小川洋子の6年ぶりの長編。『サイレントシンガー』で見つける癒やしとは。

Culture 2025.08.28

『博士の愛した数式』、『妊娠カレンダー』など名作を生み出してきた小川洋子が、6年ぶりに刊行した長編『サイレントシンガー』。内気な人々が暮らす"アカシアの野辺"で繰り広げられる物語とは――。


『サイレントシンガー』

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小川洋子著 文藝春秋刊 ¥1,980

沈黙を愛する人たちの思慮深さ、慎ましさに癒やされて。

文:瀧井朝世 ライター

小川洋子は、ひっそりと生きる人々の姿を掬い取る作家だ。6年ぶりの長編『サイレントシンガー』もまた、沈黙を愛する人々に寄り添ったひとりの女性の物語である。

森の奥で暮らすリリカは祖母に育てられた。祖母の仕事は、ふたりの家に隣接する"アカシアの野辺"の雑用係。その野辺では内気な人々が集まり、畑を耕し、動物を飼い、指言葉でコミュニケーションを取って静かに暮らしている。彼らの代わりに必要品の発注など外部との接触を行うのが、雑用係の仕事というわけだ。

寡黙な彼らも赤ん坊の泣き声と歌声は受け入れているようで、リリカは彼らの子守歌であやされ、「羊のための毛刈り歌」を覚え、いつしか不思議な魅力を持つ歌声を身につけた。成長するにつれ、彼女のもとにはさまざまな歌の仕事が舞い込んでくる。といっても華やかな仕事ではない。玩具会社の人形の声、水族館のアシカショーのアシカの歌声、レコーディングの際の仮歌など、どれも歌い手自身は表に出ることはない。

心くすぐってやまないディテールにあふれている。気象管ガラス、指言葉、森の奥の人形公園、幸運の印である小さな"不完全"......。リリカが親しくなる青年の趣味もおもしろい。彼は故人となった実在作家たちの未発表原稿が見つかったという嘘の記事を作成している。エミリ・ディキンスンの詩片が彼女のドレスの裾から見つかった、などといった嘘の記事ひとつひとつが実に楽しい。この世界のどこかに、沈黙を愛する人々の暮らしやリリカのような歌い手、誰かの未発表原稿などが本当に存在しているのではないかと思えてくる(現に仮歌歌手は実在することだし)。

声高に主張されないもの、語られないもの、賑やかに暮らしていると見過ごしてしまうものの中にある豊かさ、思慮深さ、慎ましさを浮き上がらせるのが小川作品の魅力だ。無言で本書のページをめくれば、私たちも、それらがもたらす安寧を享受することができる。

瀧井朝世|Asayo Takii
ライター
1970年生まれ。TBS系「王様のブランチ」ブックコーナーのブレーンを務める。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社刊)、『あの人とあの本の話』(小学館刊)、『ほんのよもやま話 作家対談集』(文藝春秋刊)など。
https://x.com/asayotakii

*「フィガロジャポン」2025年10月号より抜粋

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