<手仕事をめぐる現代の冒険!> カルティエのグリプティック、未来への継承。

Paris 2023.04.05

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メゾンのクリエイションにも大きく関わるグリプティックのアトリエ。このアトリエが生み出すユニークな作品の価値を理解し、心をときめかせる顧客たちが増えているというのは喜ばしいことだ。アトリエの存続を左右する技術の継承はどのように行われるのだろう。

サヴォワールフェールの継承。

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左: カルティエのグリプティック アトリエの責任者のエミリーと。ニコラは現在コンサルタントとしてメゾンに従事している。作業台の上に置かれた美しい色の珪化木。これを彫刻してどんなジュエリーが生まれるのか、楽しみだ。© Cartier 右: モルガナイトを彫刻して指輪を製作中。photo:(右)Bruno Ehrs © Cartier

「このように大きなジュエラーが外のアトリエをメゾン内に迎えるというのは、なかなか大胆でヴィジョネアな発想です。メートルダールという称号にはサヴォワールフェールを継承することが義務づけられています。このようにインハウスのアトリエは、私にとって継承のためにも喜ばしいことでした。これほど多くの弟子を持てるメートルダールは少なく、この幸運はカルティエのおかげです」

グリプティックを教える学校は存在しない。ニコラ自身もほぼ独学である。まずはエコール・ブールでガラスの彫刻を学び、その後エコール・デ・ボザールの彫版アトリエで石の彫刻を習得している。彼によるとグリプティシアンへの道はとにかく石に触れるという経験を多く積むことで、そして自分なりのテクニックを各人が見いだしてゆく。養成が始まって何カ月か経過すると、この仕事向きではないと彼が判断する人も出てくるそうだ。このアトリエで彼が行うのは石を彫ることだけの継承ではない。彼は石の選び方、そしてジュエリーの創作が実現されるために、いかにプロジェクトを想像するのかといったことも弟子たちに伝承する。カルティエではすでに12名近くを養成。アトリエの現在の責任者であるエミリーは、17年前、カルティエ以前に彼に弟子入りした女性である。

「彼女が石から得るインスピレーションは、僕と同じなのです。これはとても幸運なことでした。彼女にはクリエイションの可能性があると僕は見いだし、また、彼女は色彩感覚にも優れているんです。最近も彼女がデザインしたジュエリーを完成させたところですよ」

こううれしそうに彼が見せてくれたのは、ピンク色のカルセドニー、アプリコット色のモルガナイトといった石を並べたチェーンに、ベージュ色の珍しい珪化木にパンテールの顔が彫られたペンダントネックレスだった。

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素材のバラエティ。

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グリプティックのアトリエが扱うのは珪化木に限らない。photo:(左)Harald Gottschalk_Cartier 、(中、右)© Cartier

アトリエに隣接して、「リトテック」と呼ばれる石を並べた図書館のような部屋がある。ちなみにリトは英語だとライトで“石”を意味し、スギライト、ピノライトなど石の名前に接尾語としてよく使われる。ここに集められているインドネシアのマグノリアの珪化木やフロリダのパームツリーの珪化木、スギライトという紫色の鉱物、シベリアの軟玉翡翠、オーストラリアの黒翡翠……半分はニコラがカルティエに来る以前から所有していた石が占めていて、彼の石への情熱が感じられる一室だ。アメリカのアリゾナのツーソンで毎年巨大な鉱物のフェアが開催され、またフランスでも6月に1週間続くフェアがあるそうだ。買える石、買えない石、仕事ができる石、仕事ができない石……すぐに彼は見抜いてゆく。「見た瞬間にインスピレーションをもたらす石があります」といって、彼が見せてくれたのはオーストリア産のピノライト。まるでオーキッドの花が何輪も連なるような模様のモノクロームの石で、自然がこんな石を生み出すものなのか?と驚かされる。“ピノライト”をインターネットで検索してみてほしい。これから彼が語ることがわかりやすいだろう。

