ジュエリー、香水ボトルだけではない。ルネ・ラリックによる建築・装飾の珍しい展覧会。
Culture 2025.07.26
アール・デコ展と略称される1925年に開催された『近代装飾美術・産業美術国際博覧会』。今年はその100周年とあって、アール・デコにまつわる多数の展覧会の開催がフランスで始まっている。2011年にアルザス地方に開館したラリック美術館では『ルネ・ラリック 建築家&装飾家』展が開催中だ。ルネ・ラリック(1860~1945年)というとアール・ヌーヴォーのジュエリーや香水のボトルを思い浮かべるけれど、これは彼のガラス工芸家としての仕事にフォーカスを置いた展覧会だ。彼の先見の明、インテリアデザインの嗜好、インスピレーションの豊かさなどを知ることができる。200平米の会場には約130点を展示しての展覧会は、彼とこのアール・デコ展からスタート。そのあとに、噴水、商業空間、個人邸宅といったテーマが続く。
ルネ・ラリックの写真を掲げた美術館のエントランス。©D.Desaleux-Musée Lalique
1925年アール・デコ展
建築におけるガラスの役割を早い時期から予見し、1925年以前にもすでに国内・国外で様々な建築・装飾をルネ・ラリックは手がけていた。彼は世界博覧会で仕事を知られることの重要さについて早くから気がついていて、1900年のパリ万国博覧会にもスタンドを出しているほど。この21カ国が参加した1925年のアール・デコ展はアンヴァリッドからプチ・パレに至る23ヘクタールに150ものパヴィリオンが並ぶ大規模なもので、彼にとってはガラス工芸にまつわる様々な仕事を披露できる良い機会となったのだ。
2万人の来場者が目を止めなかったはずのない圧巻の作品は、「フランスの源泉」だろう。アンヴァリッドのエスプラナード広場に設置されたコンクリートとガラスの15メートル高さの噴水だ。水盤は八角型をし、4つ股の台座には魚のモチーフが施されていた。水の流れを表現するガラス板とカリアティード(女性像柱)が装飾する16階建。カリアティードは合計128体で、47センチから70センチと各階でサイズが異なり、その身を飾ったのはパール、葦、魚、ハスの花といった水にまつわるテーマだ。解体されていまは存在しない噴水だが、この会場ではカリアティード3体が展示されている。ちなみに128体のカリアティードは木の台にセットされて解体後に販売されたり、ラリックが手がけた他の噴水に再利用したり......。
左:アール・デコ展会場内の噴水「フランスの源水」を写真で展示。エスプラナードの左右にパヴィリオンが並び、奥にアレクサンドル三世橋、奥左にグラン・パレが見える。 右:噴水を飾ったカリアティード。photography: Mariko Omura
グラン・パレとプティ・パレの間、アレクサンドル三世橋の始まりに設けられた博覧会の正面扉。ラリックはこれに大きなガラスのパネルを装飾した。この博覧会に繰り返し登場するテーマの噴水が、この扉のモチーフともなっていて荘厳な雰囲気をもたらす魅力が評価されたという。夜は照明で噴水の水が湧き上がるような情景を呈するという予定だったのだが、予算の都合で実現しなかっというのはなんとも残念な話だ。
博覧会会場はギャラリー・ラファイエットやプランタンなどのデパート、クリストフルやバカラといったアール・ドゥ・ターブルのメゾンなどが独自のパヴィリオンを設けたように、ラリックもアンヴァリッド広場に自らのパヴィリオンを建築した。また会場のひとつだった1900年の万博に祭して建築されたグラン・パレ内のフランス香水のスタンドでは、そのヴォールト天井の下に香水が吹き出すような滝をクリエイト。さらにRoger & Galletのスタンドの装飾も手がけるなど、アール・デコ展では建築・装飾面で八面六臂の活躍ぶりを見せた。
アール・デコ展の博覧会の正門にはめ込まれたガラスのパネルは噴水がモチーフ。1925年。© Studio Y. Langlois © Collection Shai Bandmann et Ronald Ooi
グラン・パレ内の香水のスタンドは写真で。photography: Mariko Omura
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素晴らしい噴水の数々
