転職と天職 ティフェン・デュシャテル、ジャーナリストから子ども服へ。

可愛いけれど甘ったるくなく、カラフルだけど品があり、ちょっぴりレトロな味わいだけど現代的でおしゃれな「Hello Simone(ハロー・シモーヌ)」は、最近モノプリとのコラボレーションでますます人気がアップ。これはパリジェンヌ・ママたちが愛してやまない子ども服のブランドで、数年前にブランドを立ち上げたティフェン・デュシャテルもまた、パリ生まれパリ育ちという生粋のパリジェンヌである。

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ティフェン・デュシャテル @photo Tof Dru

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9月に発売が始まったハロー・シモーヌ×モノプリコレクションより。左のブラウスは19ユーロ、右のワンピースは35ユーロ。

子どもの頃は乗馬に夢中だったこともあり、馬の飼育を仕事にしたいと夢見ていたティフェン。しかし、14〜15歳の頃からジャーナリストが憧れの職業となったそうだ。

「進学に際して何人かのジャーナリストに話を聞いてみたら、大学ではジャーナリズムよりも一般的な学問を学んだ方がいいってアドバイスされて。それで大学では高校時代から興味を持っていた経済学を専攻して、修士号まで進んで……でも、経営や経理とか、全然好きになれなかった。学生時代は休みのたびに『パリ・マッチ』誌など出版社で研修をして、卒業後フリージャーナリストとして『パリ・マッチ』で働き始めたんです。ここでは私のタイプではないけれど経済や政治の記事も書き、それに三面記事的な内容やセレブリティの記事なども。その後、『エル』『ヴァンタン』『ヴォワシー』といった複数の雑誌の仕事をしました。エルでは文学部門の記事が多かったですね。自分の時間を自分で管理できるし、さまざまな分野の人たちに会えるのがうれしくて、フリーランスの立場をずっと続けていたの」

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仕事を辞め、模索した1年間。

彼女が25年近いジャーナリストのキャリアに終止符を打つのは、 「グラツィア」誌で文化・セレブリティ部門の副編集長を務めていた時代だ。チームを率い、テーマを考えたり、取材のアングルを決めたりと、おおいに楽しんだティフェンだが……。

「ここではフリーランスではなく、社員。当時すでに結婚していて、養子に迎えた長女がまだ小さい時代で、郊外の出版社からベビーシッターが仕事を終える夜7時までに帰宅するのが時間的に難しくって……自分の時間を自分で管理できない状況でした。編集の仕事は本当に気に入っていたけれど、するべきことは一周して経験し、同じことの繰り返しをしているという感じもあって、何か別のことをしてみたいと思うようになったの」

2014年に退社。その時に子ども服のブランドを始めることが頭にあったわけではないそうだ。しかし、ティフェンのママはスキー専門の雑誌のファッションスタイリストで、またジュエリーのブランドも持っていたし、50年代のヴィンテージショップ、子ども服のブティックの経営もしていたこともあって、とティフェンが小さな頃から親しんでいたのはモードの世界だった。

「でも、レディスのファッションに関わる気は全然なくって……私はデザインを学んだわけでもないし、ボタン付けすらうまくできないんですから。ジャーナリストを辞めたとき漠然と頭にあったのは、自分の娘と関わりのある仕事をしてみたいということ。私の夫はクチュールメゾンの広報部門で働いてるのだけど、とってもイラストが上手なのね。それで彼のデッサンを使って子ども用のTシャツを作ってみるのはどうだろうか、といったアイデアも浮かびました。だけどTシャツというものに、まったく興味がわかなくって。1年間考えました。その間に会社設立の研修を受けたり、子ども服のブランドを始めた女性たちに会って話を聞いたり……」

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2016年春夏にデビューしたハロー・シモーヌ。2020年春夏コレクション(写真)は南仏のヴィラがテーマだった。

ブランドをスタートするにあたり、まず彼女の頭の中にある服のアイデアを型紙に起こすモデリストを見つけた。そして子ども服のミニコレクションを作り、子ども服のクリエイターを集めて年に2回開催される展示フェア「Playtime」に登録したのだ。

「シモーヌは旅をするのが大好きな小さなパリジェンヌなの。毎シーズン、彼女の旅先の土地などからインスパイアされています。たとえば、今年の春夏コレクションは南仏のヴィラがテーマでした。ブランドをハロー・シモーヌと名付けたのは、私のブランドは子ども服に投資する文化のないフランス向きではない、って最初からわかっていたから。シモーヌという名前のチョイスは、とてもパリっぽく、しかも英語圏でもアジアでも発音しやすく、読みやすいということからよ。実は私の祖母の名前で、私は彼女のことが好きだったこともあって、この名前が大好き。祖母自身は古臭いって嫌っていたけれど……。シモーヌというとボーヴォワール、ヴェイユ、シニョレという女性たちを思い浮かべるでしょ。とても強い女性たちの名前なんです。私は見た目の可愛らしさより、個性のある子どもにずっと興味があるの」

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オリジナルプリントが好評。

価格はボンポワンより低く、ボントンと同じくらいだそうだ。最初のコレクションから出足好調で、パリでいちばん人気のキッズファッションの「Smallable」がすぐに買い付けた。そして彼女が予想したように外国のバイヤーやブティックからの反響も大きく、ニューヨーク、ロンドン……3シーズン目には現在ブランドにとって大切な市場である韓国のブティックからオーダーが入るようになった。

初期の大ヒットは、マルチカラーの三角が胸元にはめ込まれたワンピース。自分の娘の名前をとって「Isis(イジス)」と命名した。色違いで3タイプあったが、すぐにソールドアウト。この三角モチーフはその後のシーズンにも色の組み合わせを変え、アイテムも変えて登場。モノプリとのコラボレーションでも、スウェットの胸にこの三角が !

