プレイバック、私の青春。 あのころ私は、バンド活動に夢中だった。

Fashion 2019.01.30

中1でテニス部に入部。球拾いに飽き、半年で帰宅部になると同時に、年上の先輩たちとバンドを始め、スタイリストを目指し始める22歳までバンド活動をしていました。10代の私を振り返ると、とくに不満があるわけでは無かったのですが、少し特殊な家庭環境で育っていたようなので、自分が置かれている日常から逃避したかったのかも知れません(笑)。

高校に入ってからは大所帯バンド編成にいた影響もあり、アメリカのファンクロックバンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンに始まり、P-FUNK、ファンカデリックが好きでした。でも、一番聴いていたのはプリンスかな。当時プリンス監修の“グラムスラム”というライブハウスが大黒ふ頭にあって、ライブの後にプリンスやブーツィー・コリンズが来たりして、楽しい場所でした。バンド活動と称して、夜な夜なメンバーと繰り出していました。あ、私、ブーツィーにお姫様抱っこされたことあります(笑)。手が大きくてお父さん!って感じでした。

ライブをやったり、オーディションを受けたりする中で、最終的に唯一の女性メンバーになってしまった私は、衣装係も兼任するようになりました。予算が決まっている中で、メンバーの採寸をして、ステージの広さや照明を考えてスタイリングする。まぁ気づけばスタイリストみたいなことをやっていたのかな。

当時の私には目の前に乗り越えられない壁があって、何かに向かって努力していないと蟻地獄に引きずり込まれるという不安がありました。仲間はいるし、日々楽しいけど、それだけでは自分の先が見えなかった。全くお気楽じゃない学生さんでしたね。そんな中、ホームステイで行ったアメリカで衝撃的な出会いと別れがありました。人種差別、発達障害、セクシャルマイノリティ、悩みを持って生きる多くの人がいる事を改めて鮮明に気づき、私の視野がブワーーーーっと広がって、心の底から奮い立たされました。まだまだ私はやれるって。

スタジオ代にコンサートやレンタルレコード代、映画も行かなきゃだし、アストアロボットやラフォーレの早朝セールにも行かなきゃ死んじゃうって思ってた。バイトを掛け持ちしながら、呼吸をするようにいろんな事を学び……。でも、学生だからちゃんと勉強して、深夜ラジオにもハガキ出すくらい夢中になっていたのだから、若いってすごいですね。

あのころの自分に一言

24時間じゃ足りないって思ってるでしょ? それ、40代になった今も一緒だから。
でも、あなたが悩みながらも、強くしなやかに生きてくれたおかげで、今の私は幸せだよ。

青木千加子
スタイリスト馬場郁雄氏に師事し、24歳でスタイリストに。その後、モード誌を中心に活躍。CMやPVなどで女優やミュージシャンも手がける。

プレイバック、私の青春。
【安藤小葉】あのころ私は、サラ・コナーと歯磨き粉に夢中だった。
【山本マナ】あのころ私は、2人の女優とドリカムに夢中だった。
【榎本実穂】あのころ私は、ローリン・ヒルに夢中だった。
【上野留美】あのころ私は、すでにブリティッシュロックに夢中だった(外センなもので)。
曽根英理菜】あのころ私は、『ご近所物語』の実果子ちゃんに夢中だった。
【編集KIM】あのころ私は、ダンス映画とジャッキー・チェンに夢中だった。
【飯田珠緒】あのころ私は、雑誌「オリーブ」と「宝島」、そして音楽に夢中だった。

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