ラリックはアール・デコ展以前、1910年ごろから噴水を制作している。卓上噴水、壁掛け噴水と種類も豊富で、アパルトマン用の小さい規模から商店用、そして記念碑的サイズのものまでそのクリエイションは実に多彩だ。個人宅としてはインドのマハラジャからの注文もあった。展覧会では噴水の写真と魚やカモメなどのガラスの立体エレメントでそれらをしのばせる趣向である。噴水によっては解体後、別の場所で組み立てられて、といったものもあったそうだが、解体されて消滅した噴水の中で惜しまれるのはシャンゼリゼ大通りのロン-ポワンに1932~33年に制作した噴水だろう。アール・デコ展での成功もあり、これは公共スペース用の初めての注文だった。モチーフは松ぼっくり。夜はライトアップされ、素晴らしい景観を呈していた様子が写真に残されている。あいにく月日の経過による劣化が進み、1954年に解体されてしまった。いまその広場では、2019年からブルーレック兄弟によるクリスタルとブロンドを素材にしたモダンな噴水が道ゆく人を楽しませている。
左:1930年、カモメの噴水用のエレメエント。 右:1932年、鳩の噴水用エレメント。photography: Mariko Omura
シャンゼリゼ大通りのロン-ポワンに設置された松ぼっくりの噴水。左:© Studio Y. Langlois© Collection Shai Bandmann et Ronald Ooi 右:©Collection Lalique SA
左:1937年の魚の噴水のエレメントを展示。ルネ・ラリックはクリスタルを素材にしたことはなく、これもガラス素材だ。 右:クリスタルによる噴水の複製が美術館の常設展会場に展示されている。photography: 左 Mariko Omurra、右 © Collection Lalique SA
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商業スペース
香水メゾンのコティから香水ボトルにつけるラベルのデザインを依頼されたルネ・ラリックは、その仕事だけには満足できず。ここから香水のボトルのデザインも行うようになったというのは、有名な話である。1905年にヴァンドーム広場に構えた自身のブティックの内装、外装に自身のセンスと才能を発揮したのはもちろんで、商業スペースのための仕事にも大いに興味を持っていた。コティとの良好な関係から、1911年にはコティがニューヨークのフィフス・アヴェニューのビルに支社を開設したとき、彼に声がかかったのだ。石造りの建物4階から6階の外側に、ケシの花と蕾のモチーフの成型ガラスのパネルを彼は設置。各パネルはニッケルメッキのステンレスのフレームによって、回転する仕組みだった。透明で軽やか。この時代にあって実にモダンな建物は、1912年に落成した。なおケシのモチーフは展示の間の壁にも。こちらは成型ガラスの平版で、光を反射するようにメタルで裏打ちされていた。
NYのコティ社のためのケシの花のパネル(1912年)© Studio Y. Langlois © Collection Musée Lalique
パリで18世紀後半から19世紀にかけて流行ったパッサージュが、1926年にシャンゼリゼに開かれた。高級ブティックが並ぶアーケードで、ラリックはその入り口にアカンサスの葉がモチーフのガラスのランプをデザイン。さらにアカンサスのシャンデリア、そして壁にはアカンサスの40個の照明、床には球形ランプを設置してアーケードに明かりをもたらした。人気を呼んだのは3メートル高さのある2つの噴水で、1925年のアール・デコ展の噴水を飾ったカリアティード4体を中央の柱に見ることができた。
真珠販売などで財を得たレオナール・ローゼンタルがイニシアティブを取り、1926年にオープンしたシャンゼリゼ大通り78番地のGalerie des Arcades。photography: 左 © Collection Musée Lalique、右 Mariko Omura
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個人邸宅
このテーマは1902年に彼が手がけたパリのアルマ橋に近いセーヌ川沿い、クール・アルベール・プルミエ40番地の自宅から始まる。建築家と共に彼が建てた建物で、いまも通りに面した扉に植物モチーフのガラスを見ることができる。エントランスホールの奥の扉にはアスリートをモチーフにしたガラスパネルがはめ込まれていた。
1階がゲスト用サロンと工房、2階と3階の2フロアは賃貸で、芸術評論家や侯爵夫人が暮らしていた。4階は展示用ショーケースを備えて顧客を迎えるフロア。息子で後継者のマルク・ラリックが成長するのもこのフロアにおいて。ルネ・ラリックはその上の5階に。この家で育ち、結婚でリモージュにしばらく暮らした娘のシュザンヌが夫ポール・アヴィランドと共に戻り、父とフロアを共にする。彼女は1階のゲストサロンのためにクッションや家具をデザインし、また3枚じたての屏風を制作している。
1912年に建てられたルネ・ラリックの個人邸宅。photography: 左 © Lalique SA 、右 Mariko Omura
