本質に迫るシンボリックな映像は、時を超えて芽吹くもの。
アリーチェ・ロルヴァケル|映画監督
ローマ・パンテオンの前で辺りを見回していたアリーチェ・ロルヴァケル 。目が合うと、その顔からやわらかな太陽のような笑みがこぼれた。『幸福なラザロ』で、2018年カンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞。前作の『夏をゆく人々』(14年)では、グランプリにも輝いている。映画監督から脚本まで手がける彼女は、ときにこちらの心を射抜くような強い眼差しを向けながら、言葉を選んでゆっくりと話し始めた。
「子どもの頃から、映画のことをよく知っていたわけではないの。学生時代は古典文学を専攻していたし。ただ手を動かして、何かを作る仕事がしたかったのね。私にとって仕事とは、自分の見識を深めるための最高の手段のひとつ。最初に作ったサーカスの ドキュメンタリーも、映画 を撮るためというよりも、彼らのことをきちんと知るためのものだった。でも撮っているうちに、映像と関わる、この仕事ならではの素晴らしさに気付きました」
アリーチェが考える映像とは、現実から不純物を取り除き〝蒸留〟することで得られる、最も本質的でシンボリックなイメージだ。現代の過剰なイメージの氾濫には、真っ向から異を唱えたいと語る。
「現実が細分化された情報になってバラバラに破棄されていくような世の中で、異なる多様な存在が結びつくことのできる場……それが私の考える映像の在り方なの。象徴的なイメージって、たとえその意味がすぐに理解されなかったとしても、ずっと人々の意識のどこかに留まって、人生に寄り添って、いつか芽吹くことができるはず。発芽力を持っている種のようなものね」
不思議な青年ラザロが、寓話を通じて導く真理。
『幸福なラザロ』の主人公ラザロは、貴族の一家のために働いていた農夫であり、無邪気で人を疑うことを知らない不思議な青年だ。「ある日寝て起きたら、この映画の情景がまざまざと目に浮かびました。どうしようもない悲劇を描いたとしても、私たちを笑わせてくれるくらいピュアなラザロが、この映画を救ってくれるって思ったの」
映画では、イノセントなラザロが、人々が見失いつつある真理へと、にこやかに導いてくれるのが印象的だ。「ラザロは善も悪もまるで判別できない人物。映画は人を裁くものではないといわれるけど、これは善人と悪人がはっきりした物語よ」
アリーチェのまっすぐな心は、歪んだ現実をおとぎの国の物語のように描き出してくれる。
1981年、イタリア・トスカーナ州フィエーゾレ生まれ。カンヌ映画祭監督週間選出の長編第1作『天空のからだ』(2011年)で脚光を浴び、続く『夏をゆく人々』(14年)でグランプリ、『幸福なラザロ』(18年)で脚本賞を受賞。研ぎ澄まされた直観としなやかな感性、寓話的な表現力で、近年、優れた才能を輩出し続けるイタリア映画界でも秀でた存在。
イタリアの小さな村で、小作制度の廃止を知らされずタダ働きする、純朴な青年ラザロ。搾取の実態を知った村人たちは出て行くが、ラザロにある事件が起き……。『幸福なラザロ』は、Bunkamura ル・シネマほか全国にて順次公開中。
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*「フィガロジャポン」2019年5月号より抜粋
インタビュー・文/ロブ・ロバートソン