「正義が勝つことを忘れてはいけない」 映画『MINAMATA』に込められた想い。

インタビュー 2021.09.22

1975年、写真集『MINAMATA』が世に生まれた。第二次世界大戦中、報道写真家として、サイパン、日本などで惨憺たる状況を撮り続けたユージン・スミスが、3年間の過酷な取材を共に歩んだパートナー、アイリーン・美緒子・スミスとともに作った熊本、水俣病患者の戦いの記録である。アンドリュー・レヴィタス監督は、その制作過程を映画『MINAMATA』というドラマに醸成した。

 

戦争体験で身も心も疲弊しきっていた50代のユージンを演じるのは国際的なスター、ジョニー・デップ。今作では自らプロデューサーに名乗りをあげ、大企業による公害被害と戦い続けた人々の歴史に光を当てる。そして、世界中を探してもなかなか見つからず、難航したというアイリーン役に抜擢されたのは女優の美波。パリのオーディションからそのまま撮影地、セルビアに飛びこむことになった彼女。「撮影中は自分で作ったアイリーン像が壊れないように、あえてご本人と距離をとっていた」というモデルとなったアイリーン・美緒子・スミスとの念願の対談が叶い、熱い戦いの日々を語ってもらった。

>>前編『ジョニー・デップのラブコールから生まれた、『MINAMATA』を世界に伝えた写真家と妻の物語。』
>「目に見えない敵と戦ういまだからこそ観てほしい」ジョニー・デップが語った映画『MINAMATA』への思い。

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写真のフィルムのコマーシャル映像を撮影しに来たアイリーン。劇中では、この出会いがふたりの運命を大きく変えることになる。© Larry Horricks 

判決を聞いて、魂に火を灯された。その火はいまも延々と消えない。

――アイリーン・美緒子・スミス

――美波さんは、アイリーンさんとユージンさんの戦いを映画として追体験する形になったと思いますが、アンドリュー監督とはどういうコミュニケーションをとりましたか?

美波  日本の撮影と大きく違う点でお伝えしたいのは、アンドリューはテストをしないんです。その代わり、撮影の前にアンドリューとジョニーと私と、時には撮影監督のブノワ・ドゥロームを交えて、これからの場面はどうしようかと細かく話し合いをするんです。もちろん監督の頭の中には画(え)はあるんだけど、役者の感情や動きとをいかに合わせるかを細かく意思確認していました。

それに加えて、ジョニーから、場面が終わった時に、「やりづらくない?」「大丈夫?」って常にサポートがあり、その都度、自分の中のやりづらさは何かということを正直に話せたので、信頼関係を強く感じていました。ジョニーがインタビューで話していたけど、まさにジャズセッションのような撮影で、私たちの動きや鼓動に、ブノワのカメラが合わせて動いてまるでダンスのようで。で、これは私にしか見えていない世界で、ときめいちゃったのは、ブノワのカメラが私の呼吸に合わせて動く度に、ジョニーがその横にいて、必ず目線を作って、動いてくれるんですよ。それもダンスしているみたいで。私は壁を相手に演じているんじゃない、目の前にジョニーがいて、ユージンに思いをピュアに伝えることができました。

アイリーンさんの前では伝えづらいんだけど、ジョニーの演じているユージンさんはすごく子どもっぽいところがあって、役を通して、私がどうにかしなくちゃって思わせてくれるんです。切磋琢磨しながら、支え合いながら、どっちが大人でどっちが子どもなのという関係性で、それが愛に繋がっていると感じました。撮影中はいろんな苦労やプレッシャーがクラッシュしていたんですけど、ジョニーの細やかなサポートもあって、見ごたえがあるというとありふれた言葉になりますけど、いろんな断片が見える映画だと思います。

アイリーン 実際のユージンはすごく包容力がありました。ユージンは何かを押さえつけたり、控えさせたりということが一切ない人で、なんでも私のやりたいようにやらせてくれたんです。人間関係は対等で、彼と二人三脚で写真を撮りました。初めての撮影だったけれど、撮ったロール数はユージンとだいたい同じ数だったんです。仕事では自然と経験のある彼がリードしているんだけど、それを感じさせることはまったくなく、ただ一緒に仕事をしていました。 美波さんが話していたジョニーの撮影中の包容力とサポートは実際のユージンと重なりますね。

美波 わかります。

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映画の撮り方が、ユージンの撮影方法にリンクした

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レヴィタス監督と台本を読み合わせるジョニー・デップ。© Larry Horricks 