左:エントランス奥の扉のガラスパネルはアスリートがモチーフだった。 右:娘シュザンヌによる植物をモチーフにしたアーティスティックな屏風。photography: Mariko Omura
1914年から27年かけてシュザンヌは10種近い屏風を作っていて、クチュリエでアートコレクターのジャック・ドゥーセは彼女から複数の屏風とソファを購入している。これらは彼が1912年に新たに入手したヌイイの個人邸宅用だ。父のルネ・ラリックはというと、この家の書斎にアスリートと花が交互、というモチーフのガラスの二重扉を制作。この扉は1929年にドゥーセが設けた新しいアトリエに移動されたそうだ。なおこの家のために、父と娘は共に植物の浅浮き彫りの装飾の暖炉を手がけている。
雑誌L'Ilustration誌に掲載されたクチュリエのジャック・ドゥース邸。1930年。photography: Mariko Omura
ドゥーセの邸宅に先立って、ラリックは1905年には香水会社社長で後にパリ・オペラ座の総裁を務めるジャック・ルーシェの17区の個人邸宅の装飾にジャック・マジョレルやモーリス・ドニ等と共に参加している。エントランスホールには漆喰のパネルにガラスの花をはめ込んだステンドグラスのような照明を制作。そして食堂のためには、ガラスとブロンズを組み合わせてトンボとスカラベを飾ったシャンデリアを。麦の穂にインスパイアされたドアノブも手がけたが、とりわけ批評家たちに好評だったのは枝を組み合わせた壁の装飾だったそうだ。なお、この建物は現在ラリック社の本社となっている。あいにくとこうした要素はほぼ失われ得ていたため、ラリック・インテリア・デザイン・スタジオ(LIDS)がこの邸宅を含め、過去のルネ・ラリックの仕事にインスピレーションを得て多数の装飾をもたらした。
展覧会では上記のテーマに含まれない、扉と壁のパネルなど装飾のエレメントも展示。高級列車コート・ダジュール特急の装飾に用いられたクロツグミとレーズンのモチーフのパネルもそのひとつである。この展覧会ではあまり豪華客船や豪華列車の仕事について触れらていない。このテーマはアール・デコ期の代表的な作品として、パリの装飾美術館で10月22日から開催される『1925-2025 アールデコ100年』展でクローズアップされることになっている。そこではルネ・ラリックだけでなく、娘シュザンヌの仕事もしっかりと紹介されるようだ。
左:クロツグミとレーズンのモチーフのガラスパネルはコートダジュール特急の装飾用。 右:壁用のガラスパネルには裏にメタルを貼って光の反射を求めた。photography: Mariko Omura
左:1902年に制作した麦の鏡。 右:ガラスの扉なども複数点を展示。photography: 左 © Studio Y. Langlois © Collection Shai Bandmann et Ronald Ooi、右 Mariko Omura
なおルネ・ラリック美術館では常設展もとても充実している。アール・ヌーヴォーのジュエリー、香水ボトル、ガラスとクリスタルのアール・ドゥ・ターブルの品々などを豊富に展示。これについては別の機会に紹介するとして、ノルマンディー地方のノートルダム・ド・フィデリテ修道会礼拝堂、その他多数の教会や1900年の万博のパヴィリオンといった建築がらみのコーナーも常設展示内に設けられていることを付記しておこう。
ノルマンディー地方のDouvres la Délivrandeにあるノートルダム・ド・フィデリテ修道会礼拝堂。百合の花のパネルの窓や十字架などをラリックが1931年に制作した。© C. Urbain © Collection Musée Lalique
ラリック美術館はWingen-sur-Moder(ヴィンゲン=シュル=モデール)駅で下車し、徒歩20分。Bistro du Muséeが併設されている。© D.Desaleux
美術館の向かいにはラリック・グループの経営による4つ星ホテルChâteau Hochebergがあり、敷地内にはラリックのブティックも。photography: Mariko Omura
開催中〜2025年11月2日
Musée Lalique
40 Rue du Hocheberg
67290 Wingen-sur-Moder
開)9:30〜18:30(4月〜9月)、10:00〜18:00(2月、3月、10月、11月:火〜日)
休)無休(4月〜9月)、月(2月、3月、10月、11月)、12月25日、1月6日〜31日
料)8ユーロ
https://www.musee-lalique.com/en/
@museelalique
★Google Map
editing: Mariko Omura