宇多田ヒカルが自身とファンの25年間を祝った、至福のコンサート。

それは "黄昏時と夜の間"の贅沢な時間だった。約6年ぶりとなる宇多田ヒカルのコンサートツアー『HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024』の最終公演が、Kアリーナ横浜で9月1日に開催された。会場には宇宙旅行を思わせる効果音が響き、ステージには "ここではないどこか"である惑星に着陸したことを想起させるセットが広がる。ここで宇多田が披露した歌は、本篇では20曲(アンコールは3曲)。大まかに分けるならば、前半はデビューアルバムの『First Love』(1999年)をはじめ初期の3枚から8曲(そのうちメドレー1曲)、次に『ULTRA BLUE』(2006年)、『HEART STATION』(08年)から6曲、インタールードを挟んだ後半は、2012年にロンドンに移住後に発表したアルバム『Fantôme』(16年)をはじめ、それ以降に発表された6曲が披露された(『SCEIENCE FICTION』(24年)からRe-Recordingの楽曲もあるが、詳細はセットリストを参照)。

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約6年ぶりに開催されたツアー。最終公演はKアリーナ横浜で。 photography: Teppei Kishida

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最先端の素材を使うなど、衣装の細部にまで意思を表現

前半の衣装は、真白のセットアップだった。ジャケットを脱いで現れたベストはカットが大きめ、パンツは裾が広く、そのドレープの美しさからロングスカート、遠目にはドレスと見間違うほど。しかも、「traveling(Re-Recording)」を歌い終えてセンターステージからメインステージに戻り、客席に背を向けてジャケットを脱ぐ際にバックライトから映し出されたのは、衣装以上にジェンダー云々といったことを意識させない"宇多田ヒカル"そのものを象徴した美しいシルエットだった。LED を駆使した素晴らしい演出の中で、逆に最もシンプルで目に焼き付いた一瞬である。

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オープニングでは真白のセットアップで登場した宇多田ヒカル。photography: Teppei Kishida
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「First Love」では粉雪を思わせる演出に惹き込まれた。photography: Teppei Kishida

インタールードの映像を挟み(ファンにはお馴染みのくまちゃんが宇宙へワームホールするアニメーションで、最後にはくまちゃんの中から宇多田本人が登場する)、後半はまさしく近未来を想起させる衣装で登場。これはスパイバー(Spiber)が開発した"環境に優しい"人工構造タンパク質素材ブリュード・プロテイン繊維を採用したもので、ここにも宇多田の強いこだわりが感じられた。そしてアンコールは、普段の宇多田を思わせるスタイルで登場した。

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「BADモード」では、センターステージの一部が上昇。photography: Teppei Kishida
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最先端をいく環境にやさしい素材で創られた色鮮やかな衣装。photography: Teppei Kishida

なお、最新アルバム及びこのツアータイトルのワードである"SCIENCE FICTION"について、宇多田は次のように各所で語っている。

「歌詞の世界はノンフィクションのように捉えられたり、そうではないと想像で書いているように思われたりするけれど、自分はリアルに体験した気持ちしか書けない。フィクションかノンフィクションかっていうと、どっちでもない。そこからサイエンス・フィクションという言葉が浮かび、自分の好きな科学と文学が合わさっているこの言葉は自分の音楽ジャンルを言い表すのにもとても合うと思って、タイトルに決めました」

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オペラグラスも使い、観客みんなに気持ちが届いているかを確認

1曲目は1999年のデビューシングルから「time will tell」。一番を歌い終えたところで「みんな、こんにちは!」と会場に声をかける。続く「Letters」ではアコースティックギターやパーカッションを効かせたラテン調のナンバーで、サウンドの明るさに対し温かみのある中音域から高音域へ差しかかるメロディが切なく沁みる。繊細なアコギの響きに導かれる「Wait & See 〜リスク〜」は、徐々にバンド演奏となり、会場の熱量を上げていく。「ありがとう。やっと会えたね!今日はゆっくりしてって」という挨拶に続く「In My Room」は、かつての宇多田の学生生活を想起させるナンバーだ。歌い終わると、「"こんにちは"か、"こんばんわ"か、迷う時間。黄昏時と夜の中間、そういう時間を、今日を一緒に楽しめたらいいなと思います」と話す。ちょうど空の色彩もグラデーションのように変化していくメランコリックな時間帯である。そしてステージの最前で、光が左右に流れるように走っているのが印象的だ。

