フィガロが選ぶ、今月の5冊 エミール・クストリッツァ監督が贈る、魅惑の短編集。

Culture 2017.09.02

永遠の少年エミールに、無性に会いたくなった。
『夫婦の中のよそもの』

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エミール・クストリッツァ著 田中未来訳 集英社刊 ¥2,268

 「蛇に抱かれて」という一編、その始まりの一行に「コスタ、永遠の少年。」と描かれている。永遠の少年、この本の著者エミール・クストリッツァに僕は何度もその少年を見たことがある。その少年だけではなくて、もしかしたら描かれている全ての登場人物を垣間見たことがあるかもしれない。
 僕がボスニアとの国境近くにあるセルビアの彼の家で暮らしていた時、彼はこの本を執筆しながら、村を作り、街を作り、バンドのツアーで世界中を飛び回っていた。彼が止まっていることを見ることの方が稀だった。部屋で寛いでいると遠くからエミールの操縦するヘリコプターの音が聞こえる。よく彼は家に空から帰ってきた。彼は僕を連れて、雪山をヘリコプターで狼を追いかけてみたり、巨大な熊と一緒にテレビを見たり、ヘリコプターで墜落してみたり。そしていつもむしゃむしゃとフルーツを齧りながら、どこかへ出かけて行った。彼がどこかの国へ出かけると決まって映画のセットを作るように彼の家は改築工事が始まった。 彼の放つ熱量は人々に愛されていた。国際的窃盗団の男達や政治家、村人とも彼は仲が良かった。だから彼の過去の映画には彼らが出演しているし、出演した老人には家を買って与え、村にはなかった診療所と幼稚園を作った。
 僕は一度、紛争で銃弾まみれになった、エミールがサラエボで暮らした家の写真を見たことがある。ある時、エミールが僕に言った。人を落としてしまうようなものは脚本に書いちゃダメだぞ。
 その言葉通り、この『夫婦の中のよそもの』と題された本の中には深い洞察力とユーモアがちりばめられ、そこには人生を感じるための温度が暖かく保たれている。この本を通じて僕の知らなかったエミールの心を感じた気がして嬉しかった。永遠の少年エミールに無性に会いたくなった。セルビアにふらっと行こうかな。

文/長谷井宏紀 映画監督、写真家、アーティスト

エミール・クストリッツァ監督が始めたセルビアのクステンドルフ国際映画祭2009で、短編『GODOG』が金の卵賞を受賞。初の長編『ブランカとギター弾き』が7月29日より、シネスイッチ銀座ほか全国にて公開。

*「フィガロジャポン」2017年9月号より抜粋

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