『el tempo』公演記念企画 #03 ブエノスアイレスから東京へ! 『el tempo』の軌跡。
Culture 2018.12.07
シシド・カフカが多くのミュージシャンに呼びかけて今年10月に行った画期的なリズムイベント『el tempo』は、彼女の熱い想いで始まったものだが、実はその裏側には重要な人物が存在する。それが、『el tempo』のスーパーバイザーであり仕掛け人の大坪祐三子氏だ。「フィガロジャポン」とも、そして『el tempo』公演レポートおよび出演者鼎談を取材・執筆した栗本斉氏とも、かねてより縁がある大坪氏。この前代未聞の音楽イベントが日本で行われた経緯について、栗本斉氏がインタビュー。
2018年10月、アルゼンチン共和国大使館で行われた合同展示会『Argentina Fashion Days in Tokyo』にて。左から大坪祐三子、トラマンドのデザイナーであるマルティン・チュルバ、シシド・カフカ。
ファッションと音楽が密接に関わるブエノスアイレスで。
――まず、大坪さんがサンティアゴ・バスケスのハンドサインに出合ったのはどういうきっかけでしょうか。
2006年のことなので、もう10年以上も前なんですが、当時私はアッシュ・ペー・フランスのラテン事業部のディレクターだったんです。トラマンド(Tramando)やホォアナ デ アルコ(Juana de Arco)といったアルゼンチンのブランドを日本に持ってきて、どうやって広めていこうかと考えていたところでした。アルゼンチンのファッションは、音楽やアートなどと密接に関わり、ライフスタイルそのものなんです。そのことを伝えられたらと思い、現地で撮り溜めた写真とともに「フィガロジャポン」に企画を提案しました。それで実現したのが、ブエノスアイレスの特集号(2007年1/5・20合併号)です。
「フィガロジャポン」2007年1月5日・20日合併号ブエノスアイレス特集。旅特集として南米が初めて取り上げられた。シシド・カフカが大好きというトラマンドのデザイナー、マルティン・チュルバや歌手のマリアナ・バラフ、六本木ヒルズでの個展が記憶に新しい世界的なアーティスト、レアンドロ・エルリッヒなど、16人のクリエイターをフィーチャー。大坪氏はこの特集のコーディネートも担当。
――あれは画期的な特集でしたね。ラテン音楽好きの間でも話題になりました。
その号に登場するクリエイターは皆、すごく広い人脈を持っていたので、いろんなアーティストと繋がることができました。そして、当時私の仕事仲間であり親友のヴィクトリア・ラムダニーのご主人が、コネックス(Konex)というシアターのオーナーだったんです。コネックスは、古い工場を改装したシアターで、そこではさまざまなお芝居やパフォーマンスが行われていました。クリエイターの間でも話題となっており、それである日、ヴィクトリアから「コネックスでおもしろいイベントをやっているから観に行こう」と誘われて行ったのが、サンティアゴ・バスケスが始めた『La Bomba de Tiempo』だったんです。もう、すごく衝撃的でした。
サンティアゴ・バスケスがブエノスアイレスで主宰するリズムイベント『La Bomba de Tiempo』。06年から、古い工場を改装した会場「コネックス」で開催され、毎週2,000人もの観客が足を運ぶ。
――どこに衝撃を感じたのでしょうか。
すごいミュージシャンを集め、音楽的にも高度なことをやっているのはもちろんなのですが、会場の雰囲気がとてもニュートラルなんです。完全に大人の遊び場という雰囲気が作られていたことにも感動しました。毎週月曜の定時に開催されていたので、気負わずに行けるんですよ。大人になると、帰宅後のことや翌日のことを考えないといけないから、弾けきれない。でもこのイベントは週初めに少しだけ仕事を早めに切り上げて音楽を楽しみ、早く終わるので家に帰ってその後の時間も楽しめる。その空気感も含めて、音楽によって提案するこうした習慣や文化を日本にも作りたい、と強く感じたんです。
ハンドサインの創始者であるサンティアゴ・バスケス。
――どのようにして、日本に持ってこようと考えたのですか。
サンティアゴともいろいろと話をしたのですが、彼も日本をはじめさまざまな都市にこのリズムの提案を持っていきたいと考えていて、そのイベントが築くことのできる可能性をすでにしっかりと思い描いていました。ただ、「無限に広がる可能性を持つプロジェクトなので、正しく、美しく始まらないといけない。急いでいないから、日本でそれを的確に実現し、背景のコンセプトをきちんと理解して表現できるパートナーを探してほしい」と言われました。私もまったく同じ思いでした。絶対にやりたいと思ったのですが、音楽の世界とは縁があまりなかったので、それから少し時間が経ってしまうんです。
『Argentina Fashion Days in Tokyo』にて。鮮やかな色彩と斬新な素材使いが魅力のトラマンドの最新コレクションを、マルティン・チュルバ(左)がシシド・カフカ(右)に披露。