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マサイをテーマにしたシーズン、ヒット商品となったワンピースの「イジス」。

さてハロー・シモーヌの特徴のひとつに挙げられるのはプリントだ。最初のコレクションからプリントは既存を使わず、ずっとオリジナルなのがブランドの強みだとティフェンは語る。たとえば、モノプリとのコラボレーションのレインコートの幾何学的なプリントは過去に色違いでハロー・シモーヌで使ったものだが、これは画家モンドリアンの寝室の写真からインスパイアされたものだという。

「色の組み合わせを変えると、まったく印象が異なるわね。40年代の水着の模様にアイデアを得たプリントもあって、これも次のシーズンでは色の組み合わせも素材も変えて、という使い方をしているの。モチーフはいろいろなことからインスピレーションを得ていて、たとえば花瓶だったり、昔のスカーフだったり、ブロカントで売ってる古いファブリックのちょっとした端切れからだっていいのよ。それらの一部をデザインし直したり、モチーフを拡大したり……ほかのブランドにはないプリントばかり。これはブランドがうまくいっているひとつの要因ね」

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左:画家モンドリアンの寝室の写真から生まれたプリントのドレス。右:ハロー・シモーヌ×モノプリのレインコートは40ユーロ。©Monoprix

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左:40年代の水着のモチーフにインスパイアされたプリント。色、素材が違うと印象ががらっと変わる。右:花瓶に描かれていたモチーフがインスピレーション源とは!

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アートディレクター的な仕事で。

2016年春夏コレクションでデビューして以来、インスタグラム@hello_simone にアップされる写真、キャンペーンビジュアルの愛らしさにも定評がある。

「私の素晴らしいチームのおかげね。ブランドを設立した当初、カメラマンや子どもブランドなどたくさんのインスタグラムをチェックしたの。そこで英国のカメラマンのエマ・ドンヌリーの写真にすっかり魅せられてしまって。コンタクトしてみたら彼女もハロー・シモーヌを気に入ってくれて、3シーズン目から彼女がコレクションの撮影を続けているのよ。途中からバルセロナ在住のドゥイグ・マソルがスタイリストとしてチームに加わって……いまでは3人一緒に何かを創り上げることができている、って感じてるわ。私、デッサンはうまくできないけれど、チーム作りには長けているの。たとえばモデリストとしてかつてボントンで仕事をしていた優秀な女性がいて、プリントは私が欲しいものを説明するとファブリックにしてくれるグラフィクデザイナーがいて……素晴らしいでしょ。私は手先を使うことはまったくダメだけど、自分の欲しいものが何かを正確にわかっているので、このようにアーティスティックディレクター的な役が果たせるのね」

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2017年春夏コレクションから、ハロー・シモーヌの世界観をカメラマン、エマ・ドンヌリーによる写真が表現。(ハロー・シモーヌのインスタグラムより)

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2020年秋冬コレクション。インスタグラムにはティフェンの子どもや友人たちの子どもがモデルを務める写真も多くアップされている。

この春以降、ハロー・シモーヌもほかのブランド同様に新型コロナウイルスの影響をいろいろと受けている。来年の春夏コレクションはサンプルを作れない状況だし、セールスフェアも開催されない。どうやってバイヤーたちに新しいコレクションを提案したらいいのだろう……と。ティフェンがそこで思いついたのは、コレクションのイラストレーションをサンプルの代わりにすることだった。以前から仕事が気に入っていたイラストレーターにクロッキーとプリント見本を送り、仕上がったイラストを友人のアーティスティックディレクターがアメリカの50〜60年代の型紙の冊子のイメージでまとめたのだ。その結果、バイヤーたちに買い付けたいという気持ちをかきたてる成功を収めた。このようなアイデアを考えたり、クリエイションに関することは大好き、と生き生きと語るティフェンだ。

「コレクションの撮影の前日とか例外はあっても、いまの仕事では毎日夕方5〜6時ごろに帰宅できるので、うれしいわ。朝は10歳と7歳の子どもを学校に送り届け、学校と通り一本隔てただけの場所にあるオフィス兼ショールームで仕事をスタートよ。新学期が始まって、下校時に子どもたちが出てくるのを校門で待っていたら、ハロー・シモーヌを着た女の子をちらほらと見かけて……うれしかったわ。この秋冬コレクションは旅ではなく映画がインスピレーション源なのよ。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』でグウィネス・パルトローが演じた役マルゴ。フェイクファーのコート、髪にバレッタを留めて……そのアリュールにインスパイアされたの」

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2020年秋冬コレクション。(ハロー・シモーヌのインスタグラムより)

娘イジスも通学にハロー・シモーヌを着て行くことが多い。母親が着せて喜ぶブランドではなく、子ども自身が気に入って着るブランドであることがティフェンにとっては大切なのだ。

成長を続けるハロー・シモーヌ。もっと大きくなったら靴も作りたい、素材も可能な限りオーガニックに、そしてクリスマスシーズンには少しドレスアップした服も……というように、ティフェンの頭の中ではこの先の夢が広がっている。

「会社の経営とかは好きになれないまま。製造の時期にストレスが大きくなると、なんで子ども服のブランドなんて始めてしまったのかしら !!!って不眠に悩まされ……。でも、時々書くことが恋しいこともあるけれど、ジャーナリストを辞めたことは後悔していないわ」

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子どもの学校にも自宅にも近い、9区にあるショールーム兼オフィス。photo:Mariko Omura

Hello Simone
www.hellosimone.fr

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réalisation : MARIKO OMURA

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