音楽と16mmフィルムで魔法を紡ぐ少女の成長譚『バード ここから羽ばたく』

アンドレア・アーノルドが脚本も監督も手がけた最新作『バード ここから羽ばたく』は、ストーリー展開や余韻とともに沁みるメッセージはもちろんのこと、音楽、映像、演技など、どれも印象強く残る秀逸な作品だ。

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父バグ(バリー・コーガン)と娘ベイリー(ニキヤ・アダムズ)

物語はイギリス郊外の下町を舞台に、12歳の少女ベイリーの視点から描かれる。シングルファーザーの父バグと兄ハンターと暮らしながら、ベイリーは孤独を紛らわせるように鳥や風景をスマホで撮影している。それは現実の記録であり、時に幻想的な投影にも変わる。父が出会ったばかりの恋人ケイリーと結婚すると宣言したことをきっかけに、ベイリーは父への反発を強める一方、兄が仲間と作った自警団に加わろうとするが拒まれる。そんな折、迷い込んだ草原で"バード"と名乗る謎の男と出会い、別居中の母ペイトンの家に彼を案内するうちに、さまざまな出来事が勃発する。物語は父の唐突な結婚宣言から式当日までのわずか4日間を駆け抜け、少女の心の変化を鮮烈に映し出す。

 

対照的な音楽が導く父と娘の物語

本作を強く印象づける要素のひとつが音楽である。冒頭でベイリーと父親がスクーターで町を疾走するシーンや、エンドロールで流れるのはフォンテインズD.C.の「Too Real」。さらに、劇中に3度登場するブラーの「The Universal」はバグが熱唱するほど、彼のテーマ曲と言える。コールドプレイの「Yellow」やヴァーヴの「Lucky Man」といった英国的アンセムも効果的に響き渡る。なおフォンテインズD.C.のメンバーは劇中にカメオ出演し、監督は後に彼らの楽曲「Bug」のMVを映画の映像を使って製作するなど、親和性の高さもうかがえる。

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UKロックを大音量でこよなく愛す、少年のような心を持つバグ。

バグが好む楽曲が大音量で流れる一方で、ベイリーの内面に寄り添うのは、エレクトロニック・ミュージックの鬼才ブリアルによる楽曲だ。彼にとって初の映画音楽となるこのサウンドトラックは、町のノイズやベイリーの呼吸音などと混じり合いながら流れ、空虚感や、記憶を手繰り寄せるような温もりを感じさせていく。そうして部屋の壁に投影される動画や窓にとまる虫の生命力を示しながら、少女の心情を繊細に映し出す。

ブリアルは匿名性を重視し、音楽業界の「バンクシー」と呼ばれる存在だ。マーク・フィッシャー著の『わが人生の幽霊たち うつ病、憑在論、失われた未来』に2007年の発言として「誰にも知られないままでいたい。友達や家族のまわりにいるほうがいいし、俺が誰かなんてことに注目してほしくないんだ。俺が好きな曲はたいてい、どこのどんなやつが作ったかわからないようなものだった」とあるが、劇中のクレジットにも「Extra music by Burial」とだけ記され、曲名は明かされない。公営住宅の落書きやバスの窓に、バードがベイリーに伝える励ましの言葉「Don't You Worry(心配するな)」が書かれているように、歌詞の断片――"Love Is Strange""You Don't Care"といった短いフレーズ――も、ベイリーを励ますスピリット・ガイドのように機能している。

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自然や生物を愛し、それらが発する音に静かに耳を寄せるベイリー。

また同書でフィッシャーは、ブリアルのアルバム『Untrue』(2007年)をヴィム・ヴェンダース監督作品『ベルリン・天使の詩』(1987年)のようだといい、それに対しブリアルは、「俺の新しい曲は俺たちを上から見下ろしている天使を求めているんだ」と語っているが、その音楽性はどこかバードの存在にも重なる。

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他の作品でも音楽に強いこだわりを見せ、強烈な余韻を残す

アーノルド作品において音楽は常に物語を支える重要な要素だ。登場人物の感情と密接に結びつき、観客の記憶に強烈な余韻を残すからだ。筆者は3作品しか観ていないが、アメリカ中西部で雑誌を手売りしながら旅する貧困家庭出身の若者たちのロードムービー『アメリカン・ハニー』(2016年)では、映画のタイトルとなったレディ・アンテベラム(現在はレディ・Aに改名)の「American Honey」や、若者たちのテーマ曲のように繰り返し流れるリアーナの「We Found Love」をはじめ、音楽が長旅の相棒となる。酪農場で暮らす雌牛を牛の主観に近い視点で追ったドキュメンタリー『COW/牛』(2021年)でも、最後に歌詞が沁みるガービッジの「Milk」を置くなど、音楽の選択に物語への深い洞察が込められている。

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バード(フランツ・ロゴフスキ)は両親の記憶がないほど、子ども時代を喪失している。

