時計とジュエリー、永遠のパートナーともなりうるこのふたつ。だからこそ、ブランドやそのモノの背景にあるストーリーに耳を傾けたい。いいモノにある、いい物語を語る連載「いいモノ語り」。
今回は、エルメスのウォッチ「アルソー タンシュスポンデュ」の話をお届けします。
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HERMÈS
ARCEAU LE TEMPS SUSPENDU


磨き上げられたメカの一部が文字盤から透けて見える「ブラウン・デゼール」カラーのモデル。時を保留するという遊び心あふれる機構を、時計師の技の粋を注いで仕立てていることに注目。時計「アルソー タンシュスポンデュ」(WG、42mm、自動巻き、アリゲーターストラップ)¥6,633,000/エルメス(エルメスジャポン)
忙しい日常から解放してくれる、哲学的ウォッチ。
エルメスの新作「アルソー タンシュスポンデュ」は、シックなニュアンスカラーが心に染み入るように美しいウォッチ。1978年、アンリ・ドリニーによってデザインされた名作に、スイスのエルメス・マニュファクチュールが丹精込めたメカニカルムーブメントを搭載。文字盤の下方にあしらわれた扇形のゾーンは、いったりきたりする針で日付を示すレトログラード式デイト表示だ。ウォッチのサイズはほどよくバルキーな直径42ミリで、手元のアクセントとして存在感を発揮してくれる大きさ。アイコニックな美貌のタイムピースだけれど、魅力は外見だけにとどまらない。
フランス語でタンシュスポンデュは「保留された時」という意味。針の動きを止めて、時を忘れさせるウォッチなのだ。
時計本体の左サイドにある小さなボタンをプッシュすると、時分針は12時位置のタンシュスポンデュゾーンにジャンプ。日付を示す針は隠れて見えなくなってしまう。動きを止めたウォッチに思わず息をのむけれど、ボタンをもう一度押すと、針は元通りに現在時刻を指し、何事もなかったかのように時を刻み始める。
伝統的なゼンマイや歯車を組み立ててこうした動きを実現するのは、実は極めてハイレベルな技術。このタンシュスポンデュ機構を搭載したウォッチが初お披露目されたのは2011年で、その名作が今年、より洗練された顔立ちになって再登場したのだ。

ボタンを押し、針がタンシュスポンデュゾーンにジャンプした様子。日付表示の針も隠れてしまった。
それにしても、エルメスはなぜ時を保留してしまうのだろう。機械式の複雑な機構をわざわざ自社で開発してまで。ボタンを押すと、短針は12時の少し左に、長針は少し右に止まる。こんな針の位置は、普通ならありえない。何時でもない時間──それを眺めていると、ちょっとひと息入れてみようかな、という気持ちになってくるから不思議。
時の流れは誰にも押しとどめることはできず、現在はたちまち過去になって飛び去ってしまう。だからこのウォッチも、時を止めるのではなくて、ただ保留するだけ。ほんの少しの間だけ時を忘れて、あくせくした時間に縛られた自分を解放してみては、とささやきかけてくる。
遊び心あふれる「アルソー タンシュスポンデュ」は、精緻に時を刻みながらも、時間の制約から解き放たれる大切さを思い出させてくれるウォッチ。まるで哲学のよう。でも、時を哲学的に解釈し、それを最高に洗練された表現で仕立ててみせるのがエルメスなのだ。
ジュエリー&ウォッチジャーナリスト
秋が深まってきたらブローチの出番。セーターやジャケットに大きめのブローチをON。葉っぱとか木の実とか、この季節っぽいモチーフをいっぱい持ってます。
*「フィガロジャポン」2025年12月号より抜粋
photography: Ayumu Yoshida styling: Tomoko Iijima text: Keiko Homma editing: Mami Aiko






