レネー・ゼルウィガーが語る、ジュディ・ガーランド。

インタビュー 2020.03.06

『オズの魔法使』(1939年)や『スタア誕生』(54年)で知られる伝説のミュージカル女優、ジュディ・ガーランドの晩年を描いた『ジュディ 虹の彼方に』。47歳という若さで逝った大スターを演じ、本年度のアカデミー賞主演女優賞を受賞したレネー・ゼルウィガーに、ハリウッドの光と影について聞いた。

「悲劇」のイメージを覆したかった。

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2020年2月、ロサンゼルスにて取材に応じたレネー・ゼルウィガー。

――アカデミー賞主演女優賞受賞、おめでとうございます。歌唱も含め、素晴らしい演技でした。往年のスター、ジュディ・ガーランドを演じることは、女優にとって大変プレッシャーのかかることだと思いますが、それでもジュディを演じようと思った最も大きなモチベーションは?

いくつかあるわ。まず脚本を読んだのだけれど、それまで彼女が晩年あんなふうになっていたとは知らなかった。それでこのストーリーに興味を持ったの。とても高いレベルでずっと仕事をしてきたのに、晩年、なぜ経済的に貧窮したのか。なぜ雇う側にとってリスクのあるアーティストだと見られるようになったのか。そういうことが興味深かったの。

ふたつ目は、監督のルパート・グールドとプロデューサーのデヴィッド・リヴィングストーンがやろうとしていることに賛同したから。これまで、彼女の晩年を「悲劇」というひと言で片付けてしまう風潮があり、それが彼女の「遺産」のようになってしまっている。けれど、どういう状況でそうなってしまったのかを描くことで、お決まりのイメージを覆せると思ったの。

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『ジュディ 虹の彼方に』では、ロンドンのディナー・キャバレー・クラブでショーを行っていた、晩年のジュディ・ガーランドの姿が描かれる。

――映画では、まだ少女の頃のハリウッドでの経験が、彼女の晩年にいかに影響を与えていたのかも描かれますね。ハリウッドが彼女を潰したともいえる。ハリウッドで活躍する女優として、そうした彼女の環境をどう思いましたか。

ハリウッドが彼女を潰したという意見には同意するわ。仕事をさせるために睡眠薬や興奮剤などの薬を与えられたことを含めて、すべて周囲が勝手に決めて、彼女は敷かれたレールの上を歩かされた。当時は、薬を使用することによる後遺症や依存症、モラルハラスメント的なことが精神に与える影響などを、世の中全体がよくわかっていなかった。だから彼女は、マーケティング用のイメージに合わせるために、いろんなプレッシャーの中で生きていたの。

ルックスに関しての強迫観念は、いまのハリウッドにも依然としてあるけれど、この業界も変わってきた。たとえば子どもの労働法も厳しいし、俳優組合もあるから、あの時代に比べたら透明性がある。それに私の場合は、デビューした時はすでに大学を卒業していてある程度大人だったし、自分の選択は自分ですることができた。ジュディが経験した、虐待のようなことは経験していないわ。自分の意思を通せたし、誰かが勝手に何かを決めることはなかった。ハリウッドについていえば、近年は勇気を持って自分の過去の経験を語る人が増えてきたことで、劇的に変わってきていると感じているわ。

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映画出演のオファーも途絶え、ジュディ(レネー・ゼルウィガー)は幼い子どもたちを養うために、巡業ステージで生計を立てていたが……。

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『オズの魔法使』の主演を務め、ハリウッドのトップに上り詰めた少女時代のジュディを演じたのは、オーディションで大抜擢されたダーシー・ショー。

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皆で作り上げた、ジュディを祝福するシーン。

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限られた取材時間の中で、積極的に語ってくれたレネー。

――本作の最後、イギリスのクラブ「トーク・オブ・ザ・タウン」でのパフォーマンスは本当に感動的でした。彼女の最後の輝きともいえるあのステージを、どういう思いで演じたのでしょうか。

