日々の生活を彩るワインを自分らしく楽しむフィガロワインクラブ。イタリア人ライター/エッセイストのマッシが、イタリア人とワインや食事の切っても切り離せない関係性について教えてくれる連載「マッシのアモーレ♡イタリアワイン」。今回のテーマはピエモンテ州、バーニャカウダから始まる冬のご馳走について! マッシとマンマの愛あふれるディナーを覗きながら、イタリアの景色を感じて。
イタリア・ピエモンテ州、モンフェッラートの丘陵地帯では、この土地特有の、湿り気を帯びた空気が流れる。そして、その空気を包んでモンフェッラートを世界から隠すように、濃い霧が一面に漂う。
今年の秋に故郷に帰った僕は、母とムリセンゴ(Murisengo)という村にあるリストランテ「San Candido(サン・カンディド)」に出かけていた。トリュフが有名なこの村だけど、今夜の目的はそれではない。トリュフ以上に、ピエモンテ人の魂に触れるような食事のためだ。
「マッシ、あのお店に行くのは久しぶりだね」と、母の声が弾んでいる。日本という遠い国で暮らす息子が帰ってきた時、イタリアのマンマが何よりも大切にするのは「何を一緒に食べるか」。食事は離れていた時間を埋め合わせ、愛を確かめ合う儀式なのだ。
店の扉を開けると、暖かな光と食欲をそそる香りが冷えた身体に押し寄せてきた。洗練されていながらも、どこか懐かしさを感じさせる空間。僕たちはテーブルにつき、迷うことなくこの土地の伝統料理をオーダーした。
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まず運ばれてきたのは、ピエモンテの冬の王様、「バーニャカウダ」だ。テーブルの中央に置かれた陶器の小鍋「フジョット」の下で、小さな蝋燭の炎が揺れている。鍋の中ではアンチョビとスライスされたニンニク、オリーブオイルが溶け合い、ふつふつと煮え立っている。
皿には、まるで畑からそのまま持ってきたかのような新鮮な野菜たちが並ぶ。キャベツ、パプリカ、焼いた玉ねぎ、そして何より欠かせないのが「カルディ・ゴッビ(Cardi Gobbi)」だ。この野菜はアーチ状に曲がった白いアザミの一種で、ピエモンテの冬によく食べられている。熱々のソースをたっぷりと絡め、口に運ぶ。野菜の冷たさとソースの熱さ、シャキッとした歯ごたえと濃厚な旨味。これだ。これが僕の身体を作ってきた味だ!
「おいしい?」と母が聞く。僕は言葉にならず、ただ深く頷いた。バーニャカウダの隣には、艶やかな赤色が美しい「カルネ・クルーダ(生肉)」も並んでいる。新鮮な仔牛の肉を薄く切ったシンプルな料理だけど、口の中でとろけるような甘みは高品質である証拠だ。
カルネ・クルーダの次には、グラスに注がれた地元の赤ワイン、バルベーラ・デル・モンフェッラート(Barbera del Monferrato)を口に含む。フレッシュな酸味と果実味が、バーニャカウダのオイルや生肉の脂をきれいに洗い流し、次の食欲を誘う。完璧なマリアージュだ。
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続いて登場したのは、「アニョロッティ・イン・ブロード」。小さな正方形に包まれた詰め物パスタが、黄金色のスープの中に浮かんでいる。ラグーソースで食べるのも良いけど、ピエモンテーゼらしく食事を楽しみたいなら、やっぱりブロード(スープ)に限る。
スプーンでブロードと一緒に口に含むと、優しい温かさが喉を通って五臓六腑に染み渡っていく。派手さはまったくない。でも、このお皿には何百年と受け継がれてきた家庭料理の安らぎがある。母も懐かしそうに目を細めてスープを飲んでいた。僕は日本で多くの「おいしいもの」に出会ってきたけど、母と向かい合って同じスープを飲むこの時間以上に尊いものが、はたしてあるのだろうか。
そして、今夜のクライマックスがやってきた。「ボッリート・ミスト(茹で肉の盛り合わせ)」だ。湯気を立てるワゴンがテーブルの横に到着する。給仕長がナイフを手に取り、大きな塊肉を切り分けていく。牛タン、コテキーノ(豚肉のソーセージ)、頭肉......。
じっくりと時間をかけて茹でられた肉たちは、ナイフを入れるだけでほろりと崩れそうなほど柔らかい。皿に盛られた肉の山は迫力がありながらも、優しさに満ちた味だ。添えられたサルサ・ヴェルデ(緑のソース)の酸味が、肉の旨みをさらに引き立てる。
「たくさん食べなさい」と、母はいつものように言う。僕はもう子どもではないし、自分でお店を選ぶこともできる。それでも、母の前では永遠に「お腹を空かせた息子」のままなのだ。
僕たちはワインを傾け、他愛もない話をした。親戚の誰がどうしたとか、昔この近くでこんなことがあったとか。そんな些細な会話の一つひとつが、最高級の食材以上に僕の心を満たしていった。料理がおいしいから感動するのではなく、この料理をこの場所で、母と味わっているという現実が、震えるほど幸せなのだ。地元愛とは、そこで生きる人々、そこで紡がれてきた時間の愛おしさなのだと、改めて痛感した。
ドルチェを終え、エスプレッソを飲み干す頃には、夜も更けていた。
「ごちそうさま。最高だったわ」
母の満足そうな笑顔を見て、僕は無意識に「ありがとう」と呟いていた。それは食事に対してだけでなく、僕をここまで育て、いつも変わらぬ愛で迎えてくれる母への感謝だった。
店を出ると、外はさらに霧が濃くなっていた。数メートル先も見えないほど濃い霧。街灯の光がぼんやりと滲み、幻想的な風景を作り出している。冷たく湿った空気が頬を撫でる。ふと、子どもの頃はこの霧の中を歩いて学校へ行ったなぁ、霧の向こうに何があるのか想像していたなぁ、と幼い自分を思い出した。この霧は、僕の原風景そのものだ。
「すごい霧ねえ」と母が笑う。僕は車のドアを開けながら、この霧の白さを目に焼き付けようとした。日本に戻ればまた忙しい日々が待っている。煌びやかな東京の夜景や、金沢の美しい雪景色を見ることもあるだろう。だけど、この湿った土の匂いと、すべてを優しく包み込むような白い霧、そしてボッリートの温かさの余韻は、ここピエモンテにしかない。
母と家まで帰る道中、霧はさらに濃くなっていった。まるで、今夜のこの幸せな時間を、誰にも邪魔されないように世界から切り離してくれているかのように感じた。
ピエモンテの霧の向こうには、いつでも僕の帰りを待つ母がいる。そして、変わらない味を守り続ける食卓がある。この確信がある限り、僕はどこにいても生きていけるだろう。
1983年、イタリア・ピエモンテ生まれ。トリノ大学大学院文学部日本語学科修士課程修了。2007年に日本へ渡り、日本在住17年。現在は石川県金沢市に暮らす。著書に『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』(2022年、KADOKAWA 刊)
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