アイリーン そういう関係性をアンドリューが、私との1年以上の会話から読み取り、彼の視点で描いたのだと思う。ユージンは肉体的には疲れていたけど、美波さんがいま言ったように、私のまっしぐらな勢いと彼の深い信念がドッキングしていた。美波さんがジョニーのユージンは子どもっぽかったと話したけど、実際の本人もそうだったわよ。

美波 ああ、そうでしたか。

アイリーン ユージンは水俣ではいろんな人と会って、純粋に毎回泣いて、感激していた。ジョニーの子どもっぽさは、ユージンのキャラクターを描くのに大切な要素だったと思います。もうひとつおもしろかったのが、美波さんが、ブノワがふたりの動きに合わせながら撮ると言ったけど、それはまさにユージンの撮り方と同じね。彼もみんなの動きの流れに合わせて撮っていたから。

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封印した一枚の写真

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暴行を受けてなお、闘うことをやめたかったユージンとアイリーン。彼らが撮った一枚の写真が、世界を変えることになった。© Larry Horricks 

――アイリーンさんは20年ほど前に、一度、写真集『MINAMATA』に収められた「入浴する智子と母」(Tomoko in Her Bath, 1971年)という象徴的な写真については、被写体である上村智子さんのご家族から「もう智子を休ませたい」との意向を受けて、新たに印刷するのを控えることを発表されました。今回の映画で再現された撮影風景や智子さんの写真が、本物のオリジナルの代わりになるものとして機能することを望まれていますか?

アイリーン 言うまでもなく、映画で再現された入浴の撮影風景や写真は本物の代わりにはなりません。ジョニーとアンドリューから映画化の話があった時、水俣の地で起きた出来事の悲しみと美しさを、水俣の患者さんの身に起きたことを、そして私たちが目撃して写真に収めたこと、それらを世界に伝えたい、と伝えました。映画をきっかけに、実際の患者さんたちのこと、起こった出来事を、知ってもらうことが私の願いです。

ラストの入浴する写真を撮影する場面はエッセンスの一部で、私自身は、全体のストーリーが伝わることを願っていました。そうはいっても入浴の場面はものすごく相談されました。「どのような雰囲気の中で、どのように撮られたのか」って。不安はあったけれど、伝えたあとのクリエイションは彼らの作業。子ども(映画)を産むのは彼らだから。

私はあの写真の場面だけじゃなく、トータルのストーリーが世界に伝わればと思っていますし、写真集は1975年にユージンと私が作ったままで再販します(1)。映画も写真集も、いま、世界中の公害で起こっていることへの応援というか、被害者の応援になればいいと思っています。

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水俣病を演じるということ

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劇中、患者が入院する病院に潜入するシーンが印象的に描かれる。© Larry Horricks 

――美波さんに聞きたいのですが、加瀬亮さんや青木柚さんなど、水俣病にかかった人たちの演技の中で印象に残ったことは?

美波 もちろん名前のある役者さんは印象的でしたが、ヨーロッパ中から集まってくれたエキストラさんの存在に支えられました。水俣病患者の撮影をする場面があるのですが、そこで子どもの看病をするお母さん役として登場する人は、セルビアに住んでいる娘と孫に会いに旅行中の女性で、たまたま滞在中にこの映画のことを知り、お孫さんと撮影に参加した方だったんです。すごく印象的なシーンで、そのお母さん役の方をはじめ、エキストラの皆さんが優しい笑顔をされていたり、もちろん苦しみも演じているんだけど、すごく力強いお芝居だったなと思います。

ちょっと話が脱線しますけど、私はフランスからいきなりセルビアに行って何が恋しかったかというと日本食だったんです。ある時、私がお米を食べていないことを知ったセルビア在住のエキストラの方が、家から炊飯器を持ってきてくれて、お米を炊いてくれたんですね。その時はうれしくて泣いちゃいました。

アイリーン 撮影スタッフに参加していたのはセルビアの若い方たち。彼らは子どもの頃に戦争を体験して、大変な目に遭っている。そんな人たちが、日本の1970年代の資料を読み込んで、当時の服装はどうしよう、日本の家のセットの組み方はどうしようと、夢中になっていた。カメラマンのブノワ、水俣病患者を演じた加瀬亮さん、真田広之さん、岩瀬晶子さん、若い日本の俳優の方たち、エキストラの皆さまが、心の中の自分のミナマタに向き合って、表現していました。スタッフもそう。ライティングの若いスタッフとか、本当はこの映画に参加したひとりひとり、全員に、「あなたの中のミナマタ」について聞きに行きたくなる、そういう感じを現場で経験しましたね。

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闘い続けるふたりのモチベーションとは?