ライブのパフォーマンスシーンは、ほとんどをロンドンの「ハックニー・エンパイア劇場」で、1週間くらい集中して撮りました。「オーバー・ザ・レインボー」を歌うあのシーンは、その最後に撮ったの。テイクの間に、観客役のアーティストたちといろいろ話をしたわ。親が「トーク・オブ・ザ・タウン」で実際にジュディのライブを観たという人も多かった。ジュディが自分たちにとってどんな意味を持っているのか、彼女が自分たちに残してくれたものは何か、なぜ彼女と繋がりを感じるのか……そんな話をみんなでしたの。自然にジュディと彼女の美しい歌を祝福する場になった。だから「オーバー・ザ・レインボー」のシーンは、彼女を祝福するシーンになったと思う。ジュディは子どもの時、希望を込めて「オーバー・ザ・レインボー」を歌っていたけど、晩年も歌い続けた。それはとても勇気のいること。あの悲惨な状況の中で、彼女はまだ可能性に目を向けて歌を歌っていたのね。

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レネーはリハーサルの1年前から歌のトレーニングをスタート。ジュディの独特の訛りや声色、ステージ上のパフォーマンスまで見事にマスターした。

――実在の有名な人物を演じるときは、ルックスや声、歩き方などを似せたりすることも重要なポイントですが、そうした外見的なこと以外で、ジュディ・ガーランドをジュディ・ガーランドたらしめていたものは何だったと思いますか。

そうね、確かに外見的なものではないことは確かね……。すべては内側からきているもの。ジュディは、生き生きとしていて知的で、表現力があり、思いやりのある人だった。それは、彼女が物事を深く感じる人だったからだと思うの。そうした内側にあるものがすべて、ジュディ・ガーランドなの。

――映画では、劇場に通うゲイカップルのファンとジュディとの交流が描かれていますが、あれは実話ですか? この映画で彼らとの交流を描いた意味とは何でしょうか?

彼らは架空のキャラクターよ。ジュディは実際にロンドンのクラブで歌った後、ファンとよく飲みにいったりするなど交流を持つ人だったから、ああいうことはあったと思うけど。実はこのシーンについては、監督のルパート・グールドとも、なぜこのシーンが重要だったのかについて話したわ。私たちは、当時のLGBTQコミュニティにおいて、彼女がどういう存在だったのかを見せることが、いまこそ重要と考えたの。彼女がどういう人間だったのかを表現するうえでも欠かせない要素だった。それで、監督は脚本家のトム・エッジにそういうシーンを書いてくれと依頼したのね。彼らとのシーンが組み込まれたこと、私もとてもうれしいわ。ジュディのファンには同性愛者の方もたくさんいたけど、彼女自身もLGBTQのコミュニティを支援し、それを公にも話していたから。そういう意味でも、彼女は先駆者だったのよ。

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ジュディの大ファンだというレネー。背骨が湾曲し、華奢だった晩年の佇まいを体現し、監督をはじめ関係者をも驚かせたという。

レネー・ゼルウィガー Renée Zellweger
アメリカ・テキサス州生まれ。舞台やCMなどを経て、1993年に『バッド・チューニング』で映画デビュー。以後、『リアリティ・バイツ』(94年)、『ザ・エージェント』(96年)、『ふたりの男とひとりの女』(2000年)、など次々と話題作に出演。01年、『ブリジット・ジョーンズの日記』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、その後のシリーズ2作品でも主演。『シカゴ』(02年)で2度目のアカデミー賞主演女優賞にノミネート、『コールド マウンテン』(03年)でアカデミー賞助演女優賞を受賞。本作でアカデミー賞主演女優賞を受賞した。
『ジュディ 虹の彼方に』
●監督/ルパート・グールド
●出演/レネー・ゼルウィガー、ジェシー・バックリー、フィン・ウィットロック、ルーファス・シーウェル、マイケル・ガンボン、ダーシー・ショー、ロイス・ピアソンほか
●2019年、イギリス映画
●118分
●配給/ギャガ
●3/6(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開
https://gaga.ne.jp/judy
© PATHÉ PRODUCTIONS LIMITED AND BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2019

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photos : YOSHIHIRO MAKINO (W), interview et texte : ATSUKO TATSUTA

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