、出発の準備をする。この日はなかなかの移動距離がある日だった。まずは150km近く離れたコロンボまでバスで行き、そこからは海沿いを走る電車に乗って1時間半ほど。半日がかりだ。
迎えに来てくれたのは前日と同じトゥクトゥクのドライバーさん。コロンボまで行きたいと告げると、「こっちの方がいい」とたくさんのバスが停まるバスターミナルを通過して、停留所名も書かれていない、バス路線の掲示もない、でも待っている人は少なからずいるバス停で降ろされた。
次々にやってくるバスには行き先にアルファベットの表示がないことも多く、若干不安になりながら待っていると、しばらくして「コロンボ!」という声が聞こえ、慌てて乗り込む。
車内にはローカルな音楽が流れたいた。少し行くとサービスエリア的なところで止まった。トイレ休憩のようだ。売店を見て回る。中身が何か見当もつかない、でも辛そうで喉の渇きそうなお菓子が壁にいっぱい吊るされていた。
途中、クルネーガラの街を過ぎてから、幹線道路沿いにカゴ屋さんが立ち並ぶのが見えた。カゴは目にしてしまうとどうしたって欲しくなるから、バスでよかったぁと少し後ろ髪を引かれながら、流れゆく風景のままに見過ごした。
バスのほうが電車よりも目安の所要時間で着くようだ。電車の時間に余裕をもってコロンボのフォート駅に到着することができた。南に向かうし海沿いだし、のんびりした電車旅を想像していたら、見事に期待は裏切られ、これまででいちばん混んでいた。空席なんかもちろんなくて、海が見えるであろう進行方向右側の扉口(相変わらずドアは開いたまま)近くに身の置き場を確保する。走り出すとほどなくして目の前に海が現れた。こんなに波打ち際を走るんだ!と驚くほど海に沿って線路が敷かれたところもある。日差しが強く照りつけるかと思えば、一気に雲に覆われ、時折雨も降らす空に呼応して、海の表情も変わる。内陸部とはまったく異なった趣に、1時間半じゃ物足りないくらいだ。
民家と椰子の木が林立する脇を通る時でさえ、その向こうに開ける海から反射した光が届くようだった。ガタンゴトンと鈍く響く走行音と手をかざしたくなるまばゆさに、身体でしっかりいまを感じているはずなのに、消えたかと思えば燦然と降り注いでくる光が夢見心地にさせた。
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川村明子のスリランカ紀行 INDEX
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50年以上かけて創り続けられた、ジェフリー・バワの理想郷へ。
ベントタの駅で降り、向かうはルヌガンガ。ジェフリー・バワが29歳で手に入れてから、生涯にわたり50年以上をかけて創り続けた理想郷と言われる別邸だ。庭にコテージが点在し、6つの客室がある。この旅で最初に予約を取ろうとしたのだが、満室だった。リノベーション中で宿泊できる部屋が通常の半数になっているらしい。「もしキャンセルが出たらお知らせしますね」と返事にあったので、折を見て数回問い合わせていたら、出発直前に「Good News! 」と空室が出た旨の朗報が届いたのだ。いちばん行きたかった場所に行けることになった幸運に、期待で胸が膨らんだ。
到着するとメインコテージへと案内された。長い廊下の先には、やはり光が注いでいる。
変な言い方だけれど、「わぁ、私ここに全然住める!」というのが、リビングに通されてまず思ったことだ。なんだこりゃ、こんなにも違和感を覚えないことってある? これってみんな同じように感じるのかしら? だって“うーん、これはなくてもいいかも…”って思うものが1個もないよ? と頭の中で矢継ぎ早に質問が飛び交った。
そしてここもまた、湖に面していた。キャンディ、ヌワラ・エリヤ、ダンブッラに続き4つめ。こんなにも水を感じる旅になることは予想していなかった。それも、海でも川でもなく、湖。目を向ければ、どこも穏やかな水面が横たわっている。
