ブルーのアイライナーに花の香り、ダイアナ妃の美の秘密。
Beauty 2020.08.07
ダイアナ妃がチャールズ皇太子と結婚してウィンザー家の一員となったのは、いまからちょうど39年前の夏。この機会にダイアナ妃の輝きの秘密を振り返ってみよう。王室デビューの頃に愛用していたブルーのアイライナーをやめた理由とは?
ダイアナ妃のポートレート。1983年3月12日撮影。photo : Abaca
はにかみ屋の独身時代から、チャールズ皇太子との結婚を経て、解放された女性へ。イギリス国民がこよなく愛した元王妃は、目覚ましい変貌を遂げた。ウィリアム王子とハリー王子の母であるダイアナ妃が、自分に自信が持てずに苦しんでいたことはいまでは周知の事実。年月とともに人気が高まるなかで、彼女は自分のスタイルを貫く術を身につけていった。やがて、その美しさが世界中から賞賛されるスターのひとりとして、強烈な存在感を得ることになる。
とはいえスキンケアに関しては、特別な秘訣はなく、メイクもナチュラルに仕上げることが多かった。唯一こだわったのは、ラグーン色の瞳を引き立てる紺碧色のアイライナー(エリザベスアーデンのコールを愛用した)。王室の規律を守って服装は質素を心がけていただけに、せめてアイメイクではおしゃれを楽しみたかったのだ。「ダイアナ妃はあの魅力的な目を際立たせるメイクが好きで、マスカラには出費を惜しみませんでした」と、ウェブマガジン「Yahoo!」の2017年8月のインタビューで、ダイアナ妃の専属メイクアップアーティストだったメアリー・グリーンウェルは明かしている。
ブルーのアイライナーが魅惑的なダイアナ妃。(アブダビ、1989年3月1日)photo : Abaca
グリーンウェルは1991年からダイアナ妃のメイクを担当した。シグネチャーのブルーのアイライナーを諦めるようダイアナ妃を説得したのは彼女だという。「一日に何度も着替えなければならない人に適した色ではありませんでした。ダイアナ妃はメイクを少し変える必要がありましたが、だからといって、大きく印象を変えたわけではありません。大胆なイメージチェンジはホワイトハウスの住人や王室の人々には相応しくないことですから」。ゆえにダイアナ妃はこの色を封印し、メイクアップアーティストがすすめる、彼女の肌により調和する色を取り入れることに。「ベージュ系やマロン系のほうがずっと合っていたと思います」。
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スキンケアはとりわけ念入りに
ダイアナ妃といえば、イギリス人のバラ色の肌と聞いて思い浮かべるイメージそのままの、パーフェクトになめらかな肌が印象的だ。しかし、その肌質は「とても繊細」だったと、グリーンウェルは2012年にウェブマガジン「スタイリスト」で語っている。「夜はきちんとメイクを落とし、メイクをする時は、まず肌を完璧に清潔にしてから、が鉄則でした」。ダイアナ妃の美の秘密として、グリーンウェルは、充分な睡眠、スポーツ、健康的な食生活も挙げる。「私がメイクを担当するようになってから、ダイアナ妃は節制を心がけるようになりました。アルコールの量も減らし、肌も健康を取り戻しました」。その美肌を最大限に生かす方法はいたってシンプル。「まず必ず保湿クリームをつけたら、肌の色に合わせてファンデーションを。目の周りはコンシーラーでリタッチ。マスカラをつけ、チークを軽くひと刷け。ルージュはその日の気分で選びます。マスカラはまつ毛の根元にしっかりつけるようにと、いつもアドバイスしていました」。
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お気に入りは花の香り
ダイアナ妃はひとつの香水にこだわり続けるタイプではなかった。人生のステージごとにさまざまな香りを愛用したダイアナ妃。ただ終始一貫して、フローラル系の香りを好んだ。チャールズ皇太子と誓いの言葉を交わす日にダイアナ妃が選んだ香りは、ウビガン パリの「ケルク フルール」。この特別な日のメイクを担当したバーバラ・デイリーは、結婚式当日に起きたちょっとしたアクシデントについて語っている。デイリーが雑誌「ピープル」のウェブ版マガジンに明かしたところによると、手首に香水をつけようとして、花嫁はドレスに香水をこぼしてしまったのだという。それが不吉な前兆だったのかもしれない。
ダイアナ妃が愛した香りはほかに、エルメスの「24 フォブール」、ディオールの「ディオリシモ」(モナコのグレース公妃も愛用した)、ニナ リッチの「レールデュタン」、ペンハリガンの「ブルーベル」、ゲランの「ミツコ」。「ダイアナ妃はどんなときも、欠かさず香水をつけていました。香りは女性の人生にとってとても大切なもの。いわば美の仕上げのひと筆なのです」と、グリーンウェルは1994年にABCニュースのインタビューで語っている。しっかり覚えておこう。
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ファッションアイコン、ダイアナ妃
1 1980年9月。保育アシスタントをしていた頃の19歳のダイアナは、ローラ・アシュレイとマークス&スペンサーしか知らなかった。photo : Getty Images
