「フランス人はあまり働かない」は本当? 否、日仏どちらも働く時間は同じなのかもしれない。

「『フランス人はあまり働かない』というのは中間層のことであって、生活が困窮している人やすごいエリートはバカンスもなく必死に働いているんですよ!」

というような言説はよく聞くと思うのだけど、これはそういう話ではない。私は、ある日気づいてしまったのだ。地球は本当にまんまるで平等で、全てはめぐりめぐっているということに。今回はそんな「地球はまるい」という長い話を、ちょっと聞いてほしい。

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2月からこの秋口まで、私はある会社で面談するためアポイントメントを取ろうと大変な努力をしていた。

「2月からこの秋口まで」というのは、つまり半年以上である。たかだかアポイントメントを取るために、なぜそれほど時間がかかったのだろうか?

まずその会社にアポイントメントの予約を入れると、「事前に郵送で送るべき必要書類」のリストが提示された。それらを耳をそろえて予約日までに送るようにとの指示があり、急いでかき集めることにした。

そのうち1枚の書類はかつて私が在籍していたある機関に用意してもらう必要があったのだが、申請しても申請しても「できたから取りに来て!」との連絡がない。しびれを切らして直接要求しに行くと、秘書に「いまランチ食べてるから」と門前払いを食らった。

何度もしつこく要求するとようやく用意されたのだが、書類には致命的なミスがあったので、修正を依頼した。

しかし待てども待てども「直したよ!」の連絡は来なかった。またもや直訴しに行くと、「ランチなんだけど」と激怒した秘書にドアの外へ押し戻された。このやり取りが優に5回は続いた。永遠のランチだ。だから私も同じくらいの激怒で返した。もはやプロレス、激怒には激怒しかあるまい。

「あなたには分からないだろうけど、これを修正するのってすっごく大変なんだから!」

と、しかし秘書は、もう私がとんでもない無茶を言うクレーマーだといった風情で天を仰いだ。

(落ち着いて! このくらいの理不尽はもう慣れているはず......!)

私は、自分にそう言い聞かせようとした。それでも、泥団子を飲み込んだような気持ちで胸がいっぱいになった。

仕方なく、すぐに修正しないなら秘書の上司に公式のクレーム・レターを出す旨を伝えると、秘書からは「好きにしたら」という返事があった。しかし、その後びっくりするような早さで修正済みの書類が届いた。

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こうしてギリギリになってしまったので、会社に書類が期日までに届くよう、まあまあな送料を支払って「〇日までに届きますよ」と確約付きの速達で書類を送った。しかし書類は残念ながら配達予定日の3日後に届けられたのだという。今度は本当に、郵便局へ公式のクレーム・レターを書いた。「小さなことからコツコツと」という思いを込めたつもりである。

クレーム・レターを書くと送料は返金されたが、それでも私の書類が遅れて届いたという事実が変わるわけではない。先方に事情を説明すべく電話をかけたのだけど、電話はかけてもかけてもつながらない。ご飯を食べながら、掃除をしながら、洗濯をしながら、お風呂に入りながら、いったいどれほどの長い時を保留音の愉快なメロディとともに過ごしただろうか。やっとしかるべきところにつながってアポイントを取り直したい旨を伝えたところ、もう1度同じ書類を耳をそろえて送るよう伝えられた。

でも、先に届いているはずの書類を保管していてくれたらいいのに......。否、それは無理なのだ。なぜなら先に届いた書類はもう「捨てちゃった」からである。

もう、いい。いいのだ。終わりのない永遠のランチも、届かない郵便物も、丸1日たらいまわしにされる電話も、あまりにもカジュアルに捨てられる重要書類も。

そんなことよりもっと大切なことを、私は皆さんに訴えたい。私は最近よく思うのだけれど、人間が労働しなければならない総量は、もともと決まっているのではないだろうか?

フランスでは日本より労働時間が短くて済むとか、日本ではフランスより長く働かなくてはいけないとか、どちらの方が素晴らしいとか、皆そんなことをいろいろ言い合うけれど、どっちがいいなんて、そんなものはないんじゃないだろうか?

これはスピリチュアルとか運命論みたいなものではない。

労働者のあいだに「テキトーに」「まじめに働くとかバカじゃない?」「バレなきゃサボってもいいよね」「ていうかバレてもサボっちゃお!」みたいなメンタリティが広がるにつれ、私たちは"消費者として"その分せこせこと働かなくちゃいけなくなるんじゃないだろうか? 誰かがサボった分は、必ず誰かが補鎮する。それはどこの国も同じなんじゃないだろうか?

現に私は自分の自由時間のほとんどを使って、これだけの労働(もう労働と呼んでよいだろう)をし続けてているのだ。今回のことだけではない。他にも類似のことがそこらじゅうに転がっている。終わりはない。

労働者が「テキトーに」で良くなるにつれ、"消費者としての労働量"はどんどん、どんどん、乾燥わかめみたいに増えていく。自分の仕事が終わっても、休日も、ずーっと、無給どころかお金を払ってる立場なのに、働かなくちゃいけないのだ。

日本の素晴らしさのひとつは、消費者としての労働がほぼゼロであるところ。それは日本人のほとんど全員が労働者側であるときに、まじめに働いている証拠なのだと思う。そうして今度は消費者の立場になったときに、その"取り分"を受け取っているのだ。

「これからも、どうかまじめに働いてる人が良い思いをする日本社会でありますように」。今日も保留音のリラクシーなメロディを聴きながら、ちょっと弱り気味の私は、切に祈っている。

photography: Shutterstock text: Shiro

パリの片隅で美容ごとに没頭し、いろんな記事やコラムを書いたり書かなかったりしています。のめりこみやすい性格を生かし、どこに住んでもできる美容方法を探りつつ備忘録として「ミラクル美女とフランスの夜ワンダー」というブログを立ち上げました。

パリと日本を行き来する生活が続いていますが、インドアを極めているため玄関から玄関へ旅する人生です。

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