不思議の国・日本! 『007は二度死ぬ』とサントリーウィスキー。
『007』を観たおかげで酒、時計、ファッションアイテムに携わる編集者になったと言っても過言ではない編集YKが、今回再上映が決定した10作品を徹底レビュー! 今回は映画第5作となった『007は二度死ぬ』と、ジェームズ・ボンド、ショーン・コネリー、そして原作者イアン・フレミングが愛したサントリーのウィスキーについて語ります。
『007は二度死ぬ』(イギリス公開1967年12月29日/日本公開67年6月17日)
アメリカの宇宙船が飛行中、宇宙空間で謎の飛行物体に捉えられる事件が起こり、アメリカはソ連の関与を追求、両国は一触即発の状況になる。イギリスの秘密情報部=MI6は、飛行物体はソ連ではなく日本近海から飛び立ったという情報を掴み、その真偽を確かめるべく007=ジェームズ・ボンドを日本に派遣する。
ボンドは敵の目を欺くべく、イギリスの植民地である香港で死亡を偽装。水葬されたボンドは潜水艦に回収され、秘密裏に日本へと向かう。日本に上陸したボンドは協力者の女スパイ・アキに接触し、公安のトップであるタイガー田中と協力体制を取る。ボンドは事件に大里化学工業の関与を察知、ビジネスマンとして大里社長に面会するが、透視装置によって拳銃の所持がバレてしまう。トヨタ2000GTを運転して駆けつけたアキによって、ボンドはなんとか危機を逃れる。大里化学の貨物船が事件に関わっていることを嗅ぎつけたボンドは神戸港に向かうが、敵と乱闘になり捕らえられてしまう。
その頃、ソ連が打ち上げた宇宙船が再び謎の飛行物体に囚われ、事態は悪化していく。飛行物体は日本の火山島に偽装された秘密基地から打ち上げられており、それを指揮していたのはスペクターのNo.1、ブロフェルドであった。彼らはアメリカとソ連を戦争状態に陥らせ、両者が共倒れになった後で世界の覇者を目指している依頼主の国家から、多額の報酬金を得ようとしているのだ。
脱出したボンドはタイガー田中の秘密基地である姫路城で「忍者」となる訓練を受ける。刺客は訓練所にも紛れ込み、アキはボンドの身代わりとなる形で毒殺されてしまう。ボンドは日本人の漁師に変装し、田中の部下で島の海女であるキッシー鈴木と偽装結婚、敵のアジトと思われる島の火山に潜入捜査を始める……。
---fadeinpager---
オリエンタリズムとエロティシズムにあふれる「不思議の国ニッポン」
1959年、サンデータイムズの特集記事のため、人気作家であったイアン・フレミングは5週間の世界一周旅行を提案される。気難しいフレミングは当初この申し出を断ったが、「007シリーズの取材にもなる」という担当編集の言葉に押され、英国海外航空で香港を皮切りに太平洋を回る旅をスタートする。
香港訪問を経て東京の滞在は3日間のみとなり、フレミングは「政治家との会見、博物館、寺院、皇居、能、お茶の誘いも予定から外す」という旅程を立案。朝日新聞社のジャーナリスト、斎藤寅郎(通称タイガー)に案内されて東京見物に勤しんだ。到着してすぐ、フレミングはかつて敵国だった日本に対するわだかまりが解けるのを感じたという。日本旅館に滞在し、芸者たちと俳句を読み、日本酒を大量に飲んだ。また、同時期に滞在していた友人でありスパイ作家仲間でもあるサマセット・モームとともに、講道館の柔道を見学している。
フレミングは日本を気に入り、3年後の1962年に再び日本を訪れ、タイガー斎藤に伴われ、東京〜九州にわたる12日間の取材旅行を楽しんだ。原作小説『007は二度死ぬ』は、この2回の日本での経験が基になって書かれた。また、フレミングの生前に出版された最後の作品でもある。
---fadeinpager---
原作小説はジェームズ・ボンドが結婚するも、宿敵ブロフェルドに妻を殺害されてしまう『女王陛下の007』の続編として描かれているため、映画版は原作のエッセンスを少々残しつつも、ストーリーが大幅に変更された。原作発表時と映画公開時の時代性が乖離してきたこともあり、この作品以降は原作小説のタイトルだけを使用し、脚本は映画独自のストーリーで進むことが多くなる。今作の脚本を担当したのは、フレミングの友人で、『チャーリーとチョコレート工場』や短編集『あなたに似た人』で知られるイギリス人作家ロアルド・ダール。原作を汲み取りながら、エンタメ性とオリエンタリズムあふれ、そしてどこかエロティシズムを感じる作品に仕上げた。
スパイが死体を偽装して敵を撹乱する、というストーリーは原作者イアン・フレミングが第二次世界大戦中に英国海軍情報局で考案、実行させた「オペレーション・ミンスミート」にヒントを得ているように思えてならない。イアン・フレミング本人、そして007シリーズに登場するMI6長官「M」のモデルになったゴドフリー提督が登場する映画『オペレーション・ミンスミート ―ナチを欺いた死体―』(2021年)も必見だ。
