悲しみから顔を上げた母親の表情に注目を、映画『ティル』

事実を元に描いた映画ゆえ、ネタバレも何もないのだが、注目すべきは息子エメット・ティルを殺された、母親メイミーの気持ちの変化、そこからの揺るぎない意志、その成長にある。ウーピー・ゴールドバーグが共同製作を担当し、自らメイミーの母親役として出演しているという、その気合いというか魂の入れ方からして、その本気度がわかる。まさに期待を超える作品になっているといっていいだろう。しかし、その一方で『007』シリーズのスタッフも製作チームに加わっているため、いろいろな見せ場を用意していてテンポよく展開する。中弛みは全くない。

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母親メイミー(ダニエル・デッドワイラー)とひとり息子のエメット(ジェイリン・ホール)。

 

白人女性に口笛を吹いただけで、黒人少年が殺されるという現実。

舞台は1955年のアメリカ。イリノイ州シカゴで生まれ育った14歳のエメットが、アメリカ南部のミシシッピー州マネーにある親戚宅を訪れた際に事件が起こる。アメリカ北部にあるシカゴといえば、1893年にシカゴ万博博覧会が開催されたほど、洗練された都市として人気があった。一方、ミシシッピー州はアメリカ南部にある。奴隷制は1865年に合衆国憲法修正13条で正式に廃止されたとはいえ、南部が南北戦争の発端となったように、当時はまだ黒人に対して人種差別の酷い地域として知られていた。

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共同制作の他、メイミーの母親アルマ役を演じるウーピー・ゴールドバーグ(写真右)。

少年エメットは、北部で感じているよりも南部での差別はあからさまに酷いという現状を理解していなかった。そのため、飲食雑貨店で店番をしていた白人女性キャロリンに向けて口笛を吹いたことで怒りを買い、キャロリンの夫たちから壮絶なリンチを受け、川に捨てられてしまう。エメットは、母親メイミーが夫の戦死後、愛情込めて育ててきた一人息子である。それゆえ息子が殺されたことを知った時は、発狂しそうなほどの悲しみに見舞われた。しかし、実際にその悲惨な遺体を目にした時に怒りが込み上げ、この惨状をアメリカ中に知らしめようと決意し、葬儀で遺体を公開、しかも新聞記者にその写真を撮らせるのである。

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母親メイミー役が素晴らしく、エンパワーメントにあふれる作品に。

この決意の表情が、絶対に見逃せない、この映画いちばんのハイライトシーンだ。そこから、メイミー役のダニエル・デッドワイラーの絶望から希望へと力強さを増していく表情に、一気に引き込まれていく。というか、メイミーを応援する気持ちと同時に、自分も背中を押されているような気持ちになってくる。

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ダニエル・デッドワイラーの映画と言っても過言ではない熱演ぶり。

口笛を吹いただけで殺された14歳の少年の「エメット・ティル殺害事件」は、その後の公民権運動を発展させるきっかけのひとつになったと言われている。しかしこの映画『ティル』ではリンチのシーンは描かれていない。作品を制作するにあたり、どのようにリンチされたかを描く必要なないと判断されたからだろう。正しいと思う。しかし伝えるべき事実はしっかり映像化していて、実話だけに双方の立場を捉えて展開されるドキュメンタリーのような内容となっている。

白人ばかりを陪審員として集めた当時の裁判の様子、メイミーを陥れるために、ちょっとしたことでさえスキャンダラスに扱おうとする白人たち。真実を見極める前に、そういった偏見や先入観、潜在意識といった眼鏡しかかけていない人たちが並ぶ一方で、無言ながらメイミーの乗った車に敬意を示す「声を発することのできない」黒人たちの姿は、静かな感動を呼ぶ。また、メイミーを応援する白人の奴隷廃止論者もいれば、金のために同胞を裏切る黒人もいる。

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長い時を経て、昨年「エミット・ティル反リンチ法」が成立。

そのような混沌とした状況の中で、一市民でしかなったシングルマザーのメイミーが、どのように決意し、成長し、声を上げ、メッセージを届けていったか。その成果は、昨年形となって表れた。2022年3月29日に、アメリカで人種差別によるリンチを憎悪犯罪と定める法案が成立され、この法律は「エミット・ティル反リンチ法」と名付けられた。ハリス副大統領は上院議員時代に、この反リンチ法案の共同提出者だったそうだ。


流れる音楽はどれも良いが、ひときわ光る主題歌「Stand Up」。

公民権運動、ブラック・ライヴズ・マター運動......と黒人が立ち上がっても、未だ変わらない人種差別。「エミット・ティル反リンチ法」が成立したこともあり、アメリカでは昨年公開されたこの映画の意義をぜひ確かめていただければと思う。そしてこの事件を知らなくても、元気や勇気をもらえる秀逸な映画だとオススメしたい。

『ティル』
●監督・脚本/シノニエ・チュクウ
●製作/ウーピー・ゴールドバーグ、バーバラ・ブロッコリ
●出演/ダニエル・デッドワイラー、ウーピー・ゴールドバーグ、ジェイリン・ホール、ショーン・パトリック・トーマス、ジョン・ダグラス・トンプソン、ヘイリー・ベネットほか
●2022年、アメリカ映画、130分
●PG-12
●配給/パルコ ユニバーサル映画
© 2022 Orion Releasing LLC. All rights reserved.
www.universalpictures.jp/micro/till

*To Be Continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
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