「聖なる怪物」「なぜ人々はアラン・ドロンに惹かれるのか?」死去から一年、アラン・ドロンの半生を振り返る。
Celebrity 2025.08.17
フランス映画界の"聖なる怪物"と称されたアラン・ドロンが、昨年の2024年8月18日、家族に見守られ88歳で死去。端正なルックスと冷静な眼差し、そして時に激しさを秘めた演技で、半世紀以上にわたり観客を魅了してきた。
映画デビューから瞬く間に国際的スターとなり、ジャン=ピエール・メルヴィルやルキノ・ヴィスコンティら名監督とのタッグで数々の名作を残す一方、恋愛や家族関係でも常に注目を集めた存在だった。
死去から一年が経った今、そのキャリア、恋愛遍歴、家族との物語を改めて振り返る。
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映画スターとしてのキャリア
photography: PictureLux/Abaca
アラン・ドロン、88歳で生涯を閉じる。伝記で振り返る恋と友情、数々の名シーン。
1960年、『太陽がいっぱい』で一躍国際的スターの仲間入りを果たしたアラン・ドロン。『若者のすべて』『山猫』で魅せた端正な存在感は、その後もフィルム・ノワールやアクション、アート系までジャンルを超えて輝き続けた。ジャン=ピエール・メルヴィルとの「ドロン三部作」や、ルキノ・ヴィスコンティ作品など、映画史に刻まれる名作を次々と生み出す一方、自ら製作やキャスティングにも踏み込み、俳優の枠を超えた先見性を発揮。2019年、カンヌ国際映画祭で名誉パルムドール賞を受賞し、ヨーロッパ唯一の国際的スターとしての地位を不動のものにした。
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アラン・ドロンを愛した女性たち
ミレーユ・ダルク、アラン・ドロン、ロミー・シュナイダー、シドネ・ローム(パリ、1977年) photography: Abaca
【追悼】写真で振り返る、アラン・ドロンと彼を愛した美しき女性たち。
「そもそも私のすべては、女性のためにあるのです」──2018年のインタビューでそう語ったアラン・ドロンの人生は、常に恋と共にあった。
21歳でのブリジット・オベールとの出会いから始まり、20歳のロミー・シュナイダーとは婚約と破局を経て、映画『太陽が知っている』で再び共演。1964年にはナタリー・ドロンと結婚し、息子アントニーをもうけたが、女優ミレーユ・ダルクとの15年にわたるパートナー関係がその後の人生を彩った。
1987年にはオランダ人モデルのロザリー・ファン・ブレーメンと出会い、娘アヌーシュカと息子アラン=ファビアンが誕生。別離後も、晩年にかけては日本人女性ヒロミ・ロランとの関係が報じられるなど、最後まで女性との物語が注目を集め続けた。
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波乱万丈な家族関係
ベルリン国際映画祭でのアラン・ドロンとロザリー・ファン・ブレーメン。(ドイツ、1995年2月16日) photography: ABACA
華やかなキャリアの裏側で、アラン・ドロンの家庭は常に嵐の中にあった。長男アントニー、次男アラン=ファビアン、長女アヌーシュカ──3人の子どもたちは、幼少期から複雑で緊張感のある家庭環境に置かれてきた。息子たちは後年、父からの厳しいしつけや暴力の記憶を公に語り、母ロザリー・ファン・ブレーメンや同居していた女性への暴力疑惑も報じられた。
その一方で、娘アヌーシュカには深い愛情を注ぎ、晩年には孫との仲睦まじい写真をSNSに投稿するなど、柔らかな一面も見せていた。晩年は日本人女性ヒロミ・ロランとの同居を巡り、子どもたちと訴訟沙汰に発展。愛情と確執が交錯する家族模様は、死去直前まで世間の注目を集め続けた。
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晩年と家族の時間
アラン・ドロン、ふたりの美しい孫娘に囲まれた家族写真を公開。
晩年のアラン・ドロンは、メディアから姿を消しつつも、時折SNSを通じて家族との時間を共有していた。2023年のクリスマスイブには、フランス・ロワレ県ドゥーシーの自宅で、息子アラン=ファビアンとアンソニー、そしてふたりの孫娘ルーとリヴに囲まれた笑顔の写真が投稿され、ファンの間で大きな反響を呼んだ。
華やかな祖父の影で育ったルーは法律とオートクチュールのキャリアを持ち、ディオールで活躍。妹のリヴは音楽やモデル業に進み、芸術的な分野で自らの道を歩み始めている。公の場から距離を置いて暮らす晩年、アラン・ドロンにとって家族と過ごす静かな時間は、最も大切な日々だったのかもしれない。
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text: madame FIGARO japon photography: shutterstock