「イマジネーションをかきたてられる石ですね。これで置き時計を作ろうと思っています。上にオーキッドの花を彫ったものを飾って……」

このようにプロジェクトは素材から始まることが多い。黒と白の縞模様の石や白地に黒い斑点のある石に、パンテールを見いだすのは想像に難くない。パンテールは確かにメゾンから望まれるモチーフではあるけれど、彼の創造性はほかの種類の動物や植物へも。「私自身は花を彫るのが好きなんです」と語るニコラ。牡丹、モクレン……あらゆる花が彼をインスパイアするそうだ。カルティエに内包される以前のアトリエでは、ジュエラーからのオーダーでエメラルドなどもよく彫ったが、いまは特別注文でたまに、という程度。このアトリエの特徴は、日頃人々が目にすることのない石を彫ること、と彼は繰り返す。

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カルティエの精神を理解する素晴らしい顧客たち。

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珍しい素材をもとに素晴らしいクリエイションが生まれる。左: パフューム・ボトル・ネックレス。香水を入れる部分はアメジストに複数の花が彫刻されている。花芯はブルートルマリンとダイヤモンド。 中: これもパフューム・ボトル・ネックレスで珪化木を彫刻したパンテールと、マイカ クオーツのボトル。 右: シトリンにニコラがパンテールを沈み彫り。グリプティックのサヴォワールフェールの起源だ。photos:(左・中)Vincent Wulveryck © Cartier、(右)Maxime Govet © Cartier

インハウスの教育機関として創設されたカルティエ ジュエリー インスティチュートは20周年を迎えた昨年、9月にヨーロッパ文化遺産の日が開催された折に初めてオープンハウスのイベントを行った。目的は職業を若い層にアピールすることで、この時もフィリップ・ニコラが自身の仕事を紹介し、そしてメートルダールを支援する協会にカルティエがどのようなメセナ活動を行っているかが語られたそうだ。インスティチュートのディレクター、アレクサンドル・オーベルソンはグリプティックについてこう語っている。

「ニコラはアーティストなので作品を作ります。その作品の価値は用いられている貴石ではありません。パンサーの横顔が彫られたメダルを例にとれば、メインとなっているのは黒い石で、これはまったく高価なものではありません。それが技術を磨いた熟練者の手によって何カ月も時間をかけて彫られることによって、何十万ユーロという価値の作品に仕上がるのです。アーティストの絵画をイメージしていただくのがいいでしょう。何カラットものセンターピースがあるわけではないので、最初、販売担当者がそれを売るのは難しいことでした。それを何年もかけて、カルティエならではのユニークさとグリプティックというサヴォワールフェールの価値を語り、そしてグリプティックのアトリエの仕事を見せることによって顧客やマスコミに理解されるよう努力を重ねました」

ニコラが続ける。「グリプティックの仕事によるジュエリーには確かに華やかなセンターピースがないので、芸術的感性の持ち主ならともかく、メゾンのすべての顧客の気を引くというものではありませんでした。理解する顧客が徐々に増えているのは、うれしいことです。たとえばラブラドライトでこのアトリエが作った小さな置き時計を見たある顧客から、別の素材で自分たち夫妻にまつわるストーリーを物語る置き時計が欲しい、という注文が。こうした品は僕たちのアトリエだからこそ制作できるものです。ひとりで複数をこのアトリエに特注する顧客もいるんですよ」

自由で大胆な発想で創業以来クリエイションを続けるカルティエ、その精神に賛同する素晴らしい顧客たち。グリプティックという希少なサヴォワールフェールは、カルティエのメゾンにおいて永続が約束されている。

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ハイジュエリー部門の置き時計に精悍な姿を見せるパンテールは黒碧玉の彫刻。目にエメラルドがセッティングされている。時計の本体にはパームウッドの珪化木が用いられている。photo:Maxime Govet © Cartier

editing: Mariko Omura

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