アールヌーボーからアールデコ期、時代を駆け抜けたクチュリエ『ポール・ポワレ』展。

Paris 2025.09.06

ルーヴル美術館が開催した初のモード展『Louvre Couture』は好評につき会期も延長され、7カ月間で1,059,205人が来場。美術館の歴史において2019~20年開催の『レオナルド・ダ・ヴィンチ』展についで2番目の来場者数だという。9月7日まではプティ・パレではオートクチュールの元祖と呼ばれる『ウォルト』展が開催され、こちらも人気を呼んでいる。ウォルトの活動期は19世紀後半で、彼の晩年に息子たちがメゾンを後継。そこでしばらく働き、1903年に独立したクチュリエがポール・ポワレ(1879~1944年)である。パリ装飾美術館において『Paul Poiret La mode est une fête(ポール・ポワレ、モードは祝祭)』展が開催中だ。来年1月11日までなのでルーヴルもプティ・パレもいきそびれてしまった!という人にも朗報だろう。

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ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ1番地に構えたクチュールメゾン内でフィッテイング中のポールポワレ。1927年。

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ポール・ポワレの名前に思い浮かぶシルエットのドレス。左は1907年のソワレ「Joséphine」、中は1908年ごろのソワレ「Mosaïque」、右は1910年のソワレ。©Les Arts Décoratifs / Christophe Dellière

クリスチャン・ディオールが「ポワレが登場し、全てを覆した」と語っているように、彼はオートクチュールの代名詞とも言えるコルセットとクリノリンに別れを告げ、新しいシルエットを提案したクチュリエだ。それゆえに''女性の体を解放した''と、彼のクリエイションを語る際に特筆される。「私はアーティストである。クチュリエではない」と主張するポール・ポワレ。クチュリエというだけでなく、装飾芸術や香水といった分野にも仕事を広げ、芸術作品をコレクションし、また自身も絵を描いて......と彼はマルチな活動を行なった。パーティ好きな偉大なクチュリエだったポワレ。時代の寵児だったものの、1925年のアール・デコ展での派手な散財が経営不振に拍車をかけ、メゾンは1926年にクローズし、彼は65歳で亡くなった。キャリアは意外なほど短いけれど、語るべきことの多いクチュリエである。2フロアに11の部屋を設け、彼の多彩な活動と後世への影響を15のテーマで紹介している展覧会は見所満載。時間の余裕を持って出かけよう。


修行時代

呉服商の家に生まれたポール・ポワレ。10歳の時、エッフェル塔が建築された1889年の万博に心奪われた彼は、その後芸術・演劇に関心を持つ。1889年にクチュリエ、ジャック・ドゥーセに雇われ、1901年にはワースのメゾンに迎えられた。

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右:ウォルトのドレス。これと比べると、上の3点のドレスのシルエットの新しさが際立つ。 右:1900年ごろにポワレがデザインした『Premiere Empire』の軽騎兵ためのコスチューム。photography: Mariko Omura

クチュリエ・デビュー

1903年、母の融資でオペラ座近くにポール・ポワレはクチュール・メゾンを開く。2年後、彼のミューズでメゾンの大切なモデルとなるドゥニーズ・ブレと結婚。1907年のクチュール・コレクションで、コルセットを廃した細身のシルエットと大胆な色と素材の組み合わせという彼のスタイルを宣言する。1909年、シャンゼリゼ地区に近い場所に豪奢な18世紀の個人邸宅へとクチュール・メゾンを移す。その庭園ではパリ社交界を集めてデフィレを開催した。

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photography: Mariko Omura

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photography: Mariko Omura

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アーティストたちとのコラボレーション

フォーヴィズムが台頭し、ポワレはその色使いにインスパイアされた。その派の一人、モーリス・ドゥ・ヴラマンクにはボタンのクリエイションを、またラウル・デジデュフィには生地のモチーフを依頼。自身のクリエイションのイラストを描かせたポール・イリブやジョルジュ・ルパップなどは、その後有名になっている。

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ジョルジュ・ルパップ(写真)やエルテといったイラストレーターに仕事を託した。© Les Arts Décoratifs