タイトルである「You Only Live Twice」は、フレミングが「松尾芭蕉の俳句に倣って」日本滞在中に読んだ俳句「You only live twice; Once when you're born, And once when you look death in the face.(人は二度しか生きれない;この世に生を受けた時、そして死に直面した時)」から取られている。
---fadeinpager---
007とサントリー
フレミングはサンデータイムズの日本紹介記事の中で「あえて言う、日本のウィスキーはなかなかいける」と述べ、サントリーウィスキーを大いに気に入ったと話している。原作小説ではボンドの協力者が「あれはよく出来たウィスキーだ。一番安いホワイト・ラベルだけ飲めよ。(中略)他にももっと洒落たのが2種類あるが、一番安いのが一番いい」と語らせ、タイガー田中の家では「サントリーをたっぷり注いでソーダをちょっと足す」という、濃い目どころではないハイボールの飲み方が登場する。
フレミングはスコッチウィスキーが苦手だったようで、日本取材の同行者の手記によれば、フレミングは心臓の筋肉が「バーボンでは筋肉が伸びるが、スコッチでは伸縮するんだよ」と語って移動中はバーボンの瓶を携帯していたという。原作小説でも、ボンドがウィスキーを飲む時はかなりの確率でバーボンのロックやバーボンソーダを愛飲している。ピート(泥炭)の香りが立つスコッチよりも、まろやかな香りのバーボンやジャパニーズウィスキーが好みだったのだろう。
---fadeinpager---
大阪の酒造メーカー、寿屋が山崎蒸留所で日本初の本格ウィスキー「サントリー」を発売したのは1929年。丸い瓶に白いラベルで「白札」の愛称が付き、戦後は「サントリー ホワイト」と呼ばれることになる。しかし、本場流のピート香を効かせたウィスキーは「焦げ臭くて飲めない」というクレームが入るなど、当時の日本人の舌には合わなかった。社長の鳥井信治郎は「需要がないなら作ればいい」と、日本人の舌に合う原酒の改良とブレンドの研究に没頭した。1937年、山崎蒸留所が開業して10年以上、鳥井信治郎は日本人の繊細な味覚に合う、ふくよかで豊かな香りを持つウィスキーが完成する。『サントリーウィスキー12年もの角瓶』、いまなお愛される“角瓶”の誕生だった。第二次世界大戦前の奇妙な平和の中で、角瓶は爆発的に人気を博す。
1946年の敗戦後、寿屋はモルトのブレンド率を下げた「トリス」を発売。人々はトリスとともに復興への道を進んでいく。1950年には池袋に「トリスバー」の1号店が開店、価格を明示した安くて気軽に飲めるバーは仕事帰りのサラリーマンに爆発的な人気を博し、たちまち全国に広がっていく。日本に洋酒文化が根付くきっかけの一端を、間違いなくトリスバーが担っていたのだ。
1950年には「サントリーオールド」が市場デビュー、そして創業60年でもある1960年には「サントリーローヤル」が発売。61年、アメリカ市場で発売されたサントリーオールドには「ジャパニーズウィスキー」の文字が掲げられた。スコッチ、アイリッシュ、カナディアン、アメリカンと並び、世界5大ウィスキーと呼ばれるまでに日本のウィスキーを洗練させたのであった。日本ウィスキーの父・鳥井信治郎はそれを見届けると1962年、83年の生涯を閉じた。63年、寿屋は社名をサントリーに変更する。
---fadeinpager---
映画『007は二度死ぬ』では、姫路城にあるタイガー田中の秘密基地の屋外で、サントリーオールドがチラリと映り込む。当時、オールドの出荷量はかなり少なく、中元や歳暮の時期に棚に並んだかと思えばすぐに売り切れ、バーテンダーたちはどこに行けば買えるのか意見交換までしていたほどだったという。世界市場を見据えた高級なオールドが映画に登場したのも、納得の配役だったのだ。ちなみに007が偽装結婚した新婚初夜の場面では、食卓に「サントリー赤玉ポートワイン(現在は赤玉スイートワインに名称変更)」が並んでいる。現在も斬新なコマーシャルが話題となるサントリーの面目躍如だ。
1992年、007を引退したショーン・コネリーは再びサントリーのグラスを手に取る。「サントリークレスト12年」のコマーシャルフィルムだ。すでに終売してしまったウィスキーだが、その映像はキャッチコピーとともに、いまなお鮮烈に我々の胸を打つ。
「時は流れない。それは積み重なる。」
ARCHIVE
MONTHLY