宇多田はこの最終日を迎えるまでに台湾や香港の海外公演も含めて9ヶ所17公演行っているが、この日は収録のカメラが入っているせいか、冒頭では少し緊張しているように感じた。実際、2012年からロンドンで暮らし、また"人間活動"と称しての活動休止期間やコロナ禍があったこともあり、日本で生活しているミュージシャンに比べるとコンサート回数は格段に少なく、バンド演奏で人前で歌う機会も少ない。

だからこそ、本人にも観客にも稀有な時間なのである。「今日は残り少ないこの日を、みんなといま一緒にいることを目一杯楽しみたくて、いまいるってことに集中して、みんなと一緒に過ごせたらと思うので、よろしく!」と、声をかける。

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「traveling(Re-Recording)」では高層ビルを思わせる赤く彩られたLEDの演出が高揚感を煽る。photography: Teppei Kishida

会場で耳にして、宇多田の歌声は時を経て随分と深みを増したと感じた。それは最新アルバムからも、また最近のTV番組の出演時にも感じていたが、実際に目の前にして聴くと、たとえば「光(Re-Recording)」では、低音域や中音域での温かみに加え、至極美しい高音域の声からも包み込むようなまろやかさが沁みてくる。これまでの人生経験が築いた心身からこの歌声が放たれているのだ。パフォーマンスに関しては「DISTANCE (m-flo remix)」あたりからリラックスしているように見え、「traveling(Re-Recording)」では「みんな、身体も心も温かくなってるかな?一緒に踊って歌おう!」「もっともっと声を聴かせて」と盛り上がり、上着を脱いでクールダウンした「First Love」では、アコースティックサウンドをバックに歌い上げた。

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「Beautiful World」では青を基調とした演出がオーロラの如き幻想美を描く。photography: Teppei Kishida

トークは素のままに、観客を近くに感じられる会場のすり鉢状の構造の話をしながら、いちばん(遠く)高い席の人に向かって「高いところ怖くない?」と声をかけ、「いちばん上だから見えるライティングもあるんだって」と付加価値をつける優しさを見せる。会場に用意されているオペラグラスを手にすると、観客ひとり一人を探すように客席を見ては「見えた!」と声を上げ、気持ちがちゃんと届いているかを確認する。宇多田の歌は孤独であったり、人との距離であったり、愛についてであったり、切なく痛いほど相手や自身と対峙した歌が多い。そしてそこから励まし、希望となる歌へと続く。歌われる"君"とはリスナーひとり一人に繋がるものであり、コンサート会場で宇多田は観客ひとり一人とそれを確かめ合おうとする。

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「ぼくはくま」ではメロトロンで演奏に参加。photography: Teppei Kishida

「Keep Tryin'」の途中ではハンドウェーヴの仕草をしながら「ずっとこういうふうに動きを煽ったりするのすごく苦手だったけど、いますごく上手くできてるのうれしい、ありがとう!」と、一体感を生み出した観客に満面の笑みを見せた。歌っている時はアーティスト"宇多田ヒカル"だけれど、喋り出すと親しみやすいHikkiとなり、距離感を感じさせないステージが進行していく。

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インタールードから、「BADモード」と「あなた」を歌い終わると、さらにトークが広がる。観客が今日のために予定や体調を整えてくれたことに感謝し、「待ち合わせ成功したよね、ありがとう!」と話すと、このキュンとする友達のノリが会場のボルテージを上げる。さらには「みんなの25年間、私も含めね、一緒に歩んできた25年間を振り返ったり、お祝いしたり、お疲れ様って言えたらいいなって思って。だからみんなが来てくれないとできなかったのね。集まれて、同じ気持ちになれて、すごくうれしい、みんなありがとう!」と、みんなでお互いを祝福したかったことを強調。さらに寄り添う言葉を語りかける。

「25年もあれば、いろんなことみんなあったと思うけど、楽しかったことも良かったことも嫌だったことも、全部一歩ずつ同じくらい自分をここに連れてきてくれたと思ったら、悪くないじゃんって思えるようになって。人生、生きてると望んだものが必ずしも自分にとっていいことだと限らないし、望まなかったことが、すごく自分を成長させてくれたり、何かを失ったりしても、失ったということは与えられてたんだなって気づかされたり......。失ったものはずっと心の一部になるって知ったり、与えられなかったものも自分を凄く豊かにしてくれたということもわかったし、与えることの喜びとか、満たされるという感じもわかったし......。すごく私はいい25年だったなと思うから、みんなもそうだといいなと思うし、これからの25年もいい時間になるといいなと思う。とにかくいまは最高!とりあえず、みんなおめでとう。感謝の気持ちでいっぱい。じゃぁ次の曲、行ってみよう!」と、観客全員を祝福し、亡き母へ歌ったとされる「花束を君に」を歌った。