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右:ラウル・デュフィ作『La petite usinse』(1911年)。ポワレのための仕事場をデュフィは"小さい工場"と呼んでいた。 左:ヴラマンクによる大胆な色彩とモチーフのボタン。photography: Mariko Omura

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ポール・イリブによるポール・ポワレのためのバラの習作。photography: Mariko Omura

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舞踏家・女優たちの私服と衣装をデザイン

バレエ・リュスの壮麗な舞台、イサドラ・ダンカンの自由な踊り、ニョータ・イニョーカが舞うインドの民族舞踏などに魅了されていたポール・ポワレ。バレエ・リュスに繋がりのあったダンサー、ナタリア・ゴンチャロフを自宅の庭に設けた劇場でのパフォーマンスに招いたり......。

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中央はムオル・ロシニョールがデザインしたナタリア・ゴンチャロフの舞台衣装(1921年)。その右隣りは女優アンドレ・スピネリィのためにポワレがデザインしたソワレ(1921年)。photography: Mariko Omura

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右はポール・ポワレによるボレロ。ニョータ・イニョカが1920〜30年に所有していた。左はボリス・リプニツキが1930年ごろに撮影したニョータ・イニョカ。photography: Mariko Omura

旅はマーケティングであり、そしてインスピレーション源

国際的流通を求め、彼は妻ドゥニーズとモデル9名を伴ってヨーロッパの首都、ロシアをめぐる車の旅を1911〜1912年冬に敢行。各都市で行なったショーは社交界のイベントとなり、大いなる宣伝効果をもたらした。さらに旅は美術館訪問、アーティストとの出会い、そしてテキスタイルや刺繍の購入の機会にもなったのだ。1913年にはフランス人クチュリエとして初めてアメリカを訪問。彼の地では「モードの王様」と呼ばれることに。

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1923年にルイ・ヴィトンに特注したツアー用のトランク。photography: Mariko Omura

旅がもたらす精神の豊かさ

新たな地平を開拓したい彼は芸術家仲間を連れて、1910年に地中海のクルーズに出ている。イタリア、モロッコ、チュニジア、アルジェリア、スペイン......この旅を彼はファッションへの奉仕とし、カットや色彩の刷新を研究する任務として捉えていたそうだ。

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異国の旅は彼のデザインに多くをたらした。photography: Mariko Omura

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パーティーとスペクタクルを催す

バレエ・リュスがパリで1910年に行なった公演『シェーラザード』にインスパイアされて、その翌年、彼はクチュール・メゾンを構えた個人邸宅を舞台に''千夜二夜物語''と題したパーティを開催。300名のゲストが仮装して集まり、彼はサルタン、妻ドゥニーズはその愛妾に扮した。招待状、会場装飾もテーマに合わせて用意され、クチュリエとしての名声を広めるのにこのパーティは大いに役立った。翌年にはパーティ"バッカスの饗宴"を、また1919年には自宅の庭に劇場を設け演劇を開催している。

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レオン・バクストによる『シェーラザード』の舞台装飾プロジェクト。1910年。© Les Arts Décoratifs

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左:パーティー''千夜二夜物語''に集まった人々。 右:1912年のバッカスの饗宴のためのデザイン。後ろは1911年の''千夜二夜物語''のためのデザイン。photography: Mariko Omura

芸術家たちのサークル

アメリカからパリに来たばかりの無名時代のマン・レイに仕事をあげたことでも知られているように、彼は新しい才能の発掘に意欲的だった。絵画ではジャクリーヌ・マルヴァルやエレーヌ・ペルドリアといった女流画家の作品を収集。しかし経営難から、1925年にこれらのコレクションを売却しなければならなかった。

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photography: Mariko Omura

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家族の肖像

ポール・ポワレには4人の姉妹がいる。その中で最も有名なのはニコール・グルト。クチュリエ時代を経て、デザイナーのアンドレ・グルトと結婚。画家のマリー・ローランサンと恋愛関係にあったことでも知られている。1905年に結婚したドゥニーズとポールの間には5人の子供が生まれたが、1928年に夫妻は別居する。

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ドレス「神話または牧神」を着てポーズをとる妻のドゥニーズ・ポワレ。後方の彫刻はブランクージ。1919年。© Les Arts Décoratifs