資料によれば、監督は「作品ごとにプレイリストを作成して脚本執筆時に流し、なかには、そのリストの楽曲が映画に使用されることもある」そうだ。ちなみに、スーパーバイザーとしてこの2作に参加しているベン・ターナー(『シビル・ウォー アメリカ最後の日』など担当)の名前は『バード』には見当たらず、監督自身が全て決めたのだろう。

16mmフィルムでの映像美と描かれる父性の新しい在り方

アーノルド作品を特徴づけるのは、自然光を活かした撮影と、生物や風景を積極的に取り入れる映像だ。しかも撮影監督ロビー・ライアン(ケン・ローチ監督作品やヨルゴス・ランティモス監督作品など)による手持ちカメラは、登場人物の視線と観客の視線を重ね、現実の空気を体感させる。本作では16mmフィルムとベイリーが撮影したスマホ映像を組み合わせ、現実と幻想が交錯する独自の世界観を生み出した。

主人公ベイリーを演じたのは、一般人から発掘された新人ニキヤ・アダムズ。監督は「計画していない出会いから新しい表現が生まれる」とつねづね語っており、ここではアダムズが演じるベイリーに撮影を任せることで、「ベイリーのような10代の少女の内面や感情をどう表現してどのように示すか、さらにそこから映像を組み立てることで観る側に内面を伝えられる」と考えたという。そして撮影は時系列に沿って行われ、役柄とともに成長していく姿がそのまま作品に刻まれている。

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(写真手前)異母兄のハンター(ジェイソン・ブダ)と父バグとの関係も、最後にほろりとさせられる。

役柄が演じるにつれて染み込み、キャラクターとしての成長に表れたのは、バグやバードなど他の役もそうだったようだ。そして父バグと謎の存在のバードは、対極的なキャラクターとして配置される。自己中心的に見えるが子供達に対して熱い愛情を秘めたバグ、保護者のように包容力を示すバード。貧困家庭を描く場合、責任を押し付けられたシングルマザーの立場から描かれることが多いが、アーノルド監督は父性の新しい在り方を提示することで、物語にはもちろんのこと、現代社会に向けた希望のメッセージへと広がっていく。

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監督の少女時代の経験から希望を託す映画へ

『バード ここから羽ばたく』のヒロイン、ベイリーが象徴するように、アーノルドの映画は思春期の孤立した少女や少年の葛藤や、公営住宅や社会の底辺で生きる人々の現実を描いてきた。労働者階級出身のアーノルド自身、16歳の母と17歳の父の間に生まれ、公営団地で育った経験が、なかでもこの作品に強く反映されている。

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アーノルド監督の『アメリカン・ハニー』のラストシーンを想起させるベイリーの振る舞い。

さらに本作は監督の集大成とも言えるだろう。ケント州の故郷近くのエリアで撮影され、過去作を想起させるイメージも随所にちりばめられている。たとえば草原でベイリーに馬の鼻先が迫るシーンは『COW』での雌牛のアップと被るし、カエルの登場は『アメリカン・ハニー』でのジェイクがスターにカエルを渡すシーンを、水面に沈むベイリーの姿もそのラストシーンを想起させる。そして本作で特筆すべきは、過去作の要素を継承しつつ、バードや幻想的な映像を取り入れてファンタジー的な要素を大胆に導入した点だ。周縁化された存在の可視化として社会的リアリズムを基盤にしながらも、少女の成長譚にポジティヴな光を射し込むことで、映画という表現を更新し続ける監督の姿勢を示している。

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ファンタジーの世界観を見事に体現するバード(フランツ・ロゴフスキ)。

最後に第77回カンヌ国際映画祭のインタビューから監督の言葉を引用する。

「私はどの作品でも、自分が応援したくなるような人物を選んで登場させていると思います。映画に出てくるキャラクターはみんな、自分が応援したくなるような人たちで、現場が辛いと感じる時は、私は彼らのためにやっていると思うようにしています。キャラクターの一人ひとりに対して、自分が彼らを支える存在であるということがとても重要で、その感覚がなかったら私は映画作りはできないと思うのです」

ベイリーと父、そして謎のバードとの出会いを通じて描かれるのは、孤独な少女が世界に少しずつ心を開き、羽ばたこうとする瞬間だ。アーノルド監督は自身のルーツに根ざしつつ、映画の中のキャラクターたち、同じ境遇にある子どもたち、そして映画を鑑賞した人々へ勇気と希望を託している。『バード ここから羽ばたく』は、その名の通り、未来へ飛び立つための物語である。

『バード ここから羽ばたく』
●監督・脚本/アンドレア・アーノルド
●出演/ニキヤ・アダムズ、バリー・コーガン、フランツ・ロゴフスキほか
●2024年、イギリス・アメリカ・フランス・ドイツ映画 ●119分
●配給/アルバトロス・フィルム
●9月5日より、新宿ピカデリーほか全国にて順次公開中
https://bird-film.jp/

現在シアター・イメージフォーラムで
《特集上映》アンドレア・アーノルド監督セレクション上映中(終了未定)
https://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/8718/

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
X:@natsumiitoh

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