――それで、シシド・カフカさんに繋がっていくんですね。
カフカさんがデビューするという報道を、保育園に行く前に子どものオムツを慌てて替えている時にたまたまテレビで観たんです。「なんて上品で美しい人なんだろう!」と思い、直感で「この人以上に(当時担当していた)トラマンドが似合う人はいない!」って思って、通勤電車の中で熱い想いを書き綴り、公式サイトのコンタクト先にメールしました。そうしたら、その日の夜中に返事があり、偶然にも「実はカフカもすごく好きなブランドだ」という話になったんです。
幸運なことにトラマンドのデザイナー、マルティン・チュルバが来日するタイミングだったので、カフカさんと引き合わせました。マルティンもカフカさんのことをすごく気に入り、「カフカの衣装は、僕が一生提供し続けるよ」と言ってくださって、交流が始まりました。そしていまもリスペクトし合っています。
大坪氏がディレクションを手がけた、トラマンドを纏うシシド・カフカをフィーチャーしたアッシュ・ペー・フランス発行のフリーペーパー「H.P.F. THE PAPER」12年9月号より。 photo : MASAYUKI SAITO
12年9月に開催された合同展示会「rooms」で、シシド・カフカがライブ出演した際の衣裳はトラマンド。デビュー当時、動画サイトで話題となった山口百恵の「絶体絶命」のカバーで着用しているトップは彼女が初めてトラマンドに出合った思い出の一着であり、プリッツのCMやドラマ「ファーストクラス」で着用していた衣装のほとんどがトラマンドだ。 photo : MASAYUKI SAITO
『Argentina Fashion Days in Tokyo』では、マルティン・チュルバがシシド・カフカに着てほしいと思うアイテムを次々と提案。会うたびにチュルバはシシドに何着かを託して彼女に着てもらい、その返却を理由にまた次に会う約束をしているそう。
シシド・カフカのためにデザインを考えることが大好きだと語るマルティン・チュルバ。彼女がチュルバに多大なインスピレーションを与えていることが伝わってくる。
――カフカさんが具体的にハンドサインと出合ったことも、大坪さんがきっかけなんですよね。
カフカさんのインタビューを聞く機会が何度かあったのですが、なぜドラムを選んだのかという問いに対して、ドラムやリズムに対するこだわりや想いを語っていらっしゃいました。それを聞き、この人にはリズムに対してサンティアゴと同じ思いやビジョンがある、カフカさんならプロジェクトの根底の部分をきちんと理解でき、サンティアゴのイメージする「美しい始まり」を日本で描けるんじゃないかと感じました。
おふたりとも素晴らしい才能にあふれるアーティストですが、気取ることなくすべての人に対して丁寧で優しく、穏やかに向き合っています。そして自身に厳しく芸をひたむきに追究する、とても真面目で職人気質な方々です。何よりカフカさんのこうしたお人柄が、サンティアゴのプロジェクトを正しく形にしてくれる!と確信していました。
そして、デビュー後のカフカさんのお誕生日会でサンティアゴのことをお話しし、「ブエノスアイレスに行く機会があれば、絶対に『La Bomba de Tiempo』を観てください!」と伝えました。その後、15年にテレビ番組の企画でブエノスアイレスを訪れた際に、実際に観てきてくださり、「すごくよかった! 日本でもいつか必ずやりましょう!」と言ってくださいました。この瞬間、このプロジェクトのバトンは私からカフカさんに手渡されたのです。
シシド・カフカは15年に仕事でブエノスアイレスを訪れた際に『La Bomba de Tiempo』を体験。今年の春に留学した時、再び会場の「コネックス」を訪れた。 photo : KAVKA SHISHIDO
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3年間温め続けた想いが、実現に向けて動き出す。
栗本斉著『アルゼンチン音楽手帖』(DU BOOKS刊)に、大坪(旧姓:竹本)氏が「アルゼンチンのファッションと音楽のコラボレーション」というテーマで寄稿。トラマンドを着用するシシド・カフカも紹介されている。
――でも、すぐに実現したわけではなく、動き出したのは昨年とのことでした。
彼女はその後、ご存じのとおりすごく忙しく活動されていて、私もたくさんのブランドのディレクションに走り回っていたので、なかなかその話は進みませんでした。でも、折々会うたびに互いにプロジェクトの話をし、いつの日か実現させることを信じて、時が来るのを待っていました。そうして昨年の秋に「休みをもらって修業に行こうと思っています。手伝ってもらえますか」とご連絡いただき、スカイプを通してサンティアゴとのやりとりが始まりました。
