125年の歴史とともに。アールヌーボーの宝物、グラン・パレ。【パリの永遠の名所を歩く】
Paris 2025.04.27
未来に受け継ぐ、19世紀最後の珠玉の建築。
Grand Palais
グラン・パレ〈8区|シャンゼリゼ〉
セーヌ川に面して右岸に立ち、左岸と結ぶアレクサンドル三世橋、向かいのプティ・パレと同時に建築された。2021年に始まった大修復工事のすべての終了は今年の5月に予定されている。 ©Simon Lerat pour le Grand Palais Rmn
万国博覧会の会場として1900年に完成したグラン・パレ。半年間の開催中、世界から約5000万人が集まった。© Roger-Viollet/amanaimages
第5回パリ万国博覧会に向けて3年がかりの工事が終わり、グラン・パレは1900年に完成した。それまで仮設が常だった万博会場だが、グラン・パレは終了後も残る建物としてクラシックな石造りの堅牢な建築が採用され、屋根には鉄骨とガラスという当時の新しい素材を用いてモダンタッチが加えられたのだ。メタルの扉、大階段の手すり、柱に施された植物の美しい装飾ゆえアールヌーボーの宝物と呼ばれる。
左:昨年のパリ・オリンピックに際して部分的に再開。フェンシング競技がガラス屋根の下で行われ、最も美しい五輪会場と賞賛された。 © CHINE NOUVELLE/SIPA/amanaimages 右:メタルの骨格に施されたアールヌーボーの装飾。木犀草の緑色が美しい。© Simon Lerat pour le Grand Palais Rmn
グラン・パレの内部、自然光が差し込む屋根の下に十字のフォルムで広がるネフ(身廊)は空っぽだ。そこは各人が空想を膨らませることができる空間。昨年のパリ・オリンピックでフェンシングの会場に使われたように、その歴史の始まりから芸術、産業などさまざまなイベントや博覧会が開催されている。
大修復後に行われた2025年春夏プレタポルテコレクションでは、巨大な鳥カゴが出現。
シャネルがショーを行うことでも有名だ。それは12年をかけた大修復によりグラン・パレが蘇った2005年に、カール・ラガーフェルドが自身の尽きぬ想像力と創造性を存分に発揮できる場所として会場に選んだことが始まりだった。ロケットの打ち上げステーション、スーパーマーケット、滝が流れる森、水が打ち寄せる海岸......ショーのたびにグラン・パレ内に驚くべき壮大な舞台が造られたのだ。ライオンやシャネルのジャケットといったガブリエル・シャネルにちなんだ巨大な彫刻物が配置されたことも。見る者に幸福感をもたらすショー会場の驚きはいまも続いている。
左:天井の高さは35mあり、クーポールの下は45m。シャネルの17-18年秋冬プレタポルテコレクションのショーでは、グラン・パレがロケット打ち上げセンターに。© Chanel 右:「ガブリエル・シャネル」の名が刻まれたプレートが24年秋に設置された。 © Chanel Olivier Saillant
シャネルのグローバルファッション部門プレジデントのブルーノ・パブロフスキーはグラン・パレを、「カンボン通りやヴァンドーム広場と同じようにシャネルというメゾンを体現する場所のひとつ」と表現している。グラン・パレのエクスクルーシブ&歴史的メセナを7年前から務めるシャネルは、21年に始まったグラン・パレの修復工事にも大きな貢献を果たした。かくしてフランスのこの美しく優美な建築遺産は、独創的で美しい姿を取り戻し、未来へと歩み始めたのだ。
Grand Palais
グラン・パレ〈8区|シャンゼリゼ〉
7, avenue Winston Churchill 75008 ★Google Map
01-44-13-17-30
CHAMPS-ÉLYSÉES CLEMENCEAU
開)展示により異なる
料)展示により異なる
https://www.grandpalais.fr/
madameFIGARO.jpコントリビューティング・エディター。出版社で女性誌編集部のデスクを務めた後に渡仏し、フリーエディターとして活動。フィガロジャポンのパリ支局長在任中、『パリ・オペラ座バレエ物語』(CCCメディアハウス刊)を著す。
*「フィガロジャポン」2025年5月号より抜粋
●1ユーロ=約162円(2025年4月現在)
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text: Mariko Omura