戦後の日本、記憶を辿る『二月のつぎに七月が』はじめ、いま読みたい書籍5選。

Culture 2026.02.03

堀江敏幸による9年ぶりの長編で、726ページに及ぶ大作『二月のつぎに七月が』。「」を用いず、会話が誰視点なのか明確に示されていない本作は、ページをめくっていくうちに、時間を忘れて没頭できる一冊になるはず。この作品をはじめ、編集部おすすめの5冊をご紹介。


01.『二月のつぎに七月が』

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堀江敏幸著 講談社刊 ¥4,730

市場の食堂を舞台に、食と会話が記憶を引き出す。

文::佐久間文子 文芸ジャーナリスト

さまざまな人の声が響き合う小説である。会話をかぎかっこでくくらず書かれていて、語り手が誰か、初めのうち少しとまどうが、話の流れに身を任せているうちに、登場人物それぞれの声を聞き取れるようになる。

小説の舞台はとある市場にあるいちば食堂で、常連客の阿見さんという男性と、料理人である笛田さん、笛田さんのもとで働く丕出子(ひでこ)さんが主な語り手となる。

常連といっても食堂で阿見さんが口を開くことはめったにない。いつも静かに文庫本を広げ、メモを取っている。本のタイトルは作中には書かれていないが、巻末の参考文献から『アミエルの日記』だとわかる。スイスの哲学者で、30年以上にわたり日記をつけていた。『アミエルの日記』を読んでいるから「阿見さん」というのは、作者の遊び心だろうか。

文庫本は中国で戦死した父の遺品で、書き込みやインクの印を辿りつつ、阿見さんは見知らぬ男の日記を読み続け、写経のように気になる言葉を書き写していく。若くして亡くなった父との対話であり、自分自身のそう遠くない死を念頭に置いた準備でもあるらしい。

食堂にはさまざまな人がやってきて、話の中継地点にもなっている。丕出子さんが客から聞いた話が笛田さんへ。食堂のオーナーや市場の社長から笛田さんが聞いた話は丕出子さんへ。伝えられた話は、別の人の記憶を思いがけず引き出し、新たな物語の道筋が生まれていく。

いちば食堂で供されるのはカレーライスやうどん、コロッケといったごくふつうの料理だが、このふつうの料理が実においしそうに描かれる(笛田さんがありあわせの材料でつくる賄いは、ジャズの即興演奏のような、また別の魅力がある)。

ふつうの良さと、それを大切にしている人たちの良さを味わいつつ、かつていたはずの人たち、あったはずの場所が、いまは失われてしまったのではないかという喪失感に襲われる。

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佐久間文子|Ayako Sakuma
文芸ジャーナリスト
大阪府生まれ。1986年、朝日新聞社に入社し、文化部、「AERA」「週刊朝日」などで文芸や出版に関する記事を執筆。2008年から書評欄の編集長を務め、11年退社。著書に『ツボちゃんの話: 夫・坪内祐三』(新潮社刊)、『美しい人-佐多稲子の昭和』(芸術新聞社刊)など。

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02.『プレイグラウンド』

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リチャード・パワーズ著 木原善彦訳 新潮社刊 ¥4,950

米文学を牽引するパワーズの驚くべき仕掛けに満ちた未来図。

南太平洋に浮かぶマカテア島はIT業界の寵児トッド・キーンによる再開発の噂に沸いていた。島で暮らす彼のかつての親友ラフィと妻のイナ、そして海洋生物学者のイブリーン。彼らの過去と現在を行き来しながら語られるのは果たされなかった友情の物語であり、美しい海の豊かさだ。『オーバーストーリー』でピュリツァー賞を受賞したパワーズは最先端の科学的知見を小説に仕立ててきた。本作ではAIが人類の未来予想図を描き出す。

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03.『ブーズたち鳥たちわたしたち』

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江國香織著 角川春樹事務所刊 ¥1,870

江國香織の最新連作短編集は、異世界の扉を開く新境地。

タイトルの「ブーズたち」の正体を知ったら、きっと驚くに違いない。極上のクラムチャウダーを求めてロードアイランドを訪ねた恵理加は、ウェイターのルークから不思議な打ち明け話を聞かされる。ここにない音が聴こえてきたり、ありえないはずのことが起こったり。3編の物語は私たちがいまいる世界の枠組みをするりと潜り抜けて、異界への扉を開けてみせる。自分と異なる他者との境界線が揺らぐ瞬間を描いた異色のファンタジー。

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04.『自然のものはただ育つ』

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イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳 河出書房新社刊 ¥2,640

決して癒やされることのない哀しみに言葉で対峙する。

『理由のない場所』は母親が16歳で自死した息子と架空の対話をする小説だ。それは作家自身に起こったことだった。ふたりの息子を相次いで自死で失うというのはどれほど痛切な体験だろう。奈落の底にいる。癒やされることはこの先もない。「それでもなお人生を生きねばならない」時、何ができるのか。行き場のない喪失感を安易な言葉に置き換えず、手放すまいとする。哀しみの形をした愛が読むほどに胸に迫るノンフィクション。

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05.『BOX&NEEDLEが旅して見つけた、世界の紙と工房』

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大西恭子、大西景子著 青幻舎刊 ¥2,530

京都の老舗紙器メーカーが、紙一枚に託した手仕事の記録。

京都の老舗紙器メーカーが東京の二子玉川で始めた世界初の貼り箱の専門店BOX&NEEDLE。美しい紙を職人が手貼りした箱には機械では再現できない愛らしさがある。交流を重ねてきたイタリア、ネパール、フィンランドなど世界中の工房とデザインの魅力を写真と証言で紹介。家族経営の小さな工房も少なくないが、紙に魅せられ、手仕事を守り続けてきた人たちの誇りと温もりが伝わってくる。

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*「フィガロジャポン」2026年3月号より抜粋

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text: Harumi Taki

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