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2 1981年2月。チャールズ皇太子との婚約が世界中に報じられた。サファイアを中心に14粒のダイヤモンドを配した婚約指輪(当時の価格で3万ポンド)は見事だけど、英国航空の客室乗務員のような装い。そういえば、ケイト・ミドルトン嬢が婚約発表の時に選んだのも、同じようなブルーのドレスだった。photo : Getty Images
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3 1981年7月。結婚式の数日前にアスコット競馬場を公式訪問。このとき初めて帽子に挑戦。ピエロ風の奇妙な襟のついたピーチカラーのテーラードスーツに合わせたデザイン。帽子の着用はウィンザー家では習慣とはいえ、先が思いやられる。photo : Getty Images
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4 1983年8月。洗練されたシルエット。ファッショニスタへの変貌の第一歩。パフスリーブに細い革のベルトは当時のトレンド。photo : Getty Images
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5 1985年5月。XLサイズの袖の折り返しとセーラーカラーがアクセントになったタータンチェックの肩パッド入りコート。1980年代ファッションの中には、あまり思い出したくないものもある……。photo : Getty Images
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6 1985年10月。オーストラリア公式訪問中のダイアナ妃。エメラルドとダイヤモンドのネックレスをヘッドピースとして着用し、反響を呼んだ。エリザベス女王から結婚祝いに贈られたもの。女王は正しい着用スタイルを想定していただろうが……。photo : Getty Images
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7 1985年10月。トラファルガーの衝撃。ジョギングパンツにスニーカーという恰好で王立ハンプシャー連隊を訪問したダイアナ妃。ソー・ショッキング!photo : Getty Images
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8 1985年11月。アメリカへの初の公式訪問。ナンシー・レーガンに迎えられたダイアナ妃。ふたりのヘアスタイルがそっくり。白が似合うことをダイアナ妃はこの時に発見。以後ワードローブに欠かせない色となった。photo : Getty Images
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9 1986年6月。靴下まで……水玉パワーを120%活用中のダイアナ妃。photo : Getty Images
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10 1986年7月。1カ月後には『ガール・ネクスト・ドア』風にギンガムチェックを着こなす。photo : Getty Images
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11 1987年3月。サウジアラビアのファハド国王を迎えるために、キャサリン・ウォーカーにオーダーした、半ばコサック風、半ばバトンガール風アンサンブル。イギリス式ユーモア? photo : Getty Images
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12 1988年4月。帽子職人のフィリップ・ソマーヴィルが1980年代に手がけたダイアナ妃の帽子の数々は、服装と必ずお揃い。ネクタイとオーバーサイズのコートは、当時のワーキングガール&マスキュリン×フェミニンのトレンドを反映。photo : Getty Images
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13 1988年5月。慈善団体のスウェットシャツに、ブレザー、軽くブリーチをかけたデニムをブーツイン。これがダイアナ妃の本来の姿? photo : Getty Images
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14 1988年11月。パリで催された晩餐会に出席したダイアナ妃。この時もキャサリン・ウォーカーによるデザインのドレス。ワンショルダーはダイアナ妃お気に入りのデザインで、たしかにその美しい佇まいを引き立てている。とはいえ、はたして公妃にふさわしい装いだったかといえば……? photo : Getty Images
