ジョニー・デップのラブコールから生まれた、『MINAMATA』を撮影した写真家と妻の物語。

インタビュー 2021.09.03

1975年、写真集『MINAMATA』が世に生まれた。第二次世界大戦中、報道写真家として、サイパン、日本などで惨憺たる状況を撮り続けたユージン・スミスが、3年間の過酷な取材を共に歩んだパートナー、アイリーン・美緒子・スミスとともに作った熊本、水俣病患者の戦いの記録である。アンドリュー・レヴィタス監督は、その制作過程を映画『MINAMATAーミナマター』というドラマに醸成した。

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劇中、暗室で現像作業を共にするユージン(ジョニー・デップ)とアイリーン(美波)。© Larry Horricks 

1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する写真家のひとりと称えられたユージン・スミスは、いまでは酒に溺れ荒んだ生活を送っていた。そんな時、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる。水銀におかされ歩くことも話すこともできない子どもたち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側──そんな光景に驚きながらもシャッターを冷静に切り続けるユージンは、チッソの社長からのネガを大金で買うという申し出を拒否したために危険な反撃にあう。追い詰められたユージンは、水俣病と共に生きる人々にある提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮る──。

戦争体験で身も心も疲弊しきっていた50代のユージンを演じるのは国際的なスター、ジョニー・デップ。今作では自らプロデューサーに名乗りをあげ、大企業による公害被害と戦い続けた人々の歴史に光を当てる。そして、世界中を探してもなかなか見つからず、難航したというアイリーン役に抜擢されたのは女優の美波。パリのオーディションからそのまま撮影地、セルビアに飛びこむことになった彼女。「撮影中は自分で作ったアイリーン像が壊れないように、あえてご本人と距離をとっていた」というモデルとなったアイリーン・美緒子・スミスとの念願の対談が叶い、熱い戦いの日々を語ってもらった。

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ジョニー・デップが演じた写真家のユージン・スミス。本人とあまりに似ているルックスも話題に。© Larry Horricks 

僕の人生に与えられた役目は---あるがままの生をとらえることだ

――ユージン・スミス(17歳、母親に宛てた手紙より)

――映画化への経緯を教えていただけますか? 

アイリーン・美緒子・スミス(以下アイリーン)  映画化ついてはこれまで何度か問い合わせがあったのですが、ハリウッドでは脚本にされたからといってすぐさま映画が実現するわけじゃない。なので7年ほど前に問い合わせが来た時は「またか」という感想だったんです。

現実味を帯びたのはジョニー・デップさんの製作会社インフィニタム・ニヒルが関心を持っていると聞いたことで、ジョニーが自らユージン・スミスを演じたいと意思を表明して一気に話が進みました。ジョニーが監督に指名したアンドリュー・レヴィタスさんとは1年ほど、電話会議を重ねていきました。映画化に際して伝えたかったことは、水俣の患者さんのことと水俣の現実。そして、ユージンがどういう信念で写真を撮ったのか。私から見てユージンはどういう人だったか、ふたりでどのように仕事をしたかです。

美波さんは大変だったのよね。パリでオーディションをしてすぐに決まって、そのまま撮影に突入したから。

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アイリーン・美緒子・スミス 1950年、東京生まれ。68年スタンフォード大学入学、83年コロンビア大学にて環境科学の修士号を取得。71年から水俣病取材のために水俣に住み、75年にユージン・スミスと写真集『MINAMATA』を出版。1991年、脱原発と温暖化防止を目指す市民グループ「グリーン・アクション」を創設、現在も同団体の代表を務めている。© Larry Horricks 

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美波 いまは笑い話にしているけれど、決まる前から大変でした。パリで急きょ、オーディションを受けることになったんですけど、私にとっては英語の芝居がネックで、フレンチアクセントになっちゃうのがいちばん大変だった。あとは、この役の大きさですね。アイリーンさんを演じるうえでどこまで自分は準備ができているのかなという不安がありました。

