日々の生活を彩るワインを自分らしく楽しむフィガロワインクラブ。イタリア人ライター/エッセイストのマッシが、イタリア人とワインや食事の切っても切り離せない関係性について教えてくれる連載「マッシのアモーレ♡イタリアワイン」。今回のテーマは秋のイタリア食材を代表する隠れた逸材「ポルチーニ茸」! マンマが手がける、家庭でのいちばんおいしく「愛を感じる」食べ方とは?
僕にとって、食とは単なる栄養摂取の行為ではない。それは記憶であり、愛情が物質化した結晶だ。その結晶が最も輝きを放つ瞬間は、いつだって母の手料理の中にある。
つい先日、故郷であるピエモンテで母が作ってくれたポルチーニ茸のフリット(揚げ物)は、まさにその記憶と愛情の黄金比だった。食卓に並んだ皿の上で、こんがりと揚がったポルチーニの切り身は、その濃厚な芳香とともに僕をイタリア・モンカルヴォの美しい景色へと連れ戻した。
この思い出は、今年の10月中旬に母と一緒に訪れたモンカルヴォ・トリュフ祭りで始まった。先日、ここフィガロワインクラブで書いた記事でも紹介した通り、中世の面影を残す美しい街並みの中、芳醇な白トリュフの香りに満たされながら僕たちは地元の食材を物色していた。そこで出合ったのが、土の香りを纏った立派なポルチーニ茸だ。
ひとつひとつが手のひらほどの大きさを持ち、傘は濡れた革のような深い茶色、柄はどっしりと肉厚で白っぽい。特に驚いたのは、その生命力あふれる造形美だった。母は「こんなに立派なポルチーニは久しぶりだね」と、まるで宝石を見つけたかのように目を輝かせていた。そして、厳選した数個を注文し、大切に包んでもらった。この、少し重くて茶色い紙袋のポルチーニこそが、今回僕の心を温める「愛のフリット」の原材料となったのだ。
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自宅に戻って数日後、母はモンカルヴォのポルチーニを調理し始めた。その一連の動作は、見ていて飽きることがない、まるで儀式のような美しさがあった。
まず、母はぬめりのある傘の部分を優しく水で洗い流す。あの大きなポルチーニが水道の蛇口の下で輝いている姿は、自然の恵みの雄大さを感じさせた。そして、丁寧に包丁で分厚く切り分けていく。新鮮なポルチーニの断面は、柄の根元にかけて少し青みがかったような、独特のグラデーションを見せていた。これがポルチーニの特徴的な色合いだ。
次は、フリットの要となる衣付け。母はふたつのボウルを用意して、ひとつには軽く塩を振った溶き卵、もうひとつには黄金色のイタリアらしい細かいパン粉を入れた。切り分けたポルチーニの切り身を、まずは溶き卵にくぐらせ、次にパン粉のベッドに優しく押し付けるようにして、全面にしっかりと衣を纏わせていく。
この作業を繰り返す母の指先の動きはとても優しく丁寧だ。その指には鮮やかな赤のマニキュアが施されていて、まるで料理への情熱と愛情の象徴のように見えた。パン粉をまぶされたポルチーニは、これから始まる最高の変身を予感させる、期待に満ちた佇まいだった。
そして、いよいよクライマックスは揚げる工程だ。フライパンに注がれた油が適温になると、母はパン粉を纏ったポルチーニをひとつずつ、静かに油の中に滑り込ませていく。「ジューッ」という心地よい音が、静かなキッチンに響きわたる。
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高温の油の中で、ポルチーニはみるみるうちに黄金色に色づき、香ばしいパン粉ときのこの持つナッツのような甘い香りが部屋中に充満する。この瞬間すでに、僕にとってこの料理がただの揚げ物には収まらないことを感じていた。
母は絶妙なタイミングでポルチーニを引き上げ、キッチンペーパーを敷いた皿に並べていく。出来上がったフリットは、外側はカリッと、中はポルチーニ特有のジューシーさを保ったまま。大皿に山盛りにされたポルチーニのフリットは、まさに壮観だった。
食卓には、ポルチーニのフリット、そして母が選んでくれたピエモンテの白ワイン「GAVI(ガヴィ)」のボトルが並んだ。グラスに注がれたワインは、フリットの香ばしさとポルチーニの持つ土の香りとミネラル感を見事に引き立ててくれる。僕たちは顔を見合わせ、静かに「Buon appetito (ブオン アッ ペティート)」と微笑みながら呟いた。ひと口食べると「サクッ」という心地よい衣の口あたりの後に、「フワッ」としたポルチーニの肉厚な食感と、凝縮された旨味が口いっぱいに広がった。揚げたことで香りが閉じ込められて、噛むたびにその芳醇な森の香りが鼻をくすぐる。
このポルチーニは、モンカルヴォの土の恵みそのものだった。でも、このおいしさを「高級食材の味」とシンプルに片付けることはできない。
「おいしい?」「うん、すごくおいしいよ。モンカルヴォで一緒に選んだときのことを思い出すね」
僕たちが交わした何気ない会話、そして料理に向かう母の真剣なまなざし、僕のためにおいしいものを食べさせたいという母の無償の愛。母の温もりが、カリッと揚がった衣の下に閉じ込められていたのだ。ポルチーニの風味に、愛情という名の極上のスパイスが加わったことで、その味はほかのどんな高級レストランの料理も敵わない、世界でいちばんおいしいフリットとなっていた。
食卓で語り合う、他愛のない今日の出来事。そのそばには、黄金色に輝くポルチーニのフリットと、少し頬を赤らめた母の笑顔。この一瞬が、僕の人生の中で最も大切な宝物のひとつとなった。食事が終わり、僕は心の中で静かに感謝を伝えた。愛を揚げることのできる、世界でただひとりのシェフへ。
1983年、イタリア・ピエモンテ生まれ。トリノ大学大学院文学部日本語学科修士課程修了。2007年に日本へ渡り、日本在住17年。現在は石川県金沢市に暮らす。著書に『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』(2022年、KADOKAWA 刊)
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