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15 1989年11月。1年後、かの有名なエルヴィスドレスで名誉挽回したデザイナーのウォーカー。命名の由来となったスタンドカラーがアクセントのシースドレスは、総パール刺繍のボレロ付き。このドレスは現在ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に展示されている。photo : Getty Images
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16 1990年6月。夫婦仲が悪化しつつあった頃。しかしダイアナ妃は自分のために生きる決意をした。白やアイボリーのスーツは、ボディラインに沿ったシルエットで女性らしさを強調。このスーツはブルース・オールドフィールドによるデザイン。photo : Getty Images
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17 1992年2月。タージ・マハル廟を背にひとりでポーズを取るダイアナ妃。この写真は世界的に話題に。クリスチャン・ラクロワやサンローランが愛した赤と紫のコーディネートを取り入れたスタイルが注目された。photo : Getty Images
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18 1993年3月。英国国民最愛の公妃が最後に犯したミス、それがこの奇妙なデニムのジャンプスーツ。とはいえ子どもたちとオーストリアでスキー休みを過ごした時だから、大目に見ることに……。photo : Getty Images
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19 1994年6月。1年半前の別居以来、抑制から解放されたダイアナ妃。葬儀を除いて公務では黒い服の着用は禁じられていたが、ロンドンのギャラリーで開かれたオープニングパーティに、クリスティーナ・スタンボリアンのデザインによる、デコルテが大きく開いた、総レースの黒のシースドレスで登場。偶然か、同日夜にイギリスのテレビで放送されたインタビューで、チャールズ皇太子は不倫の事実を認めた。photo : Getty Images
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20 1995年8月。痩せて、筋肉質になった、日焼け肌のダイアナ妃。さらにセクシーさを増したそのスタイルは、各国のファッション雑誌の表紙を飾り、世界中の人々に愛された。photo : Getty Images
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21 1995年9月。ヴェルサーチェのドレスで。イメージががらりと変わったが、トレードマークのヘアスタイルはこれまでどおり。ブロンドのトーンがほんの少し明るくなり、ヘアスタイリストのサム・マックナイトがたっぷりとした前髪をより現代的にアレンジ。ヘアセットに別れを告げ、若々しいスタイルに。photo : Getty Images
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22 1995年9月。グラン・パレで開催された『セザンヌ回顧展』を訪れたダイアナ妃。このとき大統領夫人のベルナデット・シラクがプレゼントしたバッグが、後にファッション史に刻まれることになるレディ ディオール。ダイアナ妃のアイコンバッグであり、永遠のベストセラー。photo : Getty Images
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23 1996年6月。離婚2カ月前。ダイアナ妃人気は調査以来の最高値を記録。アメリカ訪問の際には、まさにファッションアイコンに。流れるようなラインのドレスが、すらりとしたシルエットをさらにほっそりと見せている。photo : Getty Images
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24 1997年2月。離婚が成立し、公式に独身となったダイアナ妃。ロンドンのグレート・オーモンド・ストリート病院の新病棟開棟記念式典にシャネルのスーツで出席。photo : Getty Images
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25 1997年6月。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで上演された『白鳥の湖』を鑑賞。公式の場に姿を現すのはこれが最後となる……ジャック・アザグリーのドレスに身を包み、輝くような笑顔を浮かべたこの写真が、ダイアナ妃の最後の公式写真となった。photo : Getty Images
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texte : Justine Feutry (madame.lefigaro.fr)