泊まるコテージは、草原を5分ほど歩いて、敷地の端にあった。まさにありのままの自然に融合した建物。シンプルなベッドルームは素敵だったのだけれど、メインコテージの開放感は、圧倒的だった。
連日、朝に夕に、空と水面に映える幾つの色を見ただろうか。ほのかなピンク、淡い黄色、温かな橙色、熟しきった柿のような朱色に、透き通った薄い墨色。そして1日の終わりには、闇にかえっていく。
お夕食は湖に向かったテラスのテーブルでいただいた。あまじょっぱくて中華っぽい味付けのナスとマンゴーのカレー、身のぎゅっと締まったチキンにさらっとしたソースの男前な味わいのカレー、とーっても優しいキュウリのカレーなどに赤米がたっぷり添えられて、明日も同じものを食べたいなと思うごはんだった。
ゆったりとテーブルで過ごし、闇の草原を部屋まで戻った。草露を一歩ごとに感じながら。
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湖での夜明けから始まる、理想郷の1日。
DAY 9
蚊帳から出て身支度をし、カメラを持って外に出る。少し肌寒い。草のみずみずしさを心地よく素足に感じながら、メインコテージの方へ向かって歩いた。どうも湖の魅力に知らず知らずのうちに引きこまれたみたいだなぁ。これまで、湖で夜明けを迎えたことはなかったと思う。海で感じるエネルギーに満ちた朝日と違って、ひたひたと少しずつ1日の始まりが空と水面に広がり、あたりに浸透していく。
6時になりスタッフの人たちが雨戸を開け始めた。やっぱり、風の通り方が気持ちいい。この家の空気のあり方は、潮風じゃないことも大きいのだろうな。
目に見えるところに、電子機器がない。天井が高く、余白が多い。そして、湖だから、波の音もない。スタッフは、靴を履かずに裸足で過ごしている。
私は、自分のテーマに“家”というのがあって、これはもう一生ずっと持ち続けるものだと思う。家が大好きなのだ。だから、生涯を通して創り続けたというこの場所に来たかった。「帰りたい」と思う家、「戻りたい」と望む場所。光、風、音。始まりであり終わりでもある闇に返る感覚。その闇から明ける朝。来られてよかった。
朝ごはんは、たっぷりのマンゴ、パパイヤ、スイカ、バナナ、パイナップルで始まった。食べ終わると、焼きトマトとベーコンの添えられた半熟の目玉焼きにトースト。私たちが食べている間に、他に2組いたゲストは次の目的地へと発っていった。
食べ終わったあとも、そのままテーブルに居座り、本を読んだり、日記を書いたりしていた。コロンボ行きの電車の時間をスタッフに聞くと、バスの方が本数もあるし便利だよ、という。じゃあバスで行こう! チェックアウトの時間までゆっくりできるね、と喜んだ私たちを、スタッフの人は珍しがった。「日本人はみんな暗くなる頃にやってきて、翌朝は移動のために7時には出て行くよ。君たちみたいにゆっくり過ごす人たちはいない」と。
時間の許す限りテラスやリビングで過ごし、太陽が煌々と照りつける頃になって、荷造りをしに部屋へ戻った。コテージまでは草原で、道はない。草の上を歩いていく。荷物を運ぶのには不便だ。そういったことを考慮して通路を作ったりしていないことが、ものすごくいいよなぁ。
出発前にガーデンルームを見せてもらった。あまりに素敵で、ここで創作活動をしたら、自分の持つ以上の力を発揮して素晴らしい作品ができるんじゃないだろうかぁ、と夢想した。ここで本を読んで過ごせたらなぁ。
門からいちばん近くにある客室、グラスルームは今回改装中。橋をかけたような2階部分にある部屋の両サイドは全面ガラス窓で、視界に外と内の境がなさそう。
門の外に出て後ろを振り返り、この向こうに創られた世界に別れを告げた。
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バワの自邸だったゲストハウス、ナンバー11。