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美波(写真左からふたり目) 1986年、東京生まれ。『バトルロワイヤル』(2000年)で映画デビュー。03年に資生堂のCMモデルに抜擢、舞台、映画、ドラマ、モデル業と幅広く活躍。14年に文化庁の新進芸術家海外研修制度のメンバーに選出され、1年間パリへ留学。以降、世界を舞台に活躍中。© Larry Horricks 

アイリーン バイリンガルであることと、当時の私は21歳だったから、30代、40代は条件から外れていてなかなか見つからなかったんです。アンドリューは当初、アメリカと日本で探していたけど、なかなか条件に合う人がいなくて、「まだ見つからない」「まだ探している」とずっと聞いていたのね。最後に私が、「世界中、どこでもいいじゃない。私のプロフィールにこだわらないで」って伝えたんだけど、美波さんは完全にフランス語を消して英語を話していて、フレンチアクセントが一回も聞こえなかった。すごいと思ったわ。

美波 うれしい!

アイリーン 私としては別にフレンチアクセントが出ても問題なかったのよ。だって、映画の中ではアイリーンがどういうバックグラウンドかを示す場面がなかったので。でも、あなたは意気込みがすごかったわね。

美波 たまたまフランスでオーディションをして、日本に帰る予定が、そのまま撮影地のセルビアに2カ月滞在することになったので、心の準備ができていないまま行かなくちゃいけなかったんです。その分、この役に対する嘘がなかったですね。いままでは台本を読んだ時、「なんでこんなことをいうんだろう?」と疑問に思うこともあったんだけど、アイリーンの台詞には一切そういうことがなかった。ピュアで、正面を向いて突き進んでいく意思を感じていたので、共感しやすい役でした。

実は、撮影現場にアイリーンさんが来られたんだけど、その時の私はいろんなプレッシャーがある中、お芝居していたことと、自分の中でアイリーン像を作り上げていたから、ここでご本人に会うと、それがわからなくなるんじゃないかという不安があって、こちらから話しに行かなかったんです。映画が完成して、ようやく、解放されて、いま、存分にお話が聞けるのでうれしいです。

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演じる上で意識した”若さ”とは

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どんなシーンでもウィスキーを手放せないユージン。酒に溺れる姿は、彼が戦争や取材現場で受けた傷の深さを物語っているかのようだ。© Larry Horricks 

アイリーン 俳優って自分で調べて、自分で練って、演じるキャラクターをクリエイトしていくことが大切な作業ですものね。だから私もユージン・スミスを演じたジョニーとは直接、ユージンについてはそんなに話をしていない。私の役割は監督に情報を提供すること。その後は、映画を作る側がクリエイトしていくので、介入しないようにしました。

美波 映画での時系列と、実際の出来事には違いがありますけど、私、アイリーンさんは水俣に行って結婚式を挙げたのかと思っていました。

アイリーン 映画では仕事でのパートナーとしてユージンと一緒に水俣に入って、そこからフォーリンラブとなるけれど、実際には水俣に行く1週間前に入籍して、水俣に行ってから式を挙げました。私の母が結婚式の準備に夢中になって、振袖とか用意して、でも、ユージンの袴の裾が短くておかしかったんだけど…まあ、これは雑談ね。

映画はフィクションなので、結婚の時期とかは私にとってはどうでもよくて、でも、水俣に着く前の出会いや緊張はニューヨークで初めて出会う場面に込められているように感じました。実際の私たちの出会いや緊張は違うものだったけれど。そして、映画全編を通して、美波さんが演じるアイリーンはユージンをマネージメントしてずっとお尻を叩いている感じで、その点は実際の私と似ているところがあったわ(笑)。

美波 私が演じる上で意識したのは、アイリーンの若さ。実際には私は30を超えていたけど、ユージンと出会って結婚した時にアイリーンは21歳で、その年齢ゆえの無鉄砲で、純粋で突き進む性格は強く意識していました。ユージンは報道写真の歴史のうえでも素晴らしい仕事を残しているカメラマンなんだけど、その彼に対して動じず、どんどん彼の前に進んで、引っ張っていく。私自身にも似ているところがあるなと思って演じていましたし、仕事や恋愛というファクターよりも、使命感というキーワードのほうが演じるうえですごく強かったですね。

