「働きすぎ」とはどんな状態? 専門家にインタビュー。
Society & Business 2024.02.21
いくつかの調査によれば、フランス人は仕事に追われて働きすぎの状態が常態化しているそうだ。では、「働きすぎ」とは具体的にはどんな状態のことを指しているのだろうか? フランス「マダム・フィガロ」が社会学者マルク・ロリオルにインタビュー。
朝早くから夜遅くまでせっせと働き、しかもできるだけ効率よく片付けようなんて考えてしまうのは、ワーカホリックになった証拠だろうか。photography : Getty Images
私たちはいつから "働きすぎ "になるのか? 有能であり続けるためには、夜も日曜日も仕事を引きずって、家族や友人と過ごす時間やくつろぐ時間が侵食されるのも仕方がないことなのだろうか? 社会学者のマルク・ロリオルに疑問をぶつけてみた。彼は『L'addiction au travail, de la pathologie individuelle à la gestion collective de l'engagement(ワーカホリック、個人の病理から熱意の集団管理へ)』(Le Manuscrit刊)の著作で、「働きすぎ」の状態を定義した上で、そこに至る原因を考察している。
仕事のプロセスはますます複雑化し、誰かの仕事ぶりを評価をするのにも、それが別の人の仕事の上に成り立っているとなると判断しづらい。そうして今日、評価は仕事へのコミットメントや熱意によって測られるようになってきている。だが熱意というものが広く奨励されると、仕事に打ち込みすぎる人が出てきてもおかしくない。その代償はどんなものなのだろうか?
----(Madame Figaro)あなたの本ではフランス人の仕事ぶりを分析しています。フランス人は働きすぎなのでしょうか?
(マルク・ロリオル)この問題は政治的背景を抜きに語れません。1年余り前、この本を執筆中だった頃、フランス人が働かないという話をよく耳にしました。それが本当かどうかを確かめたいと思ったんです。
労働時間は時代とともに変遷している。フランス第三共和制(1870年-1940年)の始まりとともに労働時間は減少に向かい、1929年の大恐慌から戦争へ至る状況の中で再び増加しました。戦後は1951年までさらに増加し、復興が終わると2003年頃まで徐々に減少に向かいました。それ以降の労働時間はほぼ変わらない。ただし最近は企業内での残業時間の増加により若干、上昇傾向にある。
働きすぎを私は、「ある時代における平均よりも多く働くこと」と定義しました。この定義に従うならば、フランス人みんなが働きすぎだとは言えません。しかしながら、多くの職業でそうなっているのです。
----たとえばどのような職業なのでしょう?
まずフランスの農業従事者は週平均58.4時間働いています。職人や経営者は週50時間、上級管理職や専門職は週43時間。とりわけ女性は働きすぎの状況です。看護や教育、ホームヘルパーなどの職についている女性が多く、賃金に反映されない時間も多い。さらに家事や育児の時間を加えれば、ヨーロッパの女性の労働時間は男性より週平均5時間余り長い(労働条件に関するEU調査に基づく)。女性たちは常に仕事に追われ、ギリギリの状況で燃え尽きる寸前であることも多い。休む間もなく常に仕事と家庭の選択を迫られる結果、自尊心を犠牲にせざるをえないのです。
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----あなたの主張だと、働きすぎはワーカホリック、すなわち依存症の問題というよりも、会社組織の問題だということですが......
そのとおりです。企業によっては、ベンチマーク制度を導入して従業員同士を競わせ、評価の低い従業員を降格したり、解雇したりする。これは従業員に大きなプレッシャーを与えます。そもそも成果があがらない場合、能力の問題よりも労働条件や人員配置といった外的要因の問題であることもある。
しかも記録、報告、電子メール業務など、付随業務がますます増えている。チームの作業スピードを優先して緊急で処理しなくてはならない案件もある。企業活動はますます複雑化し、調整業務、手配、段取りといったものが必要となっています。人々は自分の本来業務に割く時間が減っているように感じ、実際減っています。だんだん仕事の意義を見出せなくなる一方で誰もが今日、同時に複数のプロジェクトに携わるようになっている。結局、自分の"本当の"仕事に取りかかれる時間が晩や週末、休暇中となってしまい、家族からは白い目で見られるのです。
----状況を改善することはできるのでしょうか?
可能ですが、ひとりでは難しいでしょう。機能不全に陥っているのが組織である場合、組織全体で取り組まなければ変えられない。会社が問題に気づき、働きすぎを解消をすべく動く場合もある。しかし会社がその問題を直視しようとしないのなら、潮時かもしれません......。
----働きすぎが常態化し、ひとつの社会規範となっているのでしょうか? ディナーの席で、自分は暇だと言いづらい雰囲気があります。
規範というより、これが現実です。人々は望んで働きすぎになっているのではありません。仕事を失いたくないからのやむをえない結果であり、悪循環なのです。従業員同士を競わせているような仕事の場では、最終的に評判が評価に繋がります。仕事があまりに入り組んでいて、企業の円滑な運営に自分の仕事がどれだけ不可欠であると証明することが難しいような場合、有能かどうかを直に判断するより、どれだけ熱意を示せるかが評価に繋がるのです。
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----自分の仕事に熱意を持つのはいいことなのでは?
仕事への熱意と言うと、念願の職を得て生き生きと働く人、といったイメージが浮かぶかもしれません。しかし研究の結果、そうした情熱というものは、決して偶然生まれたものではないことがわかっています。
たとえば名ヴァイオリニストは音楽家の親がいるケースが多い。子どもの頃から楽器を弾くことを奨励され、情熱を育む環境で育っているのです。コンクールに参加し、さらに上を目指して目標設定をしてもらい......こうしたことはどんな仕事についても言えるでしょう。
情熱は多くの場合、周囲によって育まれた思い込み、バイアスによって生まれる。それは両親から学校、企業へと引き継がれ、企業はとりわけ貢献意欲を育てることに熱心です。それがマルクスの言うところの剰余労働、すなわち同じ給料でより多く働くことに繋がるからです。
----これは健康にどのような影響を与えるのでしょうか?
2021年、WHOは調査で、週55時間を超える労働は心血管疾患、心理社会的トラブル、社会関係の悪化のリスクを高める、と指摘しています。働きすぎの人は友人や配偶者、子どもとの衝突が多くなり、離婚も増える。すべてを自分で管理したがる傾向があり、他人を信頼することが難しく、その結果、新しい課題に直面しても対応が難しい。仕事もワンパターンになりがち。やむをえず働きすぎになっている場合はなおさらです。
私が本を執筆したのは皆の認識が間違っていることを示したいと思ったから。つまり、ワーカホリックになるのはそういう気質の人だからではない。働きすぎの状況に置かれるからそういう気質となり、健康や社会との結びつきも影響を受けるのです。毎日、管理するようにと言われ続けている人が急に、もっと気楽になんて言われたら、罪悪感の塊になってしまうでしょう。
----どうすればそこから抜け出せるのでしょうか?
時間の融通がきく仕事やポジションを得ることは助けになるかもしれません。たとえば、子どもや母親を医者に連れて行きたいときに半日休めるような仕事です。
それに、自分の本来の仕事に時間を割けるような環境を取り戻すことが大切です。多くの管理職が自分の仕事に誇りを持てず、仕事にやりがいを感じられなくなっている。仕事の意味が数字に置き換わっている。まずは自分が楽しいと感じられるような働き方を模索すべきです。
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text : Morgane Miel (madame.lefigaro.fr)