感動的だったのは、彼女の周りのスタッフが全面的にバックアップしたことです。「下積みの頃から、すべてを実直にこなしてきたカフカがここまで自分の意志を通すということをしたのは本当に初めてだから、これで新しい道が開けるはずだ」と判断されたようです。ちょうど映画『リメンバー・ミー』のお仕事でお忙しい時期だったので、キャンペーンと平行して準備を進め、今年の4月に2カ月の休暇を取って単独留学されました。そこからはもう、ジェットコースターに乗っているようなものです。
シシド・カフカのインスタグラムより。ブエノスアイレスに留学中、サンティアゴ・バスケスにより毎週開催されるリズムイベント『La Grande』に出演した。
――帰国してからは、どう進んでいったのでしょうか。
まず、2カ月でマスターして帰国したことを、サンティアゴも絶賛していました。プロだからというのではなく、カフカさんの情熱がすごかったからです。サンティアゴの欧州ツアーにも同行し、本当に毎日朝から晩までサインを習得することに向き合って、ホテルに戻ってもひたすら自主練をされていました。帰国後は、リハーサルの調整だけでなく、イベントの構成やメンバーへのお声がけから出演交渉、『el tempo』のサイトやロゴ、グッズのデザインまで、すべてにおいてディレクションしました。実際のステージも素晴らしいものでした。サンティアゴが常々言っていた「美しいスタート」そのものだったと思います。
シシド・カフカ自身が考案した『el tempo』のロゴ。ドラムの太鼓やシンバルが丸いことから、丸をキーポイントとして用いた。日本とアルゼンチンの国旗からイメージした、赤と青のふたつの丸が一緒につくるサイン(指揮)によってひとつ(和)になる、という意味を込めているそう。
――イベントを終えての感想はいかがでしょうか。
お客さまの様子をずっと見ていたのですが、開演前は皆ステージの前に詰めかけ直立していたので、楽しんでいただけるか少し不安でした。でも、時間が経つにつれて、飲み物を飲みながら知らない人同士で話をしたり踊ったり、現地と同じようにその場の空気を好きなように楽しむお客さまが少しずつ増え始め、会場は演奏に合わせてどんどん盛り上がっていきました。その様子を見て皆さんに楽しんでいただけたかなと感じました。
私の地元からも多くのママ友たちが来てくれたのですが、「ずっと踊っていたよ」とか「久しぶりの主人とのデートでした」なんていう反応があって、このイベントの成功を実感しています。特にSNSの反応を見ると、楽しかったという以外に、自分でもやってみたいというような意見が多かったのもうれしいです。カフカさんが独自のアレンジで日本ならではのステージへと昇華させつつも、メンバーの皆さまと、このイベントの最も大切なものを、現地同様に見事に表現してくださった結果だと思います。
――確かに、ただ感動するのではなく、自分も学びたい、やってみたいと思うイベントはなかなかないと思います。
そう感じることって、意外にないですよね。でも、自分でもできるかな、っていう想像力が生まれて繋がっていくのはとても素晴らしいことなんじゃないかなと思います。
アルゼンチンではすでに新しい言語ツールのひとつとして、セラピーや、郊外の村の子どもたちとプロのミュージシャンの共演、親子で参加するイベントなども行われています。今回はあくまでも大人のための新たなリズムイベントにしたいという趣旨でしたが、今後はそういったこともできるんじゃないかなと感じています。また、今回体験してみて、ブエノスアイレスでも観てみたい、さらには留学して学びたいという人たちが出てくるとさらにいいですよね。そうやって日本とアルゼンチンをリズムで繋ぐ『el tempo』の輪が広がっていくことを期待しています。
『el tempo』のアンコールで大きな拍手に包まれ、達成感と安堵を感じる表情を見せたシシド・カフカとサンティアゴ・バスケス。東京で「美しいスタート」を切った『el tempo』の旅は、無限の可能性を秘めて続いていく。 photo : EISUKE ASAOKA
ファッションブランドやフレグランスブランドなど、さまざまな海外企業の国内展開におけるディレクションを手がけたのち独立。プロデューサーとして、ブランドビルドおよびコーポレートブランディング、コンセプトデベロップメント、グラフィックデザインや商品開発など多技にわたるコンサルティング業務を請け負う。また自身の経験を地元の女性や子どもたちに還元すべく、ボランティアで小学校での英語絵本の読み聞かせや職業講話などさまざまな活動も行っている。
『el tempo(エル・テンポ)』
directed by KAVKA SHISHIDO & SANTIAGO VAZQUEZ
https://eltempo.tokyo
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齊藤工が、シシド・カフカを撮影。「活動寫眞館」
réalisation : HITOSHI KURIMOTO