なぜ余市が注目されるのか? ドメーヌ・タカヒコ&ドメーヌ・モンを通して探る、日本ワインの現在地。
Gourmet 2025.12.11
「余市のワインは、なぜここまで人を惹きつけるのだろう?」 日本ワインを語る時、この問いは避けて通れない。市場には「入手困難」の言葉が飛び交い、国内外のソムリエが目を輝かせ、飲める場、買える所を求めるファンが後を絶たない状況だ。
去る11月26日、フィガロワインクラブがその理由を探るべく、「ドメーヌ・タカヒコ、ドメーヌ・モン特別試飲セミナー」を開催。『ドメーヌ・タカヒコ奮闘記 〜ニッポンの「うま味ワイン」、世界へ〜』を出版した浮田泰幸を講師に招き、希少なワイン3アイテムの試飲を通して余市人気の背景を掘り下げ、その魅力を立体的に解き明かした。
着席した参加者のもとに、アプリコットオレンジに輝く、官能的な色合いのワインが置かれていく。ドメーヌ・モンの看板ワイン、「ドン・グリ 2023」。のっけから贅沢なウェルカムワインに恍惚となる参加者の眼前にこの日の講師、浮田泰幸が登壇。著書『ドメーヌ・タカヒコ奮闘記』で余市のワイン人気の核心に迫ったジャーナリストである。
世界の注目を呼び寄せた転換点
セミナー冒頭で浮田が提示したのは2020年の「Nomaサプライズ」。すでに伝説となっているデンマークのレストラン「Noma」のワインリストに、ドメーヌ・タカヒコのナナツモリ・ピノ・ノワール 2017が掲載されたのだ。タカヒコ、ホッカイドウ、ヨイチという固有名詞が、ガストロノミーシーンで波及していく。Nomaのヘッドソムリエは、浮田の取材に「少しハーブっぽくて柔らかい、ピノ・ノワールという品種をとても日本的に表現しているものとして、私の心をとらえました。このワインは私たちのキチンによく合います」とコメントしたという。
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余市という「例外的」なテロワール
現地に何度も足を運び、緻密な取材を繰り返してきた浮田はデータに基づいて立証する。
・極寒の北海道にあって余市が比較的温暖で果樹栽培に適していること
・ここ20年ほどの間に、余市周辺の気候がピノ・ノワールの生育に適した温度帯にシフトしたこと
・火山性土壌であり、マグネシウムがある種の苦味をもたらすこと
・畑の表土や周辺の森に安定した微生物環境が整っていること
これらが重なる地域は、世界でも余市以外ほぼ存在しない。この「苦味が引き締めるタイトさ」と「高湿と表土がもたらす柔らかいニュアンス」が重なることで、曽我貴彦が世界に示したキーワード、「うま味」がワインの中に形成される。グラスを覗き込むと、果実を誇張しない透明感の奥に、出汁のような余韻がふっと残る。その独自の構造こそが、余市のワインの人気を支える柱となっている。
試飲ワイン3種にも、その個性は明確に表れていた。
● ドメーヌ・モン ドン グリ 2023
かすかに赤みを帯びたオレンジ色。アプリコットやドライフラワーを思わせる香り。ピノ・グリのもつ骨格と柔らかさの奥にわずかに苦味が残り、輪郭をつくる。
● ドメーヌ・タカヒコ ナナツモリ・ピノ・ノワール 2022
淡いルビー。濡れ落ち葉、森の下草。果実の主張は控えめで、旨味主体の日本的ピノ・ノワールの典型。
● ドメーヌ・タカヒコ ナナツモリ・オー・リー 2023
やや濁りのある外観。底に沈殿した澱をあえて残すことで、複雑味と旨味を強調。生産本数がかなり限られる希少作。
参加者は浮田の解説を聞きながら、グラスと向き合い、ワインの表情を読み取って真剣にメモを走らせる。
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「野沢菜漬け名人のおばあちゃんになりたい」
「野沢菜漬け名人のおばあちゃんになりたい」
曽我がしばしば口にするセリフで、彼のワイン造りの根幹でもある。日本は発酵という伝統文化がある国。野菜を自然発酵させ、微生物の力を借りて、誰にでも真似のできる方法で地味(ちみ)を映したおいしい漬物をつくる、そんな存在でありたいという。曽我は自らのワイン造りと同時に、余市町を「産地」にすることを早くから考えてきた。スター生産者ひとりではひとつの産地にはなり得ない。
曽我が醸造にホームセンターでも買える安価な樹脂製タンクを使うことなどで、1億円はかかると言われていた初期投資を1000万円に抑えたこと、収穫したブドウは除梗せず、野生酵母による自然発酵を待つだけという手間をかけないワイン造りを実践していること。それらはすべて「みんなが真似のできるワイン造り」を自ら率先して行うことで新規参入を容易にし、小さくても個性のあるワイナリーを増やして産地形成に弾みをつけるための取り組みだった。
その結果、余市町と隣接する仁木町には20軒を超えるワイナリーが集まり、鈴木淳之(ドメーヌ・アツシ・スズキ)や山中敦生(ドメーヌ・モン)、近年では赤城 学(ロウブロウ クラフト)といった多様なスタイルの造り手が台頭した。「個性的で小さなワイナリーが100軒並ぶ産地の方が、大規模な1軒がある場所より強く、魅力的である」と曽我はいう。まさに余市がいま歩んでいる道だ。
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ワインは人を豊かにする
セミナーの終わりに、アパルトマンのテラスからパリの街並みを見下ろすカップルの写真と、ボルドーの農夫がワインを入れたコップを片手に笑う写真が投影された。いずれもフランスの写真家ウィリー・ロニスの作品だ。「いずれも豊かな、まさにアールドゥヴィーヴルを表す光景。けれど自分は、この農夫の写真がいいなと思うんです」。浮田の言葉に、一同がグラスの中に揺れるワインを楽しみつつ、うなずいた。
会場には書籍の販売コーナーも設けられ、購入者には浮田が一冊ずつ丁寧にサインを入れた。ワインの味わいと生産者の顔、それを追うジャーナリスト。そこから生まれた物語が繋がる瞬間。これもまた"アールドゥヴィーヴル"=暮らしの美学のひとつの形である。
photography: Aya Kawachi text: Hiromi Tani








