対岸のヴェネツィア☆
夏だ、お盆だ、夏休み読書強化週間だ!
と、まず最初に読んだ1冊は、先日の「ジーノ家」に続いて、内田洋子さんのイタリアエッセイ『対岸のヴェネツィア 』(集英社文庫)。
(関連記事→ https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/post-1461.html )
このブログでのヴァカンスシリーズでもすっかりのお馴染みのデスティネーション「ヴェネツィア 」。
25歳で初めて訪れた時、迷路に入り組んだ路地、大運河と干潟といくつかの離島、シンボルのサン・マルコ寺院&広場、あとは少し有名美術館を回れば、見所は押さえたつもりになりました。
実際それでも海に浮かび、現実離れした雰囲気漂う町は、十分に非日常を体験できると思います。
ですが、個人的にヴェネツィアの魅力というより、もはや魔力に魅せられたのは、3回目以降のヴェネツィア旅行から。
多い時は春秋、または夏冬と年に2回のヴァカンスを過ごしても全く飽きず、こんなにもこの街にハマるとは25歳の頃は想像もしなかったけれど。
夫とのヴェネツィア旅行で初めは、大運河沿いのラグジュアリーなホテルに泊まりましたが、パリの友人に紹介してもらったフランス系イタリア人ファミリーが家族経営する小さなホテルを定宿にし、ちょっと暮らす気持ちで滞在するようになり、必要以上にヴァポレット(水上バス)は使わず、路地を歩く(その方が移動が早いこと多々)、レストランも運河沿いのツーリストスポットではなく、眺めはないけど地元っ子が行く路地裏にあるお店へ。
そしてヴェネツィア の歴史や謎を語る書籍を読む中で、知れば知るほどにヴェネツィアの光と闇、二面性に惹かれていきました。
「対岸のヴェネツィア」の中にあった、この一文には深くうなづくばかり。
ここに世界の東と西が寄っては離れ、入り混じり、新しい時代が生まれては消滅し、いくつもの過ぎた時が沈殿していった。
海は不要になったものを外へ連れ出し濾過していくのに、ヴェネツィア では淀み、澱となる。
そして何かの拍子に浮き上がってきては、いま陸にいる人をどきりとさせたり懐かしがらせたりする。
独自の発展を遂げたヴェネツィアには、どこか暗さももあり、寒い時期に立ちこめる妖しく幻想的な霧の様子と重なります。
そしていつか消えゆく街だとわかっているから、永遠ではないから、限りある人の人生にも重なるところも。
暮らすには便利とは言いがたいのに、多くの人を惹きるける幻都。
本書はジャーナリストの内田洋子さんがミラノからヴェネツィアに移り住み、しかも本島ではなく、ジュデッカ島に。
そこからヴェネツィアを見つめ、出会った人々とのあれこれを綴った12章のエッセイは、これまた1話完結的にテンポよく読める1冊。
ヴェネツィアに関してはやや土地勘もあるので、その景色はリアルに思い浮かび、まるで映像を見ている感覚になりました。
中でも一番好きだったお話が、ミラノに生まれ育った裕福でバリキャリなマダムと学も教養もなく育ったスペイン・アンダルシア出身の漁師が出会い、なんの共通点もない二人が心地よい関係を築いたこと、その半生を漁師から聞く「陸に上がった船乗り」。
マッチングアプリなどでは到底マッチしそうもない二人が、まさかこの人に出逢うとは…まさかこんな所に暮らすとは…な人生の不思議、ご縁。
他人があれこれ思おうとそれはそれ。当人たちには損得はなく、素敵な話、人生だと感じました。
さて、そんな読書の後に食べたくなったのは、ヴェネツィアで食べて以来、大好きな大きなシャコ!
季節があるので、いつでもいただけるものではないのですが、我が家ではヴェネツィア行きが決まると行きつけレストランのルカさんに電話して、伺う日にシャコが上がっていたらキープしてください!とお願いしてます。
そんなルカさんにもコロナもあってここ数年会えずにいるのは本当に残念…と思いながら、今日はスーパーで見つけた赤海老を焼きました。
そりゃ流れ的にはシャコが食べたいわけですが。。
それにしても美味しそう♡と、漂う香りに食欲刺激されまくり。
ヴェネツィアは、どちらかというとパスタよりリゾット文化。
メインに添えるのもポレンタが多いですが、今回は自家製ジェノベーゼのスパゲティを添えてボナペティート。
食後はまた思い出アルバムをめくってしまいました。
2階の奥の一室の引き出しの中に1枚ずつ綺麗にしまわれた、ほぼ非売品なお宝レースを見せてくれた、とてもチャーミングなレース屋さんのマダムにもまた会いしたいし、
名画にも再会したいです。
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パリの1枚。
朝ランコースは、その日の気分で変えてますが、最後にロンポワン1周がお約束。
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