装飾芸術を刷新する

ベルギー、ウィーン、ベルリンを1910年に旅をした彼は、装飾芸術への興味を抱く。1910年、娘の名を取り、デッサンの自発性に重きを置いた教育行うマルティーヌ装飾美術学校を開設。生徒たちの作品のいくつかはアトリエ・マルティーヌが制作を担当。メゾン・マルティーヌでは家具用布地、カーペット、人形、壁紙などを販売した。

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左:アトリエ・マルティーヌ(1919〜1924年)の壁紙のプロジェクト。 右:アトリエ・マルティーヌが制作した屏風、ポール・ポワレの子供服、人形など。photography: Mariko Omura

クチュリエ・パフューマー

クチュール・メゾンによる香水の先鞭を切ったのがポール・ポワレである。長女の名前をつけたラ・ローズ・ドゥ・ロジーヌを皮切りに、約30種を発表している。会場ではボトルだけでなくプロモーション用の扇やポスターも展示。1923年の香水"レ・パルファン・ドゥ・ロジーヌ -  アルルキナードのために"は、アーティストのマリー・ヴァシリエフがユーモラスなポスターを制作した。

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左:アルルキナードのボトルとプロモーション・ビジュアル。 右:ボトルのデザインにはマルティーヌ装飾学校の生徒たちが参加したものもあるそうだ。photography: Mariko Omura

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複数の情熱を持つクチュリエ

一流シェフのレシピをまとめた料理本を出したり、演劇の舞台に立ったり、と彼はモード以外にも同じようにエネルギーを注いでいた。1930年に出した回顧録『En habillant l'époque(時代を装って)』には、こうした多くのことが綴られている。絵画も趣味のひとつだった。

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ポール・ポワレによる絵画。photography: Mariko Omura

1925年のペニッシュの魅惑的な統合

1925年に開催され、今年100周年を祝う『アール・デコ展(現代装飾美術・産業美術国際博覧会)』では他のクチュールメゾンがパヴィリオンを設けていたのに対し、ポール・ポワレはセーヌ河に浮かべた3艘の平船を会場にした。クチュールピースの展示のみならず、香水やアトリエ・マルティーヌの作品も展示し自身の世界を展開。一艘の中ではファッションショーを開催し、そのための背景としてラウル・デュフィに背景を14点依頼した。またレストランも設けるなど大いに投資をしたにも関わらず、奇をてらった方法は成功を収めることができなかった。

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Auguste Léonが撮影したアムール、オルグ、デリスと名付けられた3艘の船。photography: Mariko Omura

モダーンエイジのアート、映画。

1920年代、彼は女優たちの服や映画の衣装を多数手がけている。その中でも有名なのはマルセル・エルビエ監督の無声映画『L'Inhumaine』(1924年)だ。この作品は衣装を担当したのがポール・ポワレなら、音楽はダリウス・ミヨー、そして装飾には建築家のロバート・マレ・スティヴンス、キュービストの画家フェルナン・レジェが参加という大胆で贅沢なプロジェクト。会場で映画の抜粋を鑑賞できる。

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Eric Aaesによる映画のポスター。会場ではフェルナン・レジェによるタイトルクレジットのためのデッサンも展示されている。photography: Mariko Omura

ポール・ポワレのスタイルの遺産

最後の章を華やかに締めくくるのはポール・ポワレのクリエイションと、彼のスタイルのインスピレーションが感じられる後世のデザイナーたちの作品だ。

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1914年から1926年ごろまでのポール・ポワレのクリエイションを並べたウィンドウ。photography: Mariko Omura

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ジョン・ガリアーノによるディオール、高田健三によるKenzo、アズディーン・アライアによるアライアなど、ポワレのスタイルにインスパイアされた服を集めて。この最後のコーナーだけでなく、会場内にもコムデギャルソン、ドリス・ヴァン・ノッテン、カール・ラガーフェルドによるクロエの服が展示されている。photography: Mariko Omura

 

『Paul Poiret, La mode est une fête』展
開催中~2026年1月11日
Musé des arts décoratifs
107, rue de Rivoli
75001 Paris
開)11:00~18:00(火、水、金~日)、11:00~21:00(木)
休)月
料)15ユーロ
https://billetterie.madparis.fr/
@madparis

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editing: Mariko Omura

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