小説家・朝吹真理子が綴るルイ・ヴィトンの創造性。【ビジョナリー・ジャーニー展で体感する、 ルイ・ヴィトンとの時空を超えた旅。】
Culture 2025.08.20
大阪中之島美術館で現在開催中のルイ・ヴィトン『ビジョナリー・ジャーニー』展を、アーティストや小説家がそれぞれの視点で捉える。メゾンを語るのに欠かせない、旅というエッセンス。新しい世界へ踏み出す先人たちを、旅を通じて支えてきたことがわかる冒険のエリアには、小説家アーネスト・ヘミングウェイやの顧客カードや彼が愛用した同型のトランクをはじめとする貴重なトランクが集結。小説家・朝吹真理子が、メゾンと共鳴する創造性をトランクに詰め込み、綴る。>記事一覧を見る。
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"EXPEDITIONS"
featured by MARIKO ASABUKI
朝吹真理子が佇むのは、悠久の時代を経て進化してきたトランクやラゲージの変遷を辿るEXPEDITIONSの展示室。気球をイメージした球体の空間は、常に空気を送ることで形状をキープする、浮き輪のような構造になっている。
ぬいぐるみのための旅支度
文・朝吹真理子
大阪中之島美術館に入ると、展示の入口に、たくさんのトランクが飾られてある。俵が飛んでゆく「信貴山縁起」のように、鈍重そうなトランクがいくつも宙に浮かんでいるのをみながら、『ベニスに死す』のことを思い出していた。
小学生のころ、家に帰ると、戸棚に並んでいるビデオテープの映画を退屈しのぎにみていた。シャチのぬいぐるみと遊びながら、よくわからないまま衣装がきれいそうだったのでヴィスコンティの『ベニスに死す』を流す。小学生だったのもあって内容はよくわからず、それでも窓の大きな客室に、どんどんスーツケースが運び込まれていき、家のように調度品が整えられていくのが好きで、そのシーンばかり覚えている。大きなクローゼットのようなトランクにはじぶんのイニシャルが描かれ、そのなかには仕立てのよさそうな服が並ぶ。写真立てが鏡台やベッドのサイドテーブルに置かれ、主人公がゆっくり接吻している。匿名的な客室をじぶんだけの部屋にするところからはじまる。人は移動をしたい欲望があるのに、同時に、じぶんの気配のない知らないところで寝起きするのは怖いのだなと思う。巣ごと移動したい気持ちは、怖がりの私にはよくわかる。
展示室をゆっくりみていて心惹かれていたのはオーダーメイドのトランク群だった。茶道具を見ていても、古いお道具であるほど、仕覆がふたつあったり、箱をしまうための箱がさらに重ねてあったりする。折りたたみの馬車。ヘミングウェイがオーダーした、タイプライターと書籍をしまうためのトランク。オーディオをしまうためのトランク。デイベッドのためのトランク。エルキュール・ポアロが持っていそうな男性用のグルーミングトランク。ピクニックセットをしまうためのトランク。鏡台。他の展示室にも、ガラスケースのなかに飾られていた本のための木製トランクがあり、それは飴色に光っていて美しかった。船旅の時代、数少ない娯楽のうちのひとつが読書だったから、本をおさめるトランクは樟脳の木でつくられているとも聞いたことがある。持ち主は、どんな本をしまっていたのだろう。
『ベニスに死す』をみたあと、夏が来た。三歳くらいから十代半ばまで、夏になると一ヶ月間サマースクールに入れられていたので、荷造りをするたび寂しくて泣いた。ぬいぐるみを持って行くことが禁じられていたから、大切な友達は置いていかなければいけなかった。それでも、ぬいぐるみのシャチのための旅支度を、子供部屋でする。父が使っていた古いボストンバッグを運び込み、鞄のなかが海になるようにあざやかな浅葱色の風呂敷を敷く。そこにスーパーボール、自分が好きだったたまごぼうろのおやつ、絵本、足りないものは、絵で描いて切って、ぬいぐるみのための心地よい海を鞄のなかに作っていた。
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壁の一面には、ルイ・ヴィトンのトラベルブックに掲載された旅への憧憬を誘うイラストレーションの数々。
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朝吹真理子/小説家
1984年、東京都生まれ。2009年「流跡」でデビュー、10年同作で第20回Bunk amuraドゥマゴ文学賞を最年少受賞。11年「きことわ」で第144回芥川賞を受 賞。12~14年にかけて国東半島アートプロジェクトツアー 飴屋法水×朝吹真理子『いりくちでくち』を発表。22年「Reborn-Art Festival 2021-22」で画家弓指寛治と展示作品「スウィミング・タウン」を制作。年内に小説『ゆめ』(河出書房新社刊)と、エッセイ集『信号旗K』(マガジンハウス刊)を刊行予定。
photography: Sadaho Naito styling: Naomi Shimizu hair & makeup: Chie Fujimoto editing: Mami Aiko