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浅野忠信や真田広之、加瀬亮といった実力派キャストが、水俣病患者やその家族を熱演。© Larry Horricks 

――アンドリュー監督が水俣病を表現する上で気を付けていた点はどういうところだったでしょうか?

アイリーン 見えない水俣病の苦しみを、映像を通して伝えようとしていたことです。激しい痙攣などを伴う劇症型の症状で見せるドラマは多いけれど、彼は、手は曲がっていなくても、生活の中で水銀の中毒で苦しんでいる様子を見せました。ただただショッキングで見せる構成はいくらでもできたと思うんですけど、そうしなかった。たしかに水俣病は重症の患者さんが多くいます。でも、同時に外見的にはほとんど見えないけれど、身体の中はとても苦しい方々も多くいます。アンドリューはその両方を描くように努力したのだと思います。

――最後におふたりに伺いたいのは、困難なことに立ち向かうモチベーションについてです。

美波 向かう先は違うけど、アイリーンさんと共感する部分についてはパッションですね。私はパッションの塊だし、楽しいことはもちろん、辛いこと、大変なことも含めて情熱がある。私は昔からボーダーレスな表現者になりたいとずっと思っていて、それはハーフであるという意識が強いことも関係しているんですけど、国境のない女優であることがひとつの目標で、日本、アメリカ、フランスなどインターナショナルで活動したいという思いがありました。いまは表現についてのボ-ダーを外すことが次の目標。趣味で18歳の頃から絵を描いてきたけれど、最近は映像を撮ったり、作品を多くの人に見せることになって、表現の境界線もなくしていきたい。だから、パッションです。

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写真が伝える真実に、自身の生きがいを見出していたユージン。© Larry Horricks 

アイリーン 私のモチベーションは、1973(昭和48)年3月20日、熊本地裁の判決を目撃したこと。チッソの法的責任が明確にされ、水俣病患者に対して賠償責任があると認められたこと。それは私にとってはものすごくパワフルなもので、それまで心が折れることなく、一心にみんなが必死に戦って、その姿をどう写真で撮るのか、伝えていくのかを考えていたけど、あの判決は、相手がどんなに大企業でも時々は正義が勝つんだと示してくれた。特に若かったからかもしれないけど、判決を聞いて、魂に火を灯されて、その火はいまも延々と消えないんです。ギフト、宝物をもらった瞬間ですね。みんなで受け取った判決だから。それが私の原動力です。それは現在も全然変わっていません。いまは原発問題で裁判を起こして、しょっちゅう負けたり、うまくいかないことは年がら年じゅうだけど、心の中に灯った火は一切、消えない。水俣病をはじめ、世界中でいまだ公害被害は解決はみないけれど、いろいろな人がそれぞれ力を出し合って、テクニックとアートで工夫すれば、柔道や合気道みたいに、小さな力で、大きな相手をひっくり返すことが出来る。それがおもしろいのね。

もうひとつ、ユージン・スミスが暴行を受けた後、なぜ、訴えなかったかという点について伝えさせてください。私たちは泣き寝入りをして訴えなかったのではない。向こうはユージンの撮影を止めるために暴力をふるいました。それに対してのユージンと私の答えは、撮影を止めないということでした。写真集『MINAMATA』の前書きを書き終えたとき、ユージンは私に振り向いて、「今日は何の日?」とたずねました。その日は、五井事件の暴行を受けたことが時効となる日で、私たちは訴える代わりに、写真集を仕上げたんです。私たちの始めたステイトメントは暴力を受けても消えなかった、終わりまでできたよと、そういう意味でのユージンの発言で、私たちの答えは写真集だったのです。

(1)写真集『MINAMATA』は、巻末の内容と装丁を新しくして2021年9月7日、クレヴィス社から再販された。

 「MINAMATA」

●監督/アンドリュー・レヴィタス
●出演/ジョニー・デップ、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子、ビル・ナイ
●2020年、アメリカ映画 115分
●配給/ロングライド、アルバトロス・フィルム
●9月23日(木・祝)TOHOシネマズ 日比谷他にて全国公開
© 2020 MINAMATA FILM, LLC 
longride.jp/minamata

text: Yuka Kimbara

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