映画ならではの場面として、病院でチッソ側が極秘に調べていた水銀の毒性を調べる実験結果を見つける場面があるのですが、その時は、涙を流してはいたんですけど、ある意味、泣くってすごく楽じゃないですか。だいたいは、泣くことって自分のためじゃないですか。でも、この映画のアイリーンは自分のためじゃなく、水俣病の患者の方々のために、事実を世に出すための使命感で泣いちゃう。気を緩めると崩れちゃうような場面の連続で、あまりほっとするシーンがなかった記憶があります。

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映画の中で描かれた”痛み”

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水俣の地を訪れ、真実を求めて過激な闘争に身を投じるユージンとアイリーン。© Larry Horricks 

――夫婦という設定ではなく、仕事の上での対等なパートナーとして演じることで、ジョニー・デップさんとはどういう話をしましたか?

美波 特別なすりあわせはしていないですけど、ジョニーは本当に包容力がある方で、役者として何をやっても受け止めてくれて、それは本当に初めての体験でしたね。本当に素晴らしい俳優なんだなと改めて認識しました。

アイリーン 特に記憶に残っているシーンはありますか?

美波 やっぱりキスシーン。あと、映画を見ていただいたらわかるんですけど、カメラが回っている間でも、回っていない時でも、ジョニーの演じたユージンは常に私の許可を求めるように、ちらちらと私を見て目で同意を求めるんです。映画のアイリーンが主導権を握っている感じは、現場でも、カメラオフでもすごくあって、信頼関係を築きながら過ごせたと思います。

――映画を見て驚いたのは、ユージンさんが第二次世界大戦中に遭遇した肉体と精神の痛みを内合しながら、水俣に向かっていたことでした。映画で描かれた、彼が親しい人にしか見せていなかった痛みや弱さといった面をどうご覧になりましたか?

アイリーン 実際、ユージンと会った時、彼は身体がボロボロでした。その状態で水俣でも撮影をしていたんですけど、でも、自分の写真への信念は全く変わっていなかった。自分の信念を誠実に真っ当するという気持ちだった。

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ユージンは戦争でのトラウマやアルコール依存、自身の窮乏を越えてなお、写真が伝える真実という使命感とともに戦いを続けることを決意する。 © Larry Horricks 

彼が17歳の時、母親に宛てた手紙の中で、「僕の人生に与えられた役目は---あるがままの生をとらえることだ」と書き、悲しみなら悲しみを、喜びなら喜びを、そのまま写真にとらえることだと宣言するような文章を送るんですけど、その後、実行したんです。でも、戦場で受けた怪我が酷くて、口に穴が開いてしまい、ちゃんと食べられない。噛めないから栄養失調にも繋がるし、怪我もいっぱいしていたので、ユージンと私の間ではお互い暗黙の了解で、水俣が最後の仕事だとわかっていました。そんな状態で水俣に移住して4ケ月目、映画では熊本での出来事として描かれていましたが、千葉のチッソの五井工場で暴行を受け、すでに持っていた重荷にさらに負荷がかかった。それまでも身体の痛さを紛らわすために一日一本のウィスキーを必要としていたけど、五井での怪我が猛烈な痛みだったので、そこからはもう写真を撮るという行為はバトルでした。

ただ、ユージンは諦めるということは絶対しない人だった。映画の中ではユージンの挫折を象徴するために、暗室を燃やされるということで置き換えていましたよね。カメラマンにとって、暗室まで燃やされるというのは、いままでやってきたものが全部失くなり、もうどうにもならないことを意味します。アンドリューはあそこで、五井事件で倒れた時のユージンの気持ちを描いたんじゃないかなと思います。

 

 

>>後編『「正義が勝つことを忘れてはいけない」 映画『MINAMATA』に込められた想い。』

 「MINAMATAーミナマター」

●監督/アンドリュー・レヴィタス
●出演/ジョニー・デップ、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子、ビル・ナイ
●2020年、アメリカ映画 115分
●配給/ロングライド、アルバトロス・フィルム
●9月23日(木・祝)TOHOシネマズ 日比谷他にて全国公開
© 2020 MINAMATA FILM, LLC 
longride.jp/minamata

 

text: Yuka Kimbara

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