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すり鉢状の会場に集った1万8000人が宇多田の声に耳を傾ける。photography: Teppei Kishida

ピアノとともに歌い出す「何色でもない花」では、引き込まれるように会場全体が静かに没入。ここからよりエレクトロニカ色を打ち出したサウンドが続く。個人的には特にUKのエレクトロニカが大好きなこともあり、またHikaru Utada Live Sessions from Air Studiosが好きで何度も繰り返し観ていたので、歌声が音の間を心地良さそうに泳いでいく「One Last Kiss」から、心を揺さぶる不協和音も魅惑的な「君に夢中」へと続く流れには、もうこのまま終わらないでほしいと願うほど浸かってしまった。

本篇最後の「君に夢中」の前には、「夏はあんまり好きじゃないと思ってたけど、ライヴを見にきてくれた友達やみんなが"いままででいちばん楽しそうにしてて、自然な感じでいいね"って言ってくれて、それがすごいうれしい」と話し、「実際に楽しいもん! こんなにライヴやってて。だから夏が好きになったかも! 本当に忘れられない夏になったなぁ。今日も忘れられない日になりそう!」と明かした。そして「次で最後の曲になっちゃうんだけど、さみしいね、ほんと一瞬だね。でもなんかこう大事な時間っていつもそうなのかもね。......気持ちを目一杯込めるから、みんなもいっぱい感じてください」と、呼びかけた。

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アンコールはカジュアルなスタイルで、「Electricity」を披露。photography: Teppei Kishida
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アオイヤマダと高村月が登場し、宇多田ヒカルも一緒に踊った。photography: Teppei Kishida

アンコールでは、「Electricity」に特別ゲストとしてダンスとコレオグラフィーを担当したアオイヤマダと高村月が登場し、「本当にSCEIENCE FICTIONになった。宇宙人がふたり。ありがとう」とうれしそうに紹介。同じく登場したサックス奏者のMELRAWに続き、バンドメンバーの紹介、そしてツアーのスタッフから運営や警備や関わった人々全員に向けて観客に拍手を求めながら、感謝の意を示した。

そこから今回初めて人前でパフォーマンスするという「Stay Gold」を披露。そしてラストの曲では、馴染み深いイントロとともにMVでの象徴的な黄色のソファーに座った宇多田が現れ、大歓声が沸き、「本当に一緒にいてくれてありがとう。最高だった!最後の曲、行ってみよう!」と、衝撃的なデビュー曲となった「Automatic」を歌った。デビューシングルの2曲でオープニングとエンディングを締めて、パズルがきっちりはまった見事な構成。最後、幾度も客席3方向に深々と感謝のお辞儀をしていた宇多田ヒカルは、何より楽しそうだったし、会場からも歓声と拍手が鳴り止まなかった。帰り際、友人とどの歌で涙腺が崩壊したかを話したりしたが、心も人生観も豊かになる2時間半に及ぶ至福のコンサートだった。

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「Automatic」ではデビュー時を想起させるセッティングに大歓声が上がった。photography: Teppei Kishida

セットリスト
1.     time will tell
2.     Letters
3.     Wait & See〜リスク〜
4.     In My Room
5.     光 (Re-Recording)
6.     For You ~ DISTANCE (m-flo remix) メドレー
7.     traveling (Re-Recording)
8.     First Love
9.     Beautiful World
10.   COLOURS
11.   ぼくはくま
12.   Keep Tryin'
13.   Kiss & Cry
14.   誰かの願いが叶うころ
15.   BADモード
16.   あなた
17.   花束を君に
18.   何色でもない花
19.   One Last Kiss
20.   君に夢中

―アンコール―
21.   Electricity
22.   Stay Gold
23.   Automatic

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「Electricity」では(写真右)MELRAWも迎え、総勢9人でステージを盛り上げた。photography: Teppei Kishida

なお、この最終公演地であるKアリーナ横浜公演を完全収録した映像商品『HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024』が12月11日に発売されることが決定。さらに、全公演に帯同して収められた貴重なドキュメンタリー映像も収録される。また、完全生産限定盤にはすべてのMV 40曲が収録される。詳しくはコチラへ→https://www.utadahikaru.jp

>>関連記事:宇多田ヒカル15歳、鮮烈なデビューを振り返る。 

*To Be Continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
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