クーラー付きのマイクロバスでコロンボへ向かう。この旅最後の宿は、ジェフリー・バワの自邸だったナンバー11。ルヌガンガに予約の問い合わせをして、やり取りをしていたら、ジェフリー・バワ財団の人からメールが送られてきた。「もしスリランカ滞在中にコロンボにも寄る予定で宿をお探しなら、バワが暮らしていた家をいまは宿泊施設にしているので泊まれますよ。いかがですか?」というものだ。たまたま私たちの行程の最終日にお部屋が空いていることがわかった。ナンバー11には、見学にだけは行きたいなぁと思っていたのだ。思わぬ流れに、これは泊まるっきゃないねと予約をした。
閑静な住宅街の袋小路を奥までいくと、青紫色で11と地面に示されたナンバー11があった。呼び鈴を鳴らし、中に入る。靴を脱いで下駄箱に置き、メールでやりとりをしていたマダムとご対面。チェックインの手続きをすると、さっそくゲストルームに案内された。
白くてしっとりとしたヨーグルトとお豆腐の間みたいな床に、草原を歩いた自分の足は汚れているんじゃ、と申し訳なく思いながら階段をのぼる。踊り場で立ち止まり、目が点になった。え? これドア?? なにこれ?! ルヌガンガとは全然違う種類の、なんだこりゃ、だった。すごくない?とか、ハンパない!とかなんかあまりの驚きに、どうやっても軽く響いてしまう言葉しか浮かばない。
だって、このドア、カッコよすぎるじゃないか。
一気にボルテージが上がった状態で目の前に現れたドアの向こうの世界に、今度は言葉を失った。
壁画のように見えるのは、21枚のタペストリーを繋げ壁一面に広げたもの。
部屋中、どこをどう切り取っても格好よかった。
ちょうど見学ツアーがあったので、1階に降りて私たちもそれに参加した。奥に長く続く廊下、その先にはバワの寝室、リビング、ダイニングなどがある。プライベートスペースは写真撮影禁止で、目に焼き付けたくても見学時間内では到底足りるわけのない、見所満載の、そこもまた非の打ち所がない空間だった。
この見学会ではルーフテラスにも上がる。でも、階段の途中でゲストルームに言及することはなかったし、例のドアについての説明もなかった。
ナンバー11は朝ごはんだけの提供で、夜はシナモン・グランド・コロンボ(ホテル)のビュッフェ・ディナーに出かけた。お米3種に、ホッパー、カレーも15種類と多く、どれも料理名が書いてあったので、滞在最後の総ざらいの気分で思わず欲張ってしまった。このときのカレーがいちばんパンチが効いていた。
夜になってからのゲストルームのリビングは幻想的だった。うっとりするしかないような。
毎晩、明日楽しみだねぇ、と言いながら眠りについた幸せが連続した旅だった。
最後の夜もまた、明日楽しみだねぇ、と言いながらベッドに入った。
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ナンバー11の空間と家具、スリランカでの最後のごはん。
DAY 10
最終日。日の出をみることはできなくとも、やはり早くに目を覚ました。寝室を出てリビングに行く。朝の柔らかな日が差し込むと、昼とも夜ともまた異なる印象で、しばらくソファに座ってぼーっと過ごした。
机の上に宿泊者のメッセージノートを見つけた。めくってみると、日本語が思いのほか多い。ひとりで宿泊したらしい建築家の、高揚している気持ちが伝わってくる書き込みなんかを読んでいたら、私も書いてみたくなった。こういうのに書くのって少し恥ずかしいけれど。目の前にある窓から差し込む朝日が、少しずつ高くなるに従い、じりじりと暑さを増す。いつから使っているのか、若干音を立てる大きな扇風機をつけたり消したりしながら、汗ばみつつもこの机に向かっていることがうれしくて、日記を書いた。
バワの生前もこの2階はゲストルームとして使われていた。広々としたリビングに、トイレ&シャワールーム、ダブルベッドの寝室がふたつ。4人まで泊まることができる。奥のベッドルームにだけドアがあってクーラーも付いていた。シャワールームの前にある私たちは使わなかった方のベッドルームも素敵で、シングルベッドを買ってこんなカバーをかけてソファ代わりにするのもいいなぁと真似したくなった。
あの、ドアとは思えないドアの裏側は、対照的にいかにもなドアだ。でも、アンティークとモダン、バワ自身がデザインしたものとコレクションした家具にオブジェ、それらが見事に調和した部屋の中で、温かみを感じるこのコーナーが私はとても好きだった。この扉を開けると、どこかに迷い込んだかに思える白い世界が広がっている。
朝ごはんを食べに1階へ。昨日見学会のときに通った廊下を歩く。ヘリタンス・カンダラマホテルにあったフクロウのオブジェの小さい版が、ここにもいる。突き当たりまでは結構な距離があるのに、ひとつも窓がない。入り口からの長い廊下はルヌガンガもそうだったし、カンダラマホテルもそうだ。そして、その先に見える光を目指すように歩みを進めることも。
窓はないけれど、途中に中庭があってそこから光が差し込んでいる。カンダラマホテルの入り口の廊下は、岩との融合だった。ここでは水も配したお庭。
廊下の突き当たり、円柱が印象的な中庭を右に行き、昨日見学ツアーで訪れたダイニングで朝食をいただく。おかげで、また空間を体感することができた。居間を挟んで向かいにはバワの寝室があり、残念ながらここには足を踏み入れることができないのだけれど、入り口に立って見るだけでも、ため息をついてしまうほど本当に素敵なインテリア。ショールームとか美術館のようではなくて、生活感があり、それがまた魅力だ。
朝ごはんをサーブしてくれたスタッフは、バワの生前からここで働いていて、晩年の4年間を一緒に過ごしたと教えてくれた。亡くなってからも、ここが好きでそのままずっといる、と。そう言った表情には、この場所とバワへの思いがにじみ出ていた。常駐のスタッフ3人は離れで暮らしていると聞き、いまもなおこの場所に家としての息吹を感じるわけが分かった気がした。
ナンバー11には、バワが設計を手がけたホテルで使うためにデザインした家具も数多く残っている。背の低いコンクリート製のテーブルは、ベントタビーチホテルのラウンジ用テーブルの試作品。駐車場奥のウェルカムスペースには、カンダラマホテルで目にした、金属バンド製の椅子が置いてあった。
チェックアウトの時間まではお部屋で過ごした。名残惜しいったらなかった。
スリランカ旅最後のごはんを食べに、ビリヤニ屋さんHotel de Buhariへ。ホテルとつくけれど、レストラン。活気のある1階は満席で、上に行けと言われて上がった2階のフロアはだだっ広くて少し鄙びた雰囲気がなんだかいい。本場のビリヤニはこんなにもシンプルなのかぁと、まだインドを旅したことのない私には、インパクトのある盛り付けで出てきた。がんばって手で食べていると、あまりの下手さに見るに見かねたようで、距離を保って見守っていたらしいサービススタッフのおじちゃんがスプーンを持ってきてくれた。
寺院やらスーパーに立ち寄って、荷物をピックアップしにナンバー11へ戻る。慌ただしく荷物の整理をしながら、ここは慌ただしく過ごす場所じゃないな、と思った。また、来よう。今度は3泊できたらいいなぁ。
バワが大切にしたロールス・ロイスの横をすり抜け、この旅で初めてのタクシーに乗って、空港へ向かった。
フードライター
1998年3月渡仏。ル・コルドン・ブルー・パリにて料理・製菓コースを修了。
台所に立つ時間がとても大事で、大切な人たちと食卓を囲むことをこよなく愛する。オペラ座でのバレエ鑑賞、朝の光とマルシェ、黄昏時にセーヌ川の橋から眺める風景、夜の灯りetc.。パリの魅力